日立市:田楽鼻古墳

過日,田楽鼻古墳(茨城県日立市大みか町)を見学した。
田楽鼻は,鋭角的な三角形の岬状の場所であり,それを古墳だと知っている人でも普通に前方後円墳だと思ってしまうような形状をしている。
しかし,日立市教育委員会編『茨城県日立市埋蔵文化財分布地図』(1985)の124頁には,田楽鼻古墳は,円墳であり,「海蝕により,横穴式石室が露出している」と記されている。佐々木憲一・田中裕編『続常陸の古墳群』(六一書房)の79頁には,田楽鼻古墳に関し,「海食により消滅」と記されているので,既に湮滅した古墳という扱いのようだ。崖地なので確認しようがないのだが,推測では,横穴式石室は既に存在しないのだろうと思う。
田楽鼻古墳のすぐ北には,既に湮滅している2基の古墳で構成される六ッヶ塚古墳群があり,その西には甕の原古墳群がある。更にその北の方には水木古墳群がある。
大きな古墳を造営するためには崖地ぎりぎりでは物理的に建設不可能なので,海蝕による自然崩落の範囲が相当大きく,1500年前には現在よりもかなり東側の方に崖地があったと推定されることから,現在では海水面になっている部分を含め,非常に広大な台地の上に多数の古墳が群れをなして造営されていたと想像される。そして,それらの古墳のかなりの部分が既に崖地の海蝕による自然崩壊によって消滅してしまっている可能性がある。

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北の方から見た田楽鼻


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南の方から見た田楽鼻


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田楽鼻付近から見た日立灯台


ちなみに,海蝕は現在でも進行中なので,現在から1500年後の未来においては,日立市大みか町の台地の何割かの部分が自然崩壊によって崩れ落ちて海水面となっているかもしれない。
考古学や歴史学の難しいところはこういうあたりにもあり,当時の地形を可能な限り復元推定する作業を前提作業として行わないと,古代の集落の規模・人口規模及び古代の交通経路等に関して不正確な認識を基礎とする誤った理論を構築してしまいかねないというおそろしさがある。
海浜に限らず,一般に,日本国の国土は,常に巨大な地殻変動・火山活動等が継続しているプレート集合地点の真上に位置しているし,山の自然崩落や(鉱山の採掘や農地の耕作を含め)人間の社会活動等により流出する土砂の低地における堆積も相当の規模に及んでいると思われる。それゆえ,最先端の数学や地質学等の関連諸科学を総合した過去の地形の復元推定という作業が必須だと考える。
試みに,『茨城県日立市埋蔵文化財分布地図』の109頁に示されている分布図を参考にして,Googleの航空写真上で古墳範囲(周溝があると仮定した場合の周溝外周までの最大範囲)をマッピングしてみると,下図のようになる。この推定からも,当時の海岸線は現在よりもずっと東の方(現在では海水面となっている場所)にあったと推測することが可能だろうと思う。


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円墳としての古墳範囲の推定図


[追記:2020年9月3日]

日立灯台のある古房地鼻から見れば田楽鼻古墳の東側部分が見えるのではないかと思い,出かけてみた。一応見えたので,ズームで写真を撮った。写真を見る限り,横穴式石室の一部がまだ残存している可能性があるのではないかと思った。
鮮明度の高い高性能望遠レンズを装着したカメラであれば,もっとはっきりとした写真を撮影できるのではないかと思う。


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