塩尻市:平出遺跡(その3)

過日,平出歴史公園平出の泉とその周辺を見学した後,伊夜彦神社を参拝し,そして,平出遺跡(長野県塩尻市宗賀)を見学した。
史跡公園内の「古墳時代の村」という区画には,古墳時代の遺跡と建物ほか,桃園が復元されている。
建物は,首長クラスの者のものだそうだ。復元建物では,竈とその煙突部も復元されていた。千葉県立房総の村福島県文化財センター白河館まほろんで見た竈のことを考えると,古墳時代に確立された竈の技術は,その後,昭和の時代に至るまでほとんど変化することなく維持されてきたことを理解することができる。つまり,この様式は,最終段階まで完成された様式なのだろうと思われる。

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古墳時代の村の説明板


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古墳時代の村のある区画


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復元住居


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復元住居内の竈(復元)


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竈の外にある煙突部(復元)


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高倉(復元)


この区画の西側(史跡公園の西端)にも古墳時代の遺跡があり,11号住居址がそのまま展示されているほか,復元住居が展示されている。

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11号住居址


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住居址の説明板


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復元住居


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平出遺跡の説明板


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史跡平出遺跡の石碑


平出遺跡では桃園が再現されているが,桃園を営んだと推定される遺跡の例は他にもあり,最も有名な遺跡として纒向遺跡をあげることができる。

一般に,桃の栽培は,中国の文化であり,そもそも日本列島には桃が自生していなかったことが確実なので,中国大陸から直接に伝来した文化ではないかと考えられる。とはいえ,日本列島内においては,かなり古い時代の遺跡からも桃の種が出土している。

ところが,『魏書』の烏丸鮮卑東夷伝倭人条には,「其木有柟 杼 櫲樟 楺 櫪 投橿 烏號 楓香」とあるが,「不知以爲滋味」とも注記されている。倭人条には「桃」の記載はない。「桃支」との記述があるが,これは竹の一種であり,桃ではない。
邪馬台国の支配圏内における桃及びその栽培は,他の地域とは異なり,邪馬台国と魏(晉)との関係を通じて邪馬台国支配圏内にもたらされたものではないかと考えられる。
桃は,古墳当時においては極めて貴重な果実を得ることができ,また,『詩経』の「桃夭」にもあるとおり,その花もとても美しいものであるとされた樹木であったがゆえに,纏向遺跡でも祭祀遺構と推定される大型建物遺跡の近くなどで発見されたのだろう。

現代の日本では,桜が桃にとって代わってしまっている。しかし,古代においては,桃が桜のような存在だったと思われる。

彌彦神社(新潟県西蒲原郡弥彦村)の祭神は,天香山命であり,伊夜比古大神・伊夜彦大神と呼ばれることもある。諸説あるが,天孫族として理解する見解が多い。
異なる時代の出来事とはいえ,彌彦神社を勧請して平出の伊夜彦神社が創建されたのは,(仮にそれが偶然のことであったとしても)この地における古代の歴史と全く無縁のことではないのだろうと思った。

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