茅野市:諏訪大社上社前宮(その2)

過日,信濃國一之宮諏訪大社の上社前宮(長野県茅野市宮川)を参拝した。
諏訪大社には上社の本宮と前宮,下社の秋宮と春宮がある。ちゃんと参拝したのは今回が初めて。全て参拝したいと思っている。
前宮の社殿奥は,祭神である八坂刀賣命の墓所とされている。かつては高塚があったのだろうと思う。現在,その場所には巨木が立っている。

前宮の周辺には幾つかの古墳が残されており,前宮境内の案内板にも図示されている。ただし,この案内図だけではちょっとわかりにくい。
前宮を参拝した後,事前に調べておいたところに従い,前宮周辺の主要な古墳を順に見学することにした。

前宮の一之御柱の南東約50mのところに樋沢古墳がある。一之御柱のすぐ下あたりから南東に分岐する小路があり,そこを少し下ると,水路沿いに墳丘と案内表示等が見えてくる。
樋沢古墳は,直径9m・高さ3mの円墳であり,茅野市内では最大の古墳とのことで,7世紀頃に築造された古墳と考えられている。横穴式石室があり,開口しているらしいのだけれども,私が訪問した時には石室開口部付近には草が密生しており,よくわからない状態となっていた。
この古墳の築造時期こそが古代の諏訪氏の履歴を知る上での決め手になるのではないかと思う。倭国(日本国)全体の歴史と中国の歴史とを同期させてみると,隋帝国から唐帝国へとなり,白江(白村江)の闘いにおいて倭軍が唐軍に敗れた時期に相当する。

IMG_9600.JPG
樋沢古墳入口付近


IMG_9603.JPG
北の方から見た樋沢古墳


IMG_9604.JPG
南西の方から見た樋沢古墳


IMG_9606.JPG
説明板


樋沢古墳の南東約50mのところに芳久保古墳が所在することになっている。ただし,石室材の一部が露頭しているだけで,墳丘はないとのこと。近くまでアクセスする方法がよくわからなかったので,道路から見える範囲内で見学したけれども,草が生えていてよくわからなかった。
諦めて,一之御柱のところまで戻り,参道を下った。
交流センター前宮のあたりに御室社がある。御室社は,元は半地下式の施設であり,特殊な神事が行われたのだという。古墳石室を二次利用した施設に間違いないと思う。
一般に,古墳の石室は,完全に塞がれてしまうものが多いのだろうけれども,現在の墓参と同様,親族が参拝する時には扉が開かれ,祖の石棺を拝するようになっていたと推定される石室も少なくない。そのような石室は,最初から開口しており,後代に破られたものではない。朝廷の命などにより子孫が別のところに移動するときは,遺骨や石室内の主要な祭具も新たな屯田地に造営された墓所に移動させたのだろうと想像している。被葬者の子孫が疫病や戦乱等で滅び,祭祀や墓参が行われなくなると,石室が開口したまま,次第に何もなくなってしまうことになる。


IMG_9628.JPG
御室社


IMG_9626.JPG
御室社の説明板


御室社の近くには諏訪照雲頼重の墓がある。『太平記』の時代の人だ。その頃には,この墓の所在地付近が諏訪照雲頼重の館跡との伝承のある場所なのだが,当時,前宮の境内地とその周辺が広く館または砦として機能していたと思われる。


IMG_9632.JPG
諏訪照雲頼重の墓


諏訪照雲頼重の墓のある場所から北西の方に進むと,ほどなくして蛇塚古墳の所在地に至る。墳丘はなく,石室の残骸が残されているだけ。単なる直観的なものに過ぎないのだけれども,この場所も御室社だったのではないかとの印象を受けた。つまり,御室が複数存在した可能性があると思った。


IMG_9637.JPG
西の方から見た蛇塚古墳所在地


IMG_9642.JPG
北西の方から見た蛇塚古墳所在地


IMG_9638.JPG
蛇塚跡の説明板


鳥居脇の溝上社付近にも大きな石があり,ちょっと目には石室材の一部のように見えないこともない。



 古墳とかアレ:茅野市の古墳
 http://kofuntokaare.main.jp/7goufun/page040.html

 古墳探訪記:長野県茅野市宮川 樋沢古墳
 https://ameblo.jp/fookky/entry-12423450891.html

この記事へのコメント