オオキンケイギク

毎年,この時期になると,あちこちでオオキンケイギクが花盛りとなる。
本来であれば,見つけ次第,1株も残すことなく全て抜去・焼却処分としてしまわなければならないのだけれども,誰も真面目に考えていないようなので,年々,その勢力範囲がどんどん拡大している。
オオキンケイギクに限らず,環境省が特に注意すべきものとして指定している外来植物の影響について知ろうとする人が多くない。その原因の1つとして,大学法学部において環境法を教えている教授らの多くが,環境法の理論には精通しているけれども,動植物そのものについてはほぼ無知だからということがある。無知なので,自分の学生に対してフィールドワークの重要性や動植物の実物を観察することの大事さを教えることができない。正しく環境影響評価をすることもできない。それゆえ,地に足のついた政策論を提供することもできない。
事実を直視する能力がなく,または,事実を直視しようとする努力を継続することがなく,机上の空論を振り回すことだけで飯を食えるような時代をさっさと終わりにしない限り,日本の自然環境の未来に希望はない。しかし,残念なことだが,それが現在の日本国だ。
自分自身が棲んでいる場所(自宅またはマンション)から半径1キロメートル以内の植生に興味をもっている人はどれだけいるのだろうか?
仮に興味をもったとして,実際に調べてみようとする人がどれだけいるのだろうか?
仮に調べてみたとして,よくわからない動植物や微細生物を理解するため,基本的な学術上の知識に遡って独学で勉強しようと思う人がどれだけいるのだろうか?
そして,納得いくまで実際に調べ尽くし,自分なりの理論を樹立するところまで到達できる人は,果たして全国に何名存在するのだろうか?
そのような基本的な営みを経ないで空理空論をいじくりまわしているようなタイプの学問のことを,私は,「虚学」と呼んでいる。
ジャンルを問わず,虚学は,過去2000年の間,無数に存在した。しかし,その虚学の領域内で生産された文書を読もうとする人はいない。
虚学を(自己目的的に)守ろうとする人々によって迫害され,へたをすると夭逝した天才的な人々の業績は,何千年経っても何百年経っても真の意味での古典となり,今でも読み継がれている。

私は,ぎりぎりのボーダーラインのものとして,最低限でも南方熊楠レベル以上の力量と実践のない者は,真の意味での学者として認めていない。

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あくまでも一般論だが,ガリレオの例をひくまでもなく,真の天才というものは,実は普通の当たり前のことを普通の当たり前のこととして述べることのできる人々のことを意味する。

その当時は,異端とされたかもしれない。

しかし,普通の当たり前のことを述べているだけなので,普遍的なものとして読み継がれることになる。

一般に,世間とはそういうものだ。

因みに、若い人達から「異端って何ですか?」と問われることがある。

私は,「『そんな人がいたんですか?』と言われるような人が異端ですよ」と言って,笑ってごまかすことにしている。



 環境省:特定外来生物の解説:オオキンケイギク
 https://www.env.go.jp/nature/intro/2outline/list/L-syo-01.html

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