浜松市東区:三方原古墳群

光明山古墳等の古墳を見学した翌日,三方原古墳群(静岡県浜松市東区有玉西町)を構成する古墳中の幾つかの古墳を見学した。
三方原古墳群中の三方原学園古墳群と呼ばれる古墳群を構成する古墳の所在地は静岡県立三方原学園の敷地内にあり,学園の周囲はフェンスで囲まれていて,公道から古墳を見学することができない。
コロナの問題等があることなどから見学は無理かと思いつつ,「ダメでもともと」と考え,三方原学園の事務棟の窓口で見学が可能かどうか尋ねた。事務担当職員の方の対応はとても親切なものだった。ただし,見学場所に制限があるとのことだったので,制限事項を完全に遵守することを約束し,見学の許可を得た。その窓口では,三方原古墳群の概要説明及び古墳配置図が収録された小冊子を頂戴した。
まことにありがたいことだと思う。

静岡県立三方原学園の北東側の低地は現在では有玉緑地という公園になっており,三方原古墳群の所在地は,その低地の南西側の段丘上という位置関係になる。有玉緑地の北東側隣地には三方原PA及び三方原スマートICがある。その台地の東方はずっと低地になっており,その先には天竜川が南北に流れている。
この台地及びその周辺は,古代から交通の要衝であり,政治的・軍事的に非常に重要な場所だったのではないかと想像される。

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有玉緑地碑


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有玉緑地内の遊歩道など


三方原学園の事務棟で頂戴した小冊子中の説明によれば,三方原古墳群は,元は200基ほどの古墳で構成される巨大な古墳群だったけれども,現在では81基を数える程度までに減ってしまっているとのこと。この三方原古墳群中の三方原学園敷地内にある部分は,三方原学園内古墳群と呼ばれている。三方原古墳群を構成する古墳の中で完全に現存していると言えるのは,三方原学園1号墳(瓢箪塚古墳),三方原学園5号墳(千人塚古墳)及び三方原学園7号墳の3基のようだ。
三方原学園敷地内で「三方原学園1号墳(瓢箪塚古墳)の所在地の方には決して行かないこと」,「学園施設に接近しないこと」及び「学園施設には入らないこと」という制限があり,その制限を完全に遵守することを約束したので,三方原学園1号墳(瓢箪塚古墳)は見学しなかった。基本的に,明確に遊歩道があると判断できる部分だけを歩いた。

三方原学園の入口から事務棟に続く通路のすぐ脇(南側)には三方原学園7号墳が現存している。三方原学園7号墳は,直径18mの円墳とされており,その墳頂には小社が祀られている。近くに寄ることはできないと判断し,通路部分から一礼した。
通路部分と三方原学園7号墳所在地との間付近は三方原学園9号墳の所在地となっているけれども,墳丘等は全くない。三方原学園9号墳は,完全に湮滅したものと思われる。


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7号墳


三方原学園の事務棟所在地から北東の方に伸びる通路を歩き,プールの脇を過ぎたあたりから南の方に折れると,三方原学園2号墳と三方原学園3号墳の所在地となっている。
三方原学園2号墳は,前方後円墳とされているけれども,既に完全に消滅している。
三方原学園3号墳は,直径15mの円墳とされている。その所在地を確認することはできたものの,現況において,墳丘はほとんどない。三方原学園3号墳の手前(南西側)には天皇陛下のおことばの碑が立てられていた。


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3号墳所在地付近


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天皇陛下のおことばの碑


三方原学園3号墳所在地から更に南東の方に狭い道を進むと,三方原学園5号墳(千人塚古墳)の所在地に至る。
三方原学園5号墳の近くには三方原学園4号墳(円墳)と三方原学園6号墳(前方後円墳)の所在地がある。ただし,三方原学園4号墳は,よくわからなかった。三方原学園6号墳は,既に湮滅しているとのこと。なお,三方原学園5号墳の北東側~東側部分は整地されており,元の地面よりも少し低くなっている場所があるように見えた。
三方原学園5号墳(千人塚古墳)は,基底直径49m・高さ7.2mで二段築成の円墳とされている。実物を見学すると,確かに大きな古墳だと思う。三方原学園5号墳は,台地の縁に位置しているので,往時においては,かなり遠くからでもこの古墳が見え,また,この古墳の墳丘からは相当遠くまで見渡し,低地や河川の往来を監視することができたのではないかと思われる。
現地を訪問して立地や周辺の地形等を確認し,非常に勉強になった。


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北西の方から見た5号墳


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北の方から見た5号墳


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東の方から見た5号墳


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5号墳の墳頂の石碑


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5号墳の墳丘東側裾付近


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説明板


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5号墳付近から見える景色


三方原は,元亀3年(1573年)の三方原の合戦が起きた場所とされている。当時最強の武田軍と織田・徳川軍が衝突し,織田・徳川軍が敗退した。
実際に戦闘が行われた場所に関しては諸説ある。現在最も有力な説によれば,三方原台地の北西端付近(根洗松地区付近)が激戦地とされているようだ。
合戦の後,武田信玄は死去した。その後,紆余曲折を経て,最終的には徳川家康が天下を取った。人の運命とはわからないものだと思う。
しかし,何があっても諦めずに工夫と努力を重ねること,その間,辛抱を続けなければならない時期もあり得ること,そして,機を見誤らずに果敢に行動することの重要性を今日まで伝える歴史上の事例の1つであることは疑いようがない。
翻って考えてみると,古今東西の天下人の中で,生まれてから死去するまで間,何の問題もなく完全に順風満帆だった人物は,1人も存在しないでのはないかと考えられる。

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