千葉県印旛郡栄町:千葉県立房総のむら(その1)

過日,千葉県立房総のむら(千葉県印旛郡栄町龍角寺)を見学した。
この施設は,龍角寺古墳群の所在地と同じ場所にあり,房総のむらの敷地内にも3基の古墳と多数の供養塚がある。
施設内には,過去の街並みを再現した区画があり,豪農の屋敷等の貴重な建物が再現されているほか,遊歩道の脇などに古い民俗文化が再現されている。
これらの展示物を見て回ると,つい最近まで古代~中世の生活がそのまま続いてたということを知ることができる。文化的な断絶と言えるような本質的な相違が発生したのは,経済成長期というよりも,デジタル革命の後と言ってよいかもしれない。そのようなことを考えながら,施設内をくまなく見て回った。
新型コロナの関係があるので,もともと来場者が少ないと推定可能な曜日を選んだ。実際には,想定以上に来場者が少なく,独り占め的に見学できた。そのことは,私にとっては幸運なことだったのだけれども,施設運営者にとっては苦難の日々なのだろうと思う。一日でも早く問題が解決することを心から願う。

IMG_7439.JPG
駐車場にある案内板


IMG_7437.JPG
ロケ写真館


IMG_7436.JPG
成田山新勝寺参道にあった旅館建物(移築)


IMG_7221.JPG
過去の街並みの再現


IMG_7434.JPG
御菓子処あまは屋
(最中がとても美味しい)


IMG_7222.JPG
古典朝顔の展示


IMG_7224.JPG
稲荷神社


IMG_7226.JPG



施設内には武家屋敷が移築・復元されている場所がある。
江戸時代末期の佐倉藩中級武士の屋敷ということで,現代の居住空間から考えると狭いと思われるかもしれないが,当時の普通の人々の生活を考えると,立派な御屋敷だと言えると思う。
床の間に甲冑と大小の刀が飾ってあった。時代はかなり異なるが,古墳時代の武人もまた,やや大型の竪穴式住居に住んでいたという相違はあるけれども,江戸時代の武士と同じように甲冑と直刀を置く棚のようなものを設け,桁のような場所に槍や弓矢を備え,毎日手入れをしていたのではなかろうかと想像した。細部は大きく異なるかもしれないけれども,武人の基本的な生活様式は古墳時代から変わらなかったと推測される。長者(頭領)に従う地侍(武人)の集団という組織構造が根本的に変革され,兵士が国家軍司令官の指示・命令だけに服する体制となったのは,西欧列強に対抗し,植民地化を避けるために国家軍を創立しなければならなくなった明治維持後のことだと考えられる。この文脈においては,ナポレオン1世とアメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンが世界に与えた影響は,極めて大きい。彼らによって,貴族(諸侯)の長者(頭領)とその私兵的な兵士(武人)の集合という軍構成が時代遅れのものとなった。そのような旧式の軍構成の私物的体質を最後まで残したのは,清朝末期の軍閥ではないかとも考えられ得る。
日本史の通説によると,武士の発生は,律令体制が次第に崩れて荘園が発生した後の時代ということになっている。しかし,根本的に間違いだと思う。武人の基本的な生活様式と社会的役割は,古墳時代からずっと連続している。異なるのは,当該地域において名実共に支配者であったかどうかだけだと思う。
そもそも神武天皇は,親征により武力攻略を断行したことになっている。統一国家としての日本国(倭国)は,最初から武家社会として誕生したと考えるのが妥当だ。聖徳太子は,自ら武装して物部氏と戦闘し,物部守屋とその一党を滅ぼしたということになっている。中臣鎌足は,自ら武装し,蘇我入鹿を殺害したとされている。その後の時代における藤原氏にしても,平氏にしても,源氏にしても,基本的には全て武家貴族であるし(本来は武家であることを忘れてしまった貴族の一族は,その後,衰滅した。),寺院でさえ僧兵を蓄えて武装していたので,そのようなものとして日本史を考えなければならない。神話であるのか史実を反映するものであるのかは不明だが,天照大神は,素戔嗚尊との間の誓約の際,完全武装している。
一般に,いわゆる唯物史観なるものは,全共闘の時代には圧倒的に支配的な見解だったかもしれないが,冷静に考えれば教条主義の一種に過ぎず,いかなる構成要素に関しても証拠により実証できないという意味で少しも唯物的ではないので,名と実とが一致しない。廃棄されるべき理論だと理解している。


IMG_7229.JPG
入口付近


IMG_7230.JPG
玄関


IMG_7232.JPG
床の間と甲冑


IMG_7235.JPG
神棚と仏壇


IMG_7237.JPG
縁側


武家屋敷の少し先の山林の中を通る遊歩道脇に古墳がある。
この古墳は,龍角寺古墳群の79号墳と呼ばれ,直径15mの円墳とされている。
まだ暑い日が続いている時期で草が繁っており,マムシ等の蛇に注意との掲示があちこちにあったので,墳丘近くにアクセスせず,遊歩道から見学するだけにとどめた。


IMG_7248.JPG


IMG_7246.JPG



 千葉県立房総のむら
 http://www2.chiba-muse.or.jp/MURA/

この記事へのコメント