茨城県東茨城郡城里町上青山:青山神社と古墳(その1)

過日,青山神社(茨城県東茨城郡城里町上青山)を参拝した。祭神は,五十猛命。
青山神社は,式内社常陸國那賀郡青山神社と比定されている。
青山神社は,宝亀3年(772年),紀伊國伊太祁曾神社から五十猛命を勧請して創設された神社とのこと。その頃,紀伊國からまとまった集団が移住してきた可能性がある。現在の城里町の北西には那須烏山市,芳賀町,茂木町等があり,山越えにはなるけれども,古くから交通があったことは確実と思われる。そして,そのあたりに関しては,古代の紀氏と関連の深い地域だと理解する見解がある。
中世には若宮八幡宮または鹿島明神と称していた時代もあったらしい。これは,当地における支配関係の変遷と連動するものだろうと思う。その後,元禄9年(1696年),徳川光圀の命により,往古に復して青山神社と改められることとなり,現在に至っている。その際,本殿が改築され,本殿所在地から埴輪頭部が出土して社宝となった。つまり,本殿所在地は,元は古墳だった。その埴輪頭部は,現在では茨城県立博物館に寄託されているとのこと。
青山神社の一の鳥居(大鳥居)の脇に上青山古墳群の説明板がある。これによると,40基を数える古墳があったということになっている。いばらきデジタルマップによれば,古墳群所在地は,茨城県道61号日立笠間線を挟んだかなり広い範囲となっており,その西側部分が青山神社の境内地となっている。東側部分の現況は山林なのだが,その山林内に立ち入ることは難しそうだと判断し,青山神社の境内地周辺だけを散策しながら見学した。
常北町史編さん委員会編『常北町史』(昭和63年)の155~156頁によれば,古墳群の東側には旧若宮堀之内古墳群1号墳をはじめ合計38基の円墳が存在しており,古墳群の西側部分(青山神社境内地)には6基の古墳(2基の方墳・4基の円墳)が存在していると記されている。
今回,本殿所在地(埴輪頭部出土地)及びその直近にある古墳所在地だったかもしれないような名残りのある場所3箇所の合計4箇所を除いても,明らかに墳丘と認識可能な塚状地形8箇所を確認できたほか,墳丘の残骸と強く推定される塚状地形2箇所の合計10箇所を確認できた。
精密な配置図または測量図の存否はわからないのだが,もし精密な調査が実施されたことのない遺跡であるとすれば,可能な限り最新の調査技術を駆使して精密な再調査を実施し,古墳群全体を正確に把握すべき必要性が極めて高い古墳群だと判断した。
茨城県内有数の大規模古墳群が現存している可能性がある。

青山神社の一の鳥居(大鳥居)は,青山神社の南方(常北小学校の東)にある。
大鳥居から北上する参道があり,そのまま進むと,青山神社の境内地に入る。境内地の現況は,山林となっている。

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一の鳥居


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由緒書


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一の鳥居脇の説明板


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常北八景碑


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参道の一部


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参道途中の石段


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二の鳥居手前の参道と石段


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二の鳥居と並木


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青山神社の拝殿


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南西の方から見た青山神社の本殿


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南東の方から見た青山神社の本殿


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拝殿脇の由緒書


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拝殿の方から振り返って見た参道



 玄松子:青山神社
 https://genbu.net/data/hitati/aoyama_title.htm

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