常陸太田市大方町:鹿島神社と古墳
2020年4月初旬(緊急事態宣言発令前)のことだが,鹿島神社(茨城県常陸太田市大方町)を参拝した。
鹿島神社は,大方台と飛ばれる岬状の台地の南西端付近にある。この台地は,全体として遺跡包蔵地となっており,かつては多数の古墳が存在した。鹿島神社は,台地の西を南北に流れる浅川を見下ろす位置に所在しており,境内東側には台地に登る街道が古くから存在したと思われることから,浅川を航行する船舶を仔細に監視できる場所に位置していると言える。軍事上・政治上,極めて重要な場所であったことは疑いようがない。
鹿島神社の境内及びその周辺には古墳がある。金砂郷村史編さん委員会編『金砂郷村史』(平成元年)の85~92頁によれば,境内にある古墳は,大方鹿島神社古墳と呼ばれ,元は直径約30m・高さ約7mの円墳だったと推定されている。鹿島神社の社殿建築のため,墳丘の南側約3分の1ほどが掘削されている。墳丘からは人物埴輪・器材埴輪・円筒埴輪が大量に収集されているので,相当高位の武人の墓所だったのではないかと想像される。『金砂郷村史』(平成元年)の85頁によれば,墳丘の南東部に石室材と思われる石が露頭しているとのことなのだが,よくわからなかった。本殿右手の境内社付近に石材が幾つかあるので,それを指すものかもしれない。仮にそうだとすれば,石室は,社殿造営のために既に完全に破壊されているものと推測される。石室からの出土物の存否・所在共に不明。
鹿島神社は,大方台と飛ばれる岬状の台地の南西端付近にある。この台地は,全体として遺跡包蔵地となっており,かつては多数の古墳が存在した。鹿島神社は,台地の西を南北に流れる浅川を見下ろす位置に所在しており,境内東側には台地に登る街道が古くから存在したと思われることから,浅川を航行する船舶を仔細に監視できる場所に位置していると言える。軍事上・政治上,極めて重要な場所であったことは疑いようがない。
鹿島神社の境内及びその周辺には古墳がある。金砂郷村史編さん委員会編『金砂郷村史』(平成元年)の85~92頁によれば,境内にある古墳は,大方鹿島神社古墳と呼ばれ,元は直径約30m・高さ約7mの円墳だったと推定されている。鹿島神社の社殿建築のため,墳丘の南側約3分の1ほどが掘削されている。墳丘からは人物埴輪・器材埴輪・円筒埴輪が大量に収集されているので,相当高位の武人の墓所だったのではないかと想像される。『金砂郷村史』(平成元年)の85頁によれば,墳丘の南東部に石室材と思われる石が露頭しているとのことなのだが,よくわからなかった。本殿右手の境内社付近に石材が幾つかあるので,それを指すものかもしれない。仮にそうだとすれば,石室は,社殿造営のために既に完全に破壊されているものと推測される。石室からの出土物の存否・所在共に不明。
鹿島神社社殿の西側隣地には比較的大きな塚のようなものがある。これが古墳なのかどうかはよくわからない。単なる土塊かもしれない。
また,鹿嶋神社のすぐ北側の道路脇には庚申塔・聖徳太子碑・御堂などがある。その前で合掌した。
明治時代の神仏分離令の結果,こういうことになっているのではないかと思われる。
明治時代の神仏分離令の結果,こういうことになっているのではないかと思われる。
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