石岡市:ふるさと歴史館と舟塚山9号墳箱式石棺

過日,石岡市ふるさと歴史館(茨城県石岡市総社)を訪問し,歴史館の前に移設展示されている舟塚山9号墳出土の箱式石棺と歴史館内に展示されている瓦等を見学した。歴史館は,石岡小学校に隣接する場所にある。この石岡小学校の敷地全体が,かつては常陸国国府の存在した場所であったようだ。

常陸国国府の説明板
常陸国国府の説明板


歴史館前の屋外に移設展示されている箱式石棺からは追葬による2体の人骨が見つかったそうだ。

舟塚山9号墳出土の箱式石棺
舟塚山9号墳出土の箱式石棺


舟塚山9号墳出土の箱式石棺
説明板


現在の仏式の墓でも,個人別に墓をつくるのではなく,先祖代々の墓の墓室内にお骨を追葬することがしばしば行われる。また,現在の墓の大部分は石材またはコンクリートで構築されおり,古代の石室と基本的には変わらない。現代では墓石を墓室の上に立てるが,墓石を土盛りに見立てれば,基本的には古代の円墳または方墳と同じプランに基づくものだと考えることもできる。古代の古墳において墓石や墓誌がほとんど見つからないのは,そもそも一定の高い地位になければ立派な墓所をつくれなかったと推定されることを前提にすれば,当地の人々にとってどの墳丘が誰の家系の者のためのものであったのかが明らかだったので,文字によって示す必要性がなかったと考えることもできる。過去において墓誌が存在していても,何らかの政治的理由等により破壊または除去されてしまったという例もあったかもしれない。あるいは,当時において文字が何らかの呪術的意味をもつと理解されて墓所に持ち込むことを忌避する考えがあったかもしれず,あるいは,中国流に支配者(君主)の名との重複が事後的に発生してしまうことによる政治的問題の発生を事前に予防するために文字を示さないという配慮があったかもしれない。加えて,現代考えられているような意味での姓や氏が明確ではなく,例えば,『旧約聖書』においてもアダムの正当な子孫を示すために「***の子孫である***の子孫・・・・」というような系図的な表現を用い,それを暗記していたのかもしれず,そのようにして家系というものを観念する場合には現代において理解されているような意味での「**家」を示す墓石が成立する余地がない。そして,現代では墓の数が激増してしまったので,墓石に文字を刻まないと識別できなくなるというだけのことかもしれない。それゆえ,現代人は,古代と同じような葬礼を現代でも続けていると理解することが可能だろう。

歴史館の建物内には,石岡市とその周辺で発掘された遺物や国分寺の復元模型等が展示されていた。展示されている出土品の点数は多いとは言えないが,特に瓦の展示は興味深いもので,とても勉強になった。

ふるさと歴史館
出土品の展示


ふるさと歴史館
常陸国分寺復元模型


石岡市内の遺跡や旧跡等を見学して回る場合,駐車場のないところも少なくないので,JR石岡駅まで電車で行き,駅前にある観光案内所で無料の見学行程パンフレットをもらい,それに書いてある地図に従って徒歩で見て回るかのが合理的ではないかと思う。ただし,国分尼寺は少し離れた場所にあるので,健脚ではない人はタクシー等の利用を考えたほうが良いかもしれない。

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