高崎市:達磨寺と古墳(その1)

過日,黄檗宗・少林山鳳台院達磨寺(群馬県高崎市鼻高町)を参拝した。本尊は, 十一面観音・北辰鎮宅霊符尊神。 達磨寺は,水戸(茨城県)と縁があり,前橋城主・酒井雅楽頭忠挙が中国僧・東皐心越禅師の弟子の天湫和尚を水戸から請じて,元禄10年(1697年)に曹洞宗の寺院として開山された寺院とのことで,無関係そうでも何かの縁というものがあるもの…
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日光市:輪王寺(その2)

過日,輪王寺(栃木県日光市山内)の三仏堂などを参拝した後,大猷院を拝見した。 大猷院は,徳川家第3代将軍・徳川家光の廟所。単なる墓所ではなく,極めて優れた美術品である建築物等によって荘厳されていると同時に,全体として,強固な山城のような構造をもった施設だ。実質的な規模・内容からすると,東照宮よりも優っている。 また,葬祭施設として考…
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日光市:輪王寺(その1)

過日,日光二荒山神社中宮祠を参拝した後,いろは坂を下って日光市内に入り,天台宗・日光山輪王寺(栃木県日光市山内)を参拝した。本尊は, 阿弥陀如来・千手観音・馬頭観音。 明治時代の神仏分離によってばらばらにされてしまったけれども,日光山は,本来は,全体として1つだった。 日光山にある寺社は,過去にも何度か訪問し,参拝したことがある。た…
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日光市:日光二荒山神社中宮祠

過日,華厳の滝を見学した後,下野國一之宮とされる日光二荒山神社中宮祠(栃木県日光市中宮祠)を参拝した。祭神は,二荒山大神 (大巳貴命 田心姫命 味耜高彦根命)。 二荒山神社中宮祠は,中禅寺湖の湖畔にあり,二荒山神社の奥宮が鎮座する男体山への登山口ともなっている。境内には宿坊のような施設もある。 社殿等の建物は,とても立派なものだった…
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日光市:華厳の滝

齢を重ねたせいか,ヘアピンカーブの走行を敬遠するようになってきた。日光いろは坂もその1つだ。そのため,だいぶ以前に散策した後,長期間にわたり,中禅寺湖方面の散策をしなかった。 しかし,これから先,更に老化が進むことを想定すると,「これが最後の機会になるかもしれない」と思い,過日,よく晴れた日に日光市に向かった。運転中,つい,頭の中で「…
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自宅のラン:富貴蘭「藤娘」が開花

事情により,相変わらず蘭の世話をあまりできない状態が続いているが,それでも元気に生き続けている株が多数あり,きっと我が家の栽培環境に適合しているのだろうと思う。 少し涼しくなってから水をやや多目にやり,マグアンプを数個置いておいたら,「藤娘」が開花した。「藤娘」は,フウラン(Vanda falcata (Syn. Neofinetia…
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龍ヶ崎市根町:愛宕神社

過日,愛宕神社(茨城県龍ヶ崎市根町)を参拝した。 愛宕神社は,龍ヶ崎市役所の北西約300mのところにある。 伊達政宗の嫡子・伊達忠宗創建の神社とのこと。かつて,伊達藩が現在の阿見町~龍ヶ崎市付近を飛び地として拝領していたことによる。伊達家は愛宕神社を崇敬していたので,龍ヶ崎周辺にある愛宕神社の中には,元は伊達家と関係するものだった神…
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龍ヶ崎市馴馬町:来迎院

過日,天台宗・箱根山宝塔寺来迎院(茨城県龍ヶ崎市馴馬町)を参拝した。 来迎院は,龍ケ崎市歴史民俗資料館の西約400mのところにあり,龍ケ崎市歴史民俗資料館と来迎院との間には馴馬城跡がある。馴馬城の範囲に関しては必ずしも明確ではない部分もあるが,地形から見て,来迎院は,馴馬城の西端付近に位置しているように見える。 来迎院の境内には弘治…
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茨城県稲敷郡阿見町追原:蔵福寺

過日,真言宗豊山派・竹生山蔵福寺(茨城県稲敷郡阿見町追原)を参拝した。 蔵福寺は,元は天台宗の寺院であり,伊達政宗ゆかりの寺院とのこと。かつて,伊達藩が現在の阿見町~龍ヶ崎市付近を飛び地として拝領していたことによる。江戸時代の稲敷の歴史を知る上で非常に重要な位置づけをもつ寺院の1つではないかと思われる。 蔵福寺の境内には古い板碑等が…
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茨城県稲敷郡阿見町:塙城跡

