かすみがうら市:志戸崎横穴群とその周辺
過日,志戸崎横穴群(茨城県かすみがうら市坂)を見学した。
志戸崎横穴群は,歩崎公園駐車場のすぐ北西にある小山の山裾にあり,2基の横穴墓で構成されている。どちらの横穴墓も現存部分は幅1mほどの小規模なもので,1号横穴は1965年に発掘調査が行われ,人骨と鉄鏃が発見されたようだ。その発掘調査報告書を入手していないので,現地のどちらの横穴が発掘された横穴なのかはわからない。それにしても,よく残されたものだと感心した。
なにしろ,志戸崎横穴群の近くにある天神山古墳(直径16.3m・高さ3mの円墳),後久保古墳(直径26m・高さ8mの円墳),長峯古墳(直径18.5m・高さ1mの円墳)の所在地に行ってみたけれども,天神山古墳と長峯古墳は既に湮滅しているようで墳丘らしきものが存在せず,後久保古墳は比較的最近造成されたと思われる民家敷地内にあるか,または,既に湮滅しているように見え,がっかりしたところだった。
[追記:2020年6月7日]
かすみがうら市歴史博物館の敷地とその周辺は,4基の古墳で構成される乳母神古墳群の所在地となっている。しかし,1号墳と2号墳はだいぶ昔に湮滅しているようで墳形もわからなくなってしまっている。4号墳は,円墳だったらしいのだが,1996年に発掘調査された後に湮滅した。3号墳は,かすみがうら市歴史博物館の西約200mのところにある畑が所在地であり,直径8m・高さ0.5mの円墳とされているのだが,現時点では湮滅しているのではないかと思われる。
志戸崎横穴群は,歩崎公園駐車場のすぐ北西にある小山の山裾にあり,2基の横穴墓で構成されている。どちらの横穴墓も現存部分は幅1mほどの小規模なもので,1号横穴は1965年に発掘調査が行われ,人骨と鉄鏃が発見されたようだ。その発掘調査報告書を入手していないので,現地のどちらの横穴が発掘された横穴なのかはわからない。それにしても,よく残されたものだと感心した。
なにしろ,志戸崎横穴群の近くにある天神山古墳(直径16.3m・高さ3mの円墳),後久保古墳(直径26m・高さ8mの円墳),長峯古墳(直径18.5m・高さ1mの円墳)の所在地に行ってみたけれども,天神山古墳と長峯古墳は既に湮滅しているようで墳丘らしきものが存在せず,後久保古墳は比較的最近造成されたと思われる民家敷地内にあるか,または,既に湮滅しているように見え,がっかりしたところだった。
ちなみに,長峯古墳所在地付近の現況は道路になっている。道路拡張工事のために墳丘が掘削されたのではないかと考えられる。西側の崖下から見ると墳丘が残っているようにも見えるけれども,これは自然の山の尾根先端部分の残存物であり,その尾根上に墳丘があったのではないかと思われる。
これらの古墳のある台地の上にかすみがうら市歴史博物館がある。移動制限解除後も施設の閉鎖が続いてたので,施設内の展示を見ることはできなかったが屋外展示の有形民俗文化財帆引き船展示施設にはアクセスできたので,そこに展示されている帆引き船を見学した。
この施設の角地(交差点付近)に「佐賀村役場新築記念碑」が立てられていた。佐賀村は,明治22年に坂村と田伏村が合併してできた村だったのだが,昭和30年に 下大津村・美並村・牛渡村・安飾村・志士庫村・佐賀村が合併して出島村となったために廃止された。出島村は,出島町に町名変更した後,町村合併によりかすみがうら市の一部となっている。
「佐賀村役場新築記念碑」は,佐賀村当時の村役場前に立てられていたものではないかと思われる。
「佐賀村役場新築記念碑」は,佐賀村当時の村役場前に立てられていたものではないかと思われる。
[追記:2020年6月7日]
かすみがうら市歴史博物館の敷地とその周辺は,4基の古墳で構成される乳母神古墳群の所在地となっている。しかし,1号墳と2号墳はだいぶ昔に湮滅しているようで墳形もわからなくなってしまっている。4号墳は,円墳だったらしいのだが,1996年に発掘調査された後に湮滅した。3号墳は,かすみがうら市歴史博物館の西約200mのところにある畑が所在地であり,直径8m・高さ0.5mの円墳とされているのだが,現時点では湮滅しているのではないかと思われる。
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