栃木県鹿沼市藤江町~栃木県下都賀郡壬生町:藤江古墳群

2020年3月中旬のことだが,藤江古墳群(栃木県鹿沼市藤江町~栃木県下都賀郡壬生町)の残存古墳を見学した。
壬生町史編さん委員会編『壬生町史 資料編 原始古代・中世』(昭和62年)の363頁によれば,藤江古墳群は,壬生町の羽生田地区~鹿沼市の藤江地区にまたがって所在しており,藤江1号墳は,壬生町の北東端付近の段丘縁上に所在し,鹿沼市藤江地区内に藤江2号墳~12号墳が所在するものとしている。鹿沼市編さん委員会編『鹿沼市史 前編』(昭和43年)の88頁は,藤江古墳群が鹿沼市藤江地区内のみに所在するとした上で,編纂当時における残存古墳数を7基と記している。『鹿沼市史 前編』を基礎とする鹿沼市史編さん委員会編『鹿沼市史 資料編 考古』(平成13年)の249~252頁は,現存古墳を11基としており,湮滅した古墳を含めた古墳群全体の古墳数を20基前後と推定している。まことに残念なことにも,地方自治の独立の原則の硬直的な墨守のゆえに,鹿沼市教育委員会と壬生町教育委員会との間で連絡調整が行われることはなかったようで,現状では,異なる2種類の古墳群リストが併存したままという状態となっている。
一般に,自治体警察レベルでは,広域重大犯罪に対処するために異なる自治体警察間の相互連携が進んできているが,文化財行政に関しては,必ずしもそうではない。
以上の結果,藤江1号墳は2基存在することとなってしまっているほか,2号墳以下の古墳の付番も異なったものとなってしまっている。それらの付番の対応関係を調べることは,現在となっては非常に困難な作業ではあるけれども,試みに,『壬生町史 資料編 原始古代・中世』に添付されている「壬生町遺跡分布図2(古墳・城館跡)」に示された配置図及び『壬生町史 資料編 原始古代・中世』363頁の記述と『鹿沼市史 資料編 考古』の252頁の配置図及び記述とを照合してみると,概ね以下のようになると思われる。なお,今回見学した結果を踏まえ,現況も付しておく。

   壬生町史   鹿沼市史   現況
   1号墳    -      現存
   2号墳    -      湮滅?
   3号墳    5号墳    湮滅
   4号墳    4号墳    湮滅
   5号墳    2号墳    湮滅
   6号墳    3号墳    湮滅
   7号墳    7号墳    現存
   8号墳    -      湮滅
   9号墳    10号墳    現地に行かなかったので不明
   10号墳    9号墳    現地に行かなかったので不明
   11号墳    -      湮滅
   12号墳    -      湮滅
   -      1号墳    現存
   -      6号墳    現存?
   -      8号墳    湮滅?
   -      11号墳    現地に行かなかったので不明
   -      12号墳    湮滅
   -      13号墳    湮滅

このブログ記事では,混乱を避けるため,壬生町羽生田地区に1基だけある古墳を「羽生田地区の藤江1号墳」と呼び,鹿沼市藤江地区に所在し『鹿沼市史』において1号墳として扱われている古墳を「藤江地区の藤江1号墳」と呼ぶことにする。藤江7号墳は,たまたま付番が一致している。

羽生田地区の藤江1号墳は,羽生田地区の北西端付近の段丘縁上にあるとされている。
この北西端を南北に走る道路は,北上して段丘崖を降りるとすぐに鹿沼市藤江地区に入るのだが,羽生田地区の藤江1号墳は,その下り坂の道路のために削平された法面の東側に比較的大きな円墳状の塚が残されている。塚の高さはあまりないけれども,直径は比較的大きいように見える。この円墳状の塚が羽生田地区の藤江1号墳に該当するものと思われる。『壬生町史 資料編 原始古代・中世』363頁によれば,羽生田地区の藤江1号墳は,直径20m・高さ1.5mの円墳とされている。もしこの塚が羽生田地区の藤江1号墳ではないとすれば,羽生田地区の藤江1号墳は,既に湮滅しているのかもしれない。
羽生田地区の藤江1号墳と思われる塚の所在地の現況は山林となっているけれども,道路から墳丘が見えるので,その写真を撮った。山林の中に暗く見えている低い塚状の地形がそれに該当する。