過日,塙城跡(茨城県稲敷郡阿見町塙)を見学した。 塙城跡は,君原公民館のすぐ北側にある。ただし,現在小規模な集落のある区域は(民家敷地内なので)立入禁止となっており,南側から順路表示に従って進むと,いったん東側の切通しのようなところに降り,そこから少し登って城跡内に入るようになっている。 阿見町史編さん委員会編『阿見町史』(昭和58…
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茨城県稲敷郡阿見町塙:大塚古墳石室天井石など

過日,阿見町君原公民館(茨城県稲敷郡阿見町塙)を訪問した。 何も言わなくても大丈夫だろうと思いはしたけれども,念のために公民館の事務室に寄り,近隣の遺跡を見学したいので駐車所にクルマをとめておきたい旨を告げた。何も問題なく快諾を得た。 君原公民館の敷地は,旧君原尋常高等小学校の敷地だった場所で,その敷地を転用して現在の公民館の敷地と…
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茨城県稲敷郡阿見町飯倉:鹿島神社

過日,鹿嶋神社(茨城県稲敷郡阿見町飯倉)を参拝した。 鹿島神社は,星の里公園の南西約300mのところにある。 鹿島神社の参道には杉の巨木が並んでいる。元は境内地にも多数の樹木が繁っていたように見えるのだが,私が訪問したときには,参道脇部分の樹木が綺麗に伐採されていた。 境内には多数の石祠がある。もともと境内にあったものか,近隣にあ…
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茨城県稲敷郡阿見町:星の里公園とその周辺

過日,星の里公園(茨城県稲敷郡阿見町星の里)とその周辺を散策した。現在では星の里という地名になっている地域は,その大部分が現況では工場団地となっている。この区域は,工場団地として整地される前は山林や畑地を主とする場所だったのではないかと推定され,また,古代の遺跡の包蔵地も多数あったと疑われる。しかし,全体像を示す明確な記録資料が見当たら…
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茨城県稲敷郡阿見町:びだら塚古墳

下記のあんけんさんのサイトで,びだら塚古墳の墳丘上にあった樹木が伐採されたことを知った。 伐採の結果,墳丘の形状がよくわかるようになったとのことなので,過日,見学に出かけた。 予科練平和記念館がある公園駐車場にクルマを停め,そこから先は徒歩で往復。 現地に到着してみると,きれいさっぱりという状態になっており,確かに,墳丘の形状が明…
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茅野市:神長官守矢史料館とその周辺(その2)

過日,神長官守矢家屋敷とその敷地内にある神長官守矢史料館(長野県茅野市宮川)を訪問し,その周辺を見学した。 帰宅すべき時刻が迫っていたので,時間が許す範囲内で神長官守矢史料館とその周辺を見学した。 御左口神社の基壇部やその周辺の土地は,斜面を階段状に整形してあり,そのような斜面上に古墳が点在している。御左口神社の基壇部は石垣となって…
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茅野市:神長官守矢史料館とその周辺(その1)

過日,神長官守矢家屋敷とその敷地内にある神長官守矢史料館(長野県茅野市宮川)を訪問し,その周辺を見学した。 守矢家は,明治時代まで諏訪大社上社の神長官を務めていたが,明治政府の政策によって神官の世襲が禁止され,以後,神長官家ではなくなったとのこと。現在の当主は78代にあたる方なので,日本国内でも最も古い家系に属するのではないかと思われ…
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茅野市:諏訪大社上社前宮(その2)

過日,信濃國一之宮諏訪大社の上社前宮(長野県茅野市宮川)を参拝した。 諏訪大社には上社の本宮と前宮,下社の秋宮と春宮がある。ちゃんと参拝したのは今回が初めて。全て参拝したいと思っている。 前宮の社殿奥は,祭神である八坂刀賣命の墓所とされている。かつては高塚があったのだろうと思う。現在,その場所には巨木が立っている。 前宮の周辺…
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茅野市:諏訪大社上社前宮(その1)

