太田市細谷町:冠稲荷神社と古墳(その2)

過日,源義経ゆかりの神社として知られる冠稲荷神社(群馬県太田市細谷町)を参拝した。 冠稲荷神社は,天治2年(1125年)に源義国によって創建された神社とされている。稲荷神社ではあるけれども,本殿の祭神は,宇迦御魂神・太田神・保食命のほか多数の神となっており,更に多数の境内社がある。 冠稲荷神社の境内地内には少なくとも3基の古墳が…
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太田市細谷町:冠稲荷神社と古墳(その1)

過日,源義経ゆかりの神社として知られる冠稲荷神社(群馬県太田市細谷町)を参拝した。 冠稲荷神社は,天治2年(1125年)に源義国によって創建された神社とされている。稲荷神社ではあるけれども,本殿の祭神は,宇迦御魂神・太田神・保食命のほか多数の神となっており,更に多数の境内社がある。また,立派な鳥居が多数ある。 関東地方において,これ…
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太田市新田:来迎寺

過日,天台宗・安養山摂取院来迎寺(群馬県太田市新田中江田町)を参拝した。本尊は,阿弥陀如来。 山門落慶等の記念碑の中に刻まれた縁起書等によると,来迎寺は,新田一族・世良田氏の開基,俊叡比丘の開山により約700年前に創建された寺院で,元は,二ツ山古墳(木崎町4号墳)の所在地にあったが,安政年間に阿弥陀寺と観音寺を統合し,その後,明治元年…
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太田市新田中江田町:矢抜神社と古墳

過日,矢抜神社(群馬県太田市新田中江田町)を参拝した。祭神は,経津主命・猿田彦命・埴山姫命・倉稲魂命・鎌倉権五郎景政。 この矢抜神社は,元は群馬県太田市新田下江田町の矢抜神社と同一の神社だったけれども,新田氏が足利氏に敗れたため,2つの神社に分けられてしまったのだという。 なお,茨城県牛久市桂町には鎌倉権五郎景政の墓というものがあり…
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太田市新田高尾町:久呂住神社と古墳

過日,久呂住神社(群馬県太田市新田高尾町)を参拝した。祭神は,中筒男之命。 社殿の額には「久呂住大明神」と記されている。 久呂住神社の基壇部は,典型的な古墳神社の形態をとっているように見える。 久呂住神社の所在地は,久呂住神社古墳と呼ばれ,木崎町3号墳とも呼ばれる古墳の所在地となっているのだが,『群馬県古墳総覧』によれば,横穴式石…
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栃木市岩舟町小野寺:村檜神社

過日,村檜神社(栃木県栃木市岩舟町小野寺)を参拝した。祭神は,熊野大神・大山咋命。 式内社(下野國都賀郡村檜神社)に該当し,下野國三之宮とされている。 大化2年(646年)に熊野大神・日枝大神を勧請して創建され,大同2年(807年)に八幡宮(誉田別命)を合祀した。その後,どうやら衰退したらしいのだが,藤原秀郷によって再建されたとのこ…
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栃木市岩舟町小野寺:大慈寺

過日,天台宗準別格本山・小野寺山転法輪院大慈寺(栃木県栃木市岩舟町小野寺)を参拝した。本尊は,薬師如来。 大慈寺は,天平9年(737年)に行基が開基した寺院であり,伝教大師・最澄が六所宝塔を建立し,慈覚大師・円仁が9歳から15歳までの間修行した寺院として広く知られているだけではなく,小野小町ゆかりの地としても知られている。 私見によ…
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栃木市藤岡町大田和:犬石古墳群

過日,犬石古墳群(栃木県栃木市藤岡町大田和)を見学した。 犬石古墳群は,三毳山の東側斜面(とちぎ花センターの南西約500m)にあり,元は6基の円墳で構成される古墳群だったようなのだが,現況は,栃木検討282号中藤岡線の拡張工事等によって大部分が掘削され,墳丘の西側約3分の1が掘削されてしまった墳丘が1基あるだけとなってしまっている。そ…
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栃木市岩舟町下津原:誕生寺

過日,真言宗豊山派・高平寺の別院である誕生寺(栃木県栃木市岩舟町下津原)を参拝した。 誕生寺の所在地は,慈覚大師・円仁の誕生の地とされており,円仁がつかった産湯の井戸というものもある。 そのほか,境内には円仁と関連する石碑等が並んでいる。 誕生寺までの道幅が非常に狭く,苦労した。駐車場は広く,観光案内図がある。 誕生寺入…
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栃木市岩舟町下津原:高平寺

過日,真言宗豊山派・高岡山法幢院高平寺(栃木県栃木市岩舟町下津原)を参拝した。本尊は,薬師如来。 関東三十三観音霊場二十番札所となっている。 下記の高平寺のサイトによれば,高平寺は,勝宝 10年(779年)に建立された古い寺院。慶長年間に天台宗から真言宗に改宗となったらしい。 高平寺は,慈覚大師・円仁が9歳まで養育され,修行をした…
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茨城県結城郡八千代町蕗田:塚山古墳

過日,塚山古墳(茨城県結城郡八千代町蕗田)を見学した。 説明板によれば,塚山古墳は,全長約20m,後円部直径約13m・後円部高さ約2.5m,前方部幅約7m・前方部高さ約0.7mの前方後円墳とされている。 墳丘の北側に道路が通っているのだが,笹が密に生えているため後円部の墳頂と墳丘裾の一部がちょっと見える程度の状態となっている。墳丘の…
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坂東市逆井:八幡神社

過日,逆井城跡を見学した後,逆井城跡の南東にある八幡神社(茨城県坂東市逆井)を参拝した。 八幡神社の由緒等の詳細は不詳。村の鎮守のような神社なのではないかと思った。 八幡神社の西側隣地には農村基盤総合整備事業坂井地区農村児童公園がある。この児童公園は,現在ではほとんど利用されていないような状態にあるのだが,その敷地内に円墳様の塚状地…
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坂東市逆井:逆井城跡(その3)

過日,逆井城跡(茨城県坂東市逆井)を見学した。 逆井城の発掘調査結果は,猿島町教育委員会編『逆井城址第一次発掘調査報告書』(昭和59年)及び猿島町城址調査委員会編『逆井城-第2次・第3次発掘調査報告書』(1988年)にまとめられている。 主郭の北東側には橋がかかっており,その橋の北端に位置する主郭虎口付近に櫓門が復元されている。…
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坂東市逆井:逆井城跡(その2)

過日,逆井城跡(茨城県坂東市逆井)を見学した。 逆井城の発掘調査結果は,猿島町教育委員会編『逆井城址第一次発掘調査報告書』(昭和59年)及び猿島町城址調査委員会編『逆井城-第2次・第3次発掘調査報告書』(1988年)にまとめられている。 主殿に隣接して円墳様の大きな塚があり,その塚の上に観音堂が建てられている。この観音堂は,