浜松市北区宮口:六所神社と興覚寺後古墳

過日,六所神社(静岡県浜松市北区宮口)を参拝した。祭神は,底津海祇神・中津海祇神・上津海祇神・底津筒男命・中津筒男命・上津筒男命。
遠江六十二座式内神社中の遠江国麁玉郡鎮座多賀神社とされているが,遠江国麁玉郡鎮座若倭神社とする見解もあるようだ。
社殿はとても立派なものだった。

浜松市北区宮口周辺には海神系の神社が多数ある。古代の朝廷の水軍(海軍)の重要拠点の1つだったのだろうと思う。白江(白村江)の戦との関係においても,重要な役割を果たしたのではないかと考え,これまでずっと調べてきた。
なお,六所神社の近くには高根山古墳群と人形山古墳群がある。時間の関係で寄らなかった。

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参道


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鳥居


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拝殿


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亘殿


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社殿側面


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由緒書


六所神社の参道南側には興覚寺後古墳または六所神社古墳と呼ばれる古墳がある。
興覚寺後古墳(六所神社古墳)は,前方部を西の方に向けた全長33m・後円部直径18m・前方部幅18mの前方後円墳とされており,後円部には南に向けて開口している横穴式石室がある。
以前は,後円部と前方部を分断するようにして,くびれ部に小路があったようなのだが,現在ではくびれ部が復元され,くびれ部の上を通る小路のようになったらしい。南側~南東側の方から見ると後円部の様子がだいたいわかる。しかし,前方部は草木に覆われていて,墳丘の形状を観察するのには少し難があった。
海神を祖とし,朝廷の命によりこの地に屯田し,支配した一族と関係する墓所なのだろうと思う。


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説明板


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くびれ部付近


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南の方から見た後円部


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石室開口部


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東の方から見た後円部付近


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後円部の近くにあった小祠


一般に,水軍の軍船は,それぞれ大人数で運営されるものだ。特に外洋を航行可能な大型軍船の場合,一艘の軍船が1つの邑の人々によって運営されたのではなかろうか。仮にそうであるとすれば,邑レベルで血縁・家族のような緊密な一体性が維持され,生死を共にするという強固な精神をもてるようになっている必要性がある。
そして,水軍の船団は,複数の邑の連合体でもあることになる。比喩的に言えば,日本国(倭國)の水軍(海軍)は,古代から現代(第二次世界大戦時)に至るまで,何ら変わることなく,聯合艦隊としての軍組織により構成されてきたのだと思う。
更に,各軍団は,上(指揮官層)・中(水兵・陸戦隊の層)・底(舟大工・輜重の層)に分かれていたのではなかろうか。
加えて,「筒」とは,倭國の古代船舶の原形が筒状の丸木を彫って構築された丸木舟だったことの名残りのようなもので,「舟(船)」の別名だったのではないかとも考えられる。

このような社会構造の一種は,後代の廻船や商船でも維持されていたと推測される。大型船において櫓(艦橋)を構える船体構造それ自体がそのことを示しているとも考えられる。現代の陸上生活においても,底(インフラ)を構築・運営する者の存在なしには,それ以外の人々の社会生活上の基盤が物理的に成立し得ないということから類推すると,このように考えられる。

六所神社・興覚寺後古墳と近隣の古い神社・古墳との関係は,そのような古代の聯合艦隊の一部を構成する邑の連合体のようなものとして理解可能なものかもしれないと考えながら,境内を散策した。


 古墳探訪:静岡県浜松市・興覚寺後古墳
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