過日,信濃國一之宮諏訪大社の上社前宮(長野県茅野市宮川)を参拝した。 祭神は,八坂刀賣命。 「刀賣」は「とめ」と読むが,元は「刃賣」であり,「刀自(刃自・刃目)」と同様,「姫(ひめ)」を意味するものだったと考えられる。 諏訪大社には上社の本宮と前宮,下社の秋宮と春宮がある。ちゃんと参拝したのは今回が初めて。全て参拝したいと思ってい…
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塩尻市:平出遺跡(その3)

過日,平出歴史公園,平出の泉とその周辺を見学した後,伊夜彦神社を参拝し,そして,平出遺跡(長野県塩尻市宗賀)を見学した。 史跡公園内の「古墳時代の村」という区画には,古墳時代の遺跡と建物ほか,桃園が復元されている。 建物は,首長クラスの者のものだそうだ。復元建物では,竈とその煙突部も復元されていた。千葉県立房総の村や福島県文化財セン…
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塩尻市:平出遺跡(その2)

過日,平出歴史公園,平出の泉とその周辺を見学した後,伊夜彦神社を参拝し,そして,平出遺跡(長野県塩尻市宗賀)を見学した。 史跡公園内の「平安時代の村」という区画には,平安時代の遺跡が復元されている。 この場所には複数の家屋が復元されているけれども,これは,一家族が居住した区画を復元したものだそうだ。現代においても地方の豪農の中にはか…
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塩尻市:平出遺跡(その1)

過日,平出歴史公園,平出の泉とその周辺を見学した後,伊夜彦神社を参拝し,そして,平出遺跡(長野県塩尻市宗賀)を見学した。 平出遺跡は,縄文時代から平安時代にかけての大規模な集落跡遺跡であり,史跡公園としてかなり丁寧に整備・保存・管理されている。これまで見てきた史跡公園の中では,文句なしにトップクラスにランクする良好な管理状況にある史跡…
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塩尻市宗賀:伊夜彦神社

過日,平出歴史公園,平出の泉とその周辺を見学した後,伊夜彦神社(長野県塩尻市宗賀)を参拝した。祭神は,天香護山命。 由緒書によれば,元は水神社だったけれども,後に弥彦神社を勧請し,現在の神社になったものとのこと。平出の泉とそこから流れ出る渋川を鎮護するための神社という意味合が強い神社なのだろう。古代からそのような祭祀があったのかもしれ…
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塩尻市:平出歴史公園(その3)

過日,平出歴史公園(長野県塩尻市宗賀)を見学した。 平出歴史公園の敷地中には平出古墳群があり,平出歴史公園の北東の方には平出の泉と平出遺跡がある。これらの遺跡等からの出土物は,平出歴史公園の入口にある塩尻市立平出博物館で保存・展示されている。 平出古墳群を見学した後,平出の泉とその周辺を見学した。平出の泉は,塩尻市立平出博物館の北東…
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塩尻市:平出歴史公園(その2)

過日,平出歴史公園(長野県塩尻市宗賀)を見学した。 平出歴史公園の敷地中には平出古墳群があり,平出歴史公園の北東の方には平出の泉と平出遺跡がある。これらの遺跡等からの出土物は,平出歴史公園の入口にある塩尻市立平出博物館で保存・展示されている。 平出古墳群は,尾根上に並んでおり,尾根の下の方(北側)から上の方(南側)に向かって,順に3…
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塩尻市:平出歴史公園(その1)

過日,平出歴史公園(長野県塩尻市宗賀)を見学した。 平出歴史公園の敷地中には平出古墳群があり,平出歴史公園の北東の方には平出の泉と平出遺跡がある。これらの遺跡等からの出土物は,平出歴史公園の入口にある塩尻市立平出博物館で保存・展示されている。博物館の担当者の対応はとても親切だった。平出遺跡発掘70周年記念の企画展の展示内容を見学するこ…
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前橋市小島田町:神明宮と木瀬村6号墳と木瀬村7号墳

過日,木瀬村6号墳と木瀬村7号墳(群馬県前橋市小島田町)を見学した。 木瀬村6号墳と木瀬村7号墳の間に小島田公民館があり,その敷地内に神明宮があったので,まず,神明宮を参拝した。 この神明宮の社殿所在地は,元は古墳または塚だったのではないかと思った。 木瀬村7号墳は,小島田公民館及び神明宮の鳥居の南東側にある。柵で囲われており,施…
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前橋市堀之下町:正圓寺と古墳

