守谷市高野:海禅寺

過日,臨済宗妙心寺派・大雄山海禅寺(茨城県守谷市高野)を参拝した。本尊は,地蔵菩薩。
海禅寺は,延長8年(930年)に平将門が創建した寺院とされている。その後,海禅寺は,平将門の子孫とされている相馬氏の菩提寺となっていたようで,海禅寺には相馬氏塁代の位牌が安置されているとのこと。相馬氏が転封となると海禅寺も衰退したが,寛文年間に臨済宗寺院として中興開山となって現在に至っているようだ。海禅寺に安置されている相馬氏塁代の位牌は,中興開山後に改めて納められたものかもしれない。
本堂は,立派なつくりのものだった。
海禅寺の境内には,平将門及びその影武者の墓という石塔が並んでいる。正確には,墓石そのものというよりは供養塔のようなものではないかと思われる。それらの石塔は,江戸時代の作とされており,海禅寺中興の際,鎮魂・地鎮の趣旨で建立されたものではなかろうか。

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海禅寺正面参道石段


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本堂


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海禅寺墓地入口付近


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海禅寺縁起の説明板


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鐘楼


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石塔(平将門の影武者供養塔)


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六地蔵


海禅寺の南西の方に台川端遺跡が位置している。台川端遺跡所在地には行かなかったけれども,次の訪問先に向かって徒歩で移動中,台川端遺跡の南東(海禅寺境内地の南)にある山林のような場所を通った。何となく雰囲気を感じる場所だった。ただし,現時点では,遺跡包蔵地とはされていない。どんどん開削されているように見える。


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ちなみに,相馬氏の末裔とされる相馬大作こと下斗米将真は,津軽公暗殺未遂事件のために死罪となり,歴史に名を残した。
他方,佐倉藩の堀田氏は,海禅寺縁起をとりまとめ,寄進している。大老・堀田正俊は,江戸城中で暗殺されている。この暗殺事件には謎が多いとされている。また,堀田氏が領地とした佐倉藩では佐倉惣五郎の乱が起きた。

一般に,江戸時代は「天下泰平」(だけ)の時代として誤解されているようでもあるけれども,実際には,必ずしもそうであるとは言えない。一揆の際の処刑だけではなく,大火による大規模な焼死や凶作による餓死や疫病の流行による大量死等もあった。大地震,大津波や火山噴火の際に死亡した人の数がどれだけであるのか,正確な統計は存在しない。水戸藩の藤田東湖は,大地震の際に圧死した。
江戸時代に関しては,単に,有力大名が大規模な軍事衝突を起こさなかったために武士の大量死が発生しなかった時代に過ぎないと理解する方が妥当かもしれない。
明治維新になると,そのような状態が崩れる。
ある時代の江戸における華やかな町民文化の一面だけ見ていると,歴史の全体像の把握を誤る。
さりとて,唯物史観のような超観念論の類は全部廃棄されなければならない。
実際には,生存競争と自己保存本能という側面(生態学的な視点)から理解したほうがわかりやすい面が多い。
それを「因果応報」と理解するかどうかは,各人の世界観・人生観による。

あくまでも一般論だが,各人各様の世界観・人生観をもつことのできる社会は,良い社会だと考える。特定の世界観・人生観だけが強制され,それ以外の世界観・人生観をもつとたちまち弾圧されてしまうような社会は,良い社会であるとは言えない。



 常陽リビング:海禅寺・八基の石塔 - 守谷市
 https://www.joyoliving.co.jp/special/heritage/00041/

 Moriinfo:海禅寺縁起
 https://city-moriya-i.secure.force.com/Ryobi_GSP__PortalDetailView?navi=a0O7F000004tLDOUA2&opt=208%26null&tab=2&lon=139.9867926&lat=35.9299093

 観光いばらき:海禅寺
 https://www.ibarakiguide.jp/db-kanko/id-0800000002194.html

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