つくば市臼井:臼井古墳群(その1)

2021年の元旦には自宅の近所の神社を参拝した後,「一年の計は元旦にあり」ともいうので,臼井古墳群(茨城県つくば市臼井)の所在地まで出かけた。
市営筑波山麓神郡駐車場にクルマを停め,そこから先は徒歩で往復。
正月元旦ともなれば筑波山神社には大勢の人々が参拝に訪れるので,3密によるコロナ感染を避けるため,今年は田圃の中を通る農道から筑波山神社を遥拝。

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元旦の筑波山


駐車場から臼井古墳群の所在地へ移動中に十三塚と呼ばれる遺跡のそばを通った。長さ200mの堤防の遺跡であり,その堤防の上に塚の遺構があるのだそうだ。現況では単なる細長い土手のようなものがあるだけのような状態となっている。
この堤防は,水を堰き止めるためのものとする見解が普通のようなのだが,よくわからない。軍事的または宗教的な意味合のあるものかもしれない。


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南西の方から見た十三塚所在地付近


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北東の方から見た十三塚所在地付近


十三塚所在地のすぐ先に金掘塚がある。金掘塚の現況は,東西約33m・南北最大15m・高さ約4mで長楕円形のような形状をしているけれども,大きな円墳の一部が掘削されて現況のようになったものだとされている。
しかし,下記の趣味の案件のサイトでも指摘されているとおり,過去の記録の中に誤りが含まれており,それらの誤りが複合的に作用して現在のような認識を形成しているという可能性は否定できないと思う。
私見としては,当初,円墳として構築されたけれども,後に,子孫によって長方形墳または前方後円墳のような形状に改造されたという可能性も検討すべきだろうと思っている。後代の耕作による掘削だけを原因として想定するのは,ある種の偏見や固定観念のようなものに基づくものであることもあり得ると思う。


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南の方から見た金掘塚


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南東の方から見た金掘塚


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南西の方から見た金掘塚


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東の方から見た金掘塚


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西の方から見た金掘塚の墳丘上の様子
(左手奥に見えるのは大塚)


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東の方から見た金掘塚の墳丘上の様子


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金掘塚の石室開口部付近


金掘塚の北西の方には大塚という古墳がある。大塚は,現況で直径約10m・高さ約4.5mの円墳とされている。金掘塚所在地付近からも見える。もしかすると,元はもっと大きな古墳だったのではないかと思った。「大塚」という名にしては小さすぎる古墳だからだ。


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南西の方から見た大塚


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西の方から見た大塚


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西南西の方から見た金掘塚(右手前)と大塚(左奥)


上述のように,実地踏査してみた結果を踏まえると過去の文献等の中に記されているデータの方に何か問題があるのではないかと考えようになるのは素人だからではなく,現地を実地踏査し続けているからそのように思うのだと思う。

一般に,実地踏査を踏まえれば絶対にそのような記録が作成されることなどあり得ないという事例は,考古学の専門家である茂木雅弘氏からも指摘されており,例えば,金掘塚とは別の古墳に関してだが,筑波大学人文学部考古学研究室編『常陸の前方後円墳(1)』(2000年3月)の45頁にそのような明確な指摘がある。要するに,実見することなく先人の業績をコピペするだけで安易な仕事を重ねていると,でたらめな記録や文書や論文等が生成・蓄積されることになる。

一般に,いわゆる陰謀論を含め,SNSによるフェイクメッセージの流布にも似た現象を観ることができる。なぜ実地踏査し,実見し,他の関連資料を徹底的に調べ,自分の頭で考察しようとしないのか。遺伝子によって決定される基本的な性格傾向や過去の生育環境といったような要素が一番の要因と推定されるが,社会的要因としては,「インターネットによる情報革命」等と銘打った安易な文化論の類がかつて横行したこともその要因の1つとしてあるのではないかと思われる。

一般に,インターネットにより提供される情報量が増加しても,増加した情報の内容の真偽・正確性・精度等を迅速かつ適切に精査するための知的能力が自動的に増大するなどということは絶対にあり得ないことなので,もし人間の側の知的能力に変化がないとすれば,「インターネット上の情報量の増大は,それだけでは,人間の知的生産能力に対してあまり影響を与えることはない」という結論になりそうだ。
そうではなく,インターネットから提供される大量の情報を迅速かつ適切に整理し,使いこなせるような合理的な方法を最初からもっている人にとっては,情報量の増大は,生産性を高める要因となり得る。そのような方法は,セマンチックな要素が重要なので,可能な限り多様かつ大量の古典を年月をかけて読破し続けるによって自然に身につくものであり,何か簡単な「知的整理法」のようなもので対処可能なものではない。既に高度な能力をもっている人にとっては,各人各様の知的整理法が存在するのだろうが,それは,その人固有のものであり,万人が使えるという意味での汎用性の高いものなど存在し得ない。
にもかかわらず,現にSNS等を介して大量の情報が流れてくると,「答えをみつけた」というような短絡的または情緒的な錯覚にとらわれることになるのだろう。


 趣味の案件:つくば市臼井古墳群(前編)
 https://ankenna.blog.fc2.com/blog-entry-569.html

 趣味の案件:つくば市臼井古墳群(後編)
 https://ankenna.blog.fc2.com/blog-entry-570.html

 週末は古墳めぐり:臼井古墳群 金堀塚 つくば市臼井
 https://kofunmeguri.hatenablog.com/entry/2020/12/12/000000

この記事へのコメント

あんけん
2021年01月27日 13:13
こんにちは、あんけんです。
あの横穴式石室の位置を見ると東西幅に対して円墳だと中心に寄り過ぎで、個人的には当初から東西に主軸線を持つ墳丘ではなかったかと思いました。まぁ、中段のテラス面が元の地表で、上の部分だけが北側に展開してたのなら別なのですが・・・。
電脳中年A
2021年01月27日 17:05
あんけんさん

コメントありがとうございます。

現況からすれば円墳には見えないという点を一応措くとして,石室の位置からしてもどうも変な古墳ですね。円墳ではないという説に一票いれたいのですが,他方において,墳丘に後代の改変があるとうことも否定しようがないので,難解な古墳だと思っています。
技術の進歩により,トレンチを入れなくても非破壊である程度までわかるようになってきているので,やってみたらよいのではないでしょうか。
あんけん
2021年01月27日 19:38
こんばんは。
農地整理前から円形の墳丘ではなかったですし、まずは円墳とした根拠を調べてみたいです・・・。西側の2基も記述が曖昧に思え、本文で書かれてる様に何処かの段階かで現地を確認しないで公式に記してしまったのではないかと・・・。
電脳中年A
2021年01月27日 21:22
あんけんさん

再度のコメントありがとうございます。

町史等が編纂された当時には正確な地図がなく,団子図のような簡単な図しかない状態で極めて不正確に古墳所在地が手書きで残された可能性もありますね。

現代のように精密な位置情報を誰でも利用可能な時代ではなかったので,当時の担当者が苦労しながら記録を残したことは間違いないと思います。しかし,当時の水準のままで現状の記録を維持すると後世の人々に誤解や錯覚を残すという罪を犯すことにもなるので,可能な限り正確な記録とするための努力は継続すべきだろうと思っています。

予算や人員の関係もあるので,できることとできないことがあると思います。その点において,アマチュアが記録の正確性を向上させるために寄与できることは少なくないと思っています。あとは,専門担当者が無意味なプライドや面子のようなものを全て完全に捨て,「専門家とアマチュアが協力してより良い記録を後世に残すために一緒に努力しよう」と思うかどうかにかかっているのだと思っています。