神栖市高浜:三渡神社

過日,日本武尊ゆかりの三渡神社(茨城県神栖市高浜)を参拝した。
多数の境内社があり,また,三渡神社と並んで水神社がある。
三渡神社の鳥居と参道の位置(配置)はちょっと変わっているけれども,古代の地形・地理という制約条件によってこのようなものとなっているのだろう。
一の鳥居脇に立てられている説明板によると,三渡神社の所在地付近は,明治時代頃まで入江であり,海上交通上の重要地点であったことが窺われる。三渡神社の所在地及びその周辺が古代においても政治上・軍事上の重要性の非常に高い場所だったことは疑いない。
なお,三渡神社の近くには白鳥神社(茨城県神栖市田畑)があり,また,重要な遺跡もあるのだが,三渡神社を参拝した時にはアクセスの方法がよくわからず,参拝と探訪を断念した。再度の機会を得ようと思う。
三渡神社及び白鳥神社は,廣福寺の周辺を所在地とする芝崎古墳群等の遺跡とも関係する神社なのではないかと想像する。三渡神社は,廣福寺の北西約600mのところに位置している。

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三渡神社の一の鳥居


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三渡神社の参道


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三渡神社の二の鳥居


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三渡神社の社殿


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三渡神社の説明板


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三渡神社の境内社


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三渡神社の境内社


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三渡神社の境内社


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三渡神社の境内社


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三渡神社の境内社


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三渡神社の境内社


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水神社の鳥居


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水神社


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水神社の境内社


一般に,神社のもつ政治上・経済上・軍事上の役割に関しては,過去の地形・地理に関する知識なしには理解できない部分が多い。特に,関東地方に関しては,古代においてはかなりの部分が(古代の東京湾や古代の霞ヶ浦を含め)水面だったという事実(より正確には,現代のような治水が存在しないので,河川の流路がしばしば変化し,潜在的河川敷や沼沢地が非常に多かったという事実)を知らないと,古代の港湾都市や港湾施設の所在地を知ることができないし,港湾から伸びる古代の街道のもつ意味を理解することもできない。そして,そのような地理的条件という制約条件の下で成立可能な産業構造や社会構造を推理することもできない。
更に正確には,大規模地殻変動に伴う土地の隆起・沈降が大規模に生じた地域が存在すること,榛名山等の大規模に伴う火砕流や土石流によって大きく地形が変化した場所の範囲もかなり広いということも知らなければならない。
このことは,関東平野だけに限らない。例えば,会津地方では会津磐梯山の大規模噴火や大地震等により,地形が大きく変化したことが知られているし,関西では,大阪周辺の大部分が水面下だったことも広く知られている。愛知県の平野部も同様に考えることができる。
非常に大規模な自然災害等が発生した場合,あるいは,戦争等の軍事攻撃によりインフラが破壊された場合,治水が不可能となり,古代の地理的条件に近い状態に戻る可能性は常にある。河川や海の水流・波浪による浸食作用は,普通の人々が想像するよりもずっと強力なものだ。

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