過日,天台宗・施無畏山延命院正圓寺(群馬県前橋市堀之下町)を参拝した。本尊は, 聖観世音菩薩地蔵菩薩と地蔵菩薩(古代本尊)。 正圓寺は,新上州観音霊場第32番札所となっている。 上胡氏との関係が深い寺院とされている。 正圓寺の本堂裏側(北側)には,古墳がある。この古墳は,正円寺古墳と呼ばれ,全長約70m,後円部直径46.5m,前方…
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前橋市文京町:前橋二子山古墳

過日,前橋二子山古墳(群馬県前橋市文京町)を見学した。 前橋二子山古墳は,前橋1号墳または天川二子山古墳とも呼ばれ,墳丘全長104m,後円部直径72m・後円部高さ11m,前方部幅76m・前方部高さ9.5mで,大きな周溝をもち,前方部を西の方に向けた二段築成の前方後円墳とされている。 前橋二子山古墳の被葬者に関しては,上野国那波郡朝倉…
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今朝の朝焼けの中の虹

妻が「虹が出ている」と言うので,ベランダに出てみた。 小雨がぱらつき,東方は朝焼けになっている。西方を見ると,綺麗に虹が出ていた。 「これはご褒美のようなものだ」と自分勝手に解釈することにした。
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前橋市広瀬町:前橋天神山古墳

過日,前橋天神山古墳(群馬県前橋市広瀬町)を見学した。 前橋天神山古墳は,上川淵村71号墳とも呼ばれ,全長129m,後円部直径75m・後円部高さ9m,前方部幅68m・前方部高さ7m,3段築成という稀に見るまことに見事な前方後円墳だった。造成工事のために大部分が掘削されており,現況としては,後円部の中心付近だけが方墳状に保存されているよ…
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前橋市朝倉町:八幡山古墳

過日,八幡山古墳(群馬県前橋市朝倉町)を見学した。 八幡山古墳は,上川淵村67号墳とも呼ばれ,墳丘全長130m,後方部幅72m・後方部高さ12m,前方部幅59m・前方部高さ8mの前方後方墳とされている。4世紀に築造された古墳と考えられており,現在のところ,東日本で最大の前方後方墳とされている。元は墳丘全体に河原石の葺石があったと推定さ…
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前橋市広瀬町:飯玉神社と古墳

過日,飯玉神社(群馬県前橋市広瀬町)を参拝した。主祭神は,保食命。 二の鳥居及び三の鳥居の額には「正一位飯玉大明神」と記されており,拝殿の額には「飯玉大明神」と記されている。 飯玉神社は,平安時代の『上野国神名帳』に記されている毛野明神と同一社として理解されている。とても古い神社ということになるが,おそらく,古墳時代から何らかの祭祀…
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前橋市山王町:金冠塚古墳

過日,金冠塚古墳(群馬県前橋市山王町)を見学した。 金冠塚古墳は,つばき公園の中にある。その周囲は住宅街となっている。 説明板によると,金冠塚古墳は,上陽村14号墳または山王二子山古墳とも呼ばれ,全長52.2m・後円部直径32.3mの二段築成の前方後円墳とされている。金銅製の冠が出土したことから,金冠塚古墳という名称に統一されたらし…
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前橋市山王町:文珠山古墳と阿弥陀山古墳

過日,文珠山古墳と阿弥陀山古墳(群馬県前橋市山王町)を見学した。 文殊山古墳及び阿弥陀山古墳の詳細に関しては,前橋市教育委員会「文珠山古墳」(1996年)にまとめられている。これによると,一部発掘調査の結果,石田式土器と墳丘面の葺石等が発見されているとのこと。 文珠山古墳と阿弥陀山古墳は隣接して並んでおり,文珠山古墳の南西側裾付近と…
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前橋市山王町:禅養寺

過日,天台宗・日吉山禅養寺(群馬県前橋市山王町)を参拝した。 禅養寺の歴史及び文化財に関しては,前橋市教育委員会「文化財調査報告書 第26集」(平成7年)の中で丁寧にまとめられている。この報告書によると,禅養寺は,貞観 2年 (860年)に慈覚大師がこの地に来て山王七社を祀り,伽藍を創建したのがはじまりとのことなので,日枝神社と共に古…
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前橋市山王町:日枝神社と古墳