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羽生田地区の藤江1号墳と思われる塚様の地形


鹿沼市藤江地区に入ると,道路に沿って段丘裾~段丘斜面付近に集落が密集している。この集落が密集している地域の東側にある段丘崖部分の多くは竹林や山林となっている。その段丘縁上の台地は主に畑となっており,その畑の中に藤江地区の藤江1号墳がある。
『鹿沼市史 資料編 考古』の249頁によれば,藤江地区の藤江1号墳は,全長24m・後円部直径13m・前方部幅13m弱で,前方部を南西の方に向けた前方後円墳とされている。
現地を見学したところ,墳丘と思われる部分の現況は長方形墳に近いような形状をしている。『鹿沼市史 資料編 考古』の250頁にある測量図によれば,藤江地区の藤江1号墳は,前方後円墳とは言ってもくびれ部があまり顕著ではない全体として小判のような長楕円形に近い形状の古墳だったようなので,墳丘の主要部分が残されていると言っても良いのではないかと思う。
藤江地区の藤江1号墳の墳丘の西側の土地は平坦な竹林がある。この竹林所在地付近に湮滅した古墳(『鹿沼市史 資料編 考古』の藤江13号墳)があったようだ。また,藤江地区の藤江1号墳所在地の北側隣地は比較的広い果樹園となっている。この果樹園の敷地内に湮滅した古墳(『鹿沼市史 資料編 考古』の藤江12号墳)があったようだ。


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東の方から見た藤江地区の藤江1号墳


IMG_5317.JPG
北の方から見た藤江地区の藤江1号墳
(電柱よりも左側が1号墳・右側が12号墳所在地の竹林)


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藤江地区の藤江1号墳所在地北側にある果樹園
(果樹園の奥の山林が7号墳等の所在地)


藤江地区の集落密集地の北側には山林があり,その山林の中を東西に横断する道路がある。この道路の路傍に藤江7号墳がある。同じ山林の南側部分には4基の古墳(『鹿沼市史 資料編 考古』の藤江2号墳~5号墳)があったようなのだが,既に湮滅しているようで,明確に視認可能な墳丘のようなものは見当たらなかった。
『鹿沼市史 資料編 考古』の252頁によれば,藤江7号墳は,直径20m・高さ1.0mの円墳とされている。
なお,壬生町史 資料編 原始古代・中世』に添付されている「壬生町遺跡分布図2(古墳・城館跡)」に示された配置図の基礎となっている地図及び『鹿沼市史 資料編 考古』の252頁の配置図の基礎となっている地図は,いずれも当時のものであり,現況の道路の所在地とは少し異なっていることに十分に注意しないと判断を誤るのではないかと思う。現在山林の中を東西に横断している道路やこの道路から別の道路への分岐点等は,これらの資料が基礎とした地図に記載されている道路を後の時期に整備し,自動車が走行しやすいようにつくり直したものとなっている。そのため,元の道路の位置よりもやや南側にずれた位置にある。
これらの諸点を考慮に入れた上で,残存する塚のようなものを藤江7号墳に該当すると判断した。


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7号墳と思われる塚状の地形(道路側一部削平)


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7号墳と思われる塚状の地形(道路側一部削平)


藤江7号墳の少し東の道路脇にも塚のようなものがある。『鹿沼市史 資料編 考古』の藤江6号墳に該当するのではないかと考えた。『鹿沼市史 資料編 考古』の252頁によれば,同書における藤江6号墳は,直径16.0m・高さ2.5mの円墳とされている。
ただし,この塚のようなものは,単なる土塊(建設残土など)かもしれず,確実ではない。


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南の方から見た様子


IMG_5343.JPG
南西の方から見た様子


この道路のある山林の北側隣地では,重機を用いた工事が行われていた。今後,この地域の景観は更に変化してしまうのだろう。
この工事現場付近は段丘の西側縁にあたる段丘崖上の場所で,そのあたりからは,かなり遠くまで見通すことができた。


IMG_5355.JPG
工事現場


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段丘縁の上から見える景色

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