佐野市:赤城神社

過日,赤城神社(栃木県佐野市植下町)を参拝した。祭神は,彦狭島王命・日本武命。赤城大明神(大國主神・磐筒男神・磐筒女神・経津主神)とは異なる。
赤城神社の社殿は,とても立派なものだった。境内には多数の境内社がある。
赤城神社の周辺には幾つかの古墳がある。赤城神社は,非常に古い時代からそれらの古墳の被葬者を守護・供養するための施設だったと想像される。赤城神社の祭神から推定すると,それらの被葬者は,朝廷の命によりこの地に屯田し,支配した武人及びその子孫と考えるのが妥当と思われる。
なお,赤城神社の鳥居は銅製とのこと。また,拝殿脇には天明鋳物銅製神鈴というものがある。いずれも江戸時代につくられたもので,その技術の凄さには驚かされる。「赤城」は「銅(あかがね)」に由来するという趣旨なのだろうか。

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参道と階段


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鳥居


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拝殿


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本殿


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天明鋳物銅製神鈴


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銅製鳥居と銅製神鈴の説明板


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境内社(織姫神社)


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境内社(神明宮)


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神楽殿


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境内社


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境内社


現代の出来事になるが,第二次世界大戦当時,赤城神社周辺には本土決戦のための戦車の格納施設があり,それらの戦車を運用するための戦車部隊が駐屯していたとのこと。作家の司馬遼太郎氏も戦車部隊兵員の一員としてこの地に居住していたらしい。
しかし,当時の日本軍の戦車はかなり陳腐なもので,米軍の艦上攻撃機の機銃やロケット弾等によって簡単に破壊されるレベルのものだったと考えられるから,制空権を喪失した状態では本土決戦など到底無理なことなので,国内の反乱等を抑止しつつ時間稼ぎをし,その間に支配層の維持継続のための交渉をするための(国民向けの)宣伝工作・心理工作の一種に過ぎなかったと考えられる。
平和な時代に生まれて良かったと心から思った。

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戦車部隊の説明板

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