過日,日枝神社(群馬県前橋市山王町)を参拝した。主祭神は,大山咋命。 貞観2年(858年)に日吉山王大権現を祀ったのが始まりの神社で,明治時代の神仏分離により日枝神社と改称し,現在に至っているとのこと。 拝殿の額には「山王宮」と記されている。 明治時代に近隣の神社を合祀している。 社殿は大変立派なもので,綺麗に彩色されている。境…
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ひたちなか市:磯合古墳群と赤坂稲荷古墳

過日,磯崎東古墳群を見学した後,磯合古墳群(茨城県ひたちなか市磯崎町)の所在地付近を散策した。 磯合古墳群は,多数の円墳で構成される古墳群だったようなのだけれども,その全体像は必ずしも明確とは言えない。 現在「磯合古墳群」と呼ばれている古墳群は,那珂湊市教育委員会「那珂湊市遺跡分布調査報告書」(昭和51年10月)では,「磯崎古墳群Ⅱ…
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ひたちなか市:磯崎東古墳群再訪(その5)

過日,磯崎東古墳群(茨城県ひたちなか市磯崎町)を再訪した。 酒列磯前神社の境内地にある古墳の一部を見学した後,ホテルニュー白亜紀の南側にある公園内にある古墳を見学した。 ホテルニュー白亜紀の建物のすぐ南側には磯崎灯台がある。 ホテルニュー白亜紀の建物と磯崎灯台との間にある道路は,灯台所在地付近から崖を下る階段となっている。そのあた…
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ひたちなか市:磯崎東古墳群再訪(その4)

過日,磯崎東古墳群(茨城県ひたちなか市磯崎町)を再訪した。 酒列磯前神社の境内地にある古墳の一部を見学した後,ホテルニュー白亜紀の南側にある公園内にある古墳を見学した。 磯崎東28号墳の南東に磯崎東27号墳(旧15号墳)がある。那珂湊市教育委員会「那珂湊市遺跡分布調査報告書」(昭和51年10月)の41頁にある測量図と照合してみると,…
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ひたちなか市:磯崎東古墳群再訪(その3)

過日,磯崎東古墳群(茨城県ひたちなか市磯崎町)を再訪した。 酒列磯前神社の境内林内から南の方は,磯崎東20号墳~磯崎54号墳の所在地となっている。酒列磯前神社の境内地にある古墳の一部を見学した後,その多くは既に湮滅している。復元古墳かもしれないものを含め,現況で墳丘と認識可能なものを見学して回った。 ホテルニュー白亜紀(元国民宿…
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ひたちなか市:磯崎東古墳群再訪(その2)

過日,磯崎東古墳群(茨城県ひたちなか市磯崎町)を再訪した。 磯崎東5号墳所在地付近の北東の方は,下り坂となっており,分岐点付近からコンクリートで固めた擁壁の上に墳丘のようなものが幾つか見える。その場所は,酒列磯前神社の境内林内なので墳丘に登ることができない。そのため,詳密に見学したわけではないので確実ではないけれども,たぶん,擁壁に向…
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ひたちなか市:磯崎東古墳群再訪(その1)

過日,磯崎東古墳群(茨城県ひたちなか市磯崎町)を再訪した。 那珂湊市教育委員会「那珂湊市遺跡分布調査報告書」(昭和51年10月)の41頁には旧磯崎古墳群の分布図と簡単な解説がある。その解説によると,「比較的原形をとどめていた群集墳であったが,国民宿舎の建設により破壊消滅した」と記されている。この記載をそのまま受け止めると,現存する墳丘…
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水戸市六反田町:六地蔵寺と古墳

過日,真言宗・倶胝密山聖宝院六地蔵寺(茨城県水戸市六反田町)を参拝した。本尊は,地蔵菩薩。 下記の六地蔵寺のサイトによると,六地蔵寺は,大同2年(807年)開基の古い寺院で,室町時代の永享元年(1429年)に、宥覚上人によって中興され,大掾氏,佐竹氏,水戸徳川家からも保護を受けてきたとのこと。 六地蔵堂の堂宇は,どれも立派なものばか…
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つくば市玉取:千手堂と古墳

過日,千手堂(茨城県つくば市玉取)を参拝した。 玉取の千手堂は,つくばメモリアルホールの北西にあり,千手堂の南東には(いばらきデジタルマップ上において)玉取古墳群の所在地となっている八幡神社(八幡宮)がある。ただし,記録に混乱が存在する可能性がある。 玉取の千手堂は,千手観音堂とも呼ばれているようなのだが,御堂の額には「千手堂」と記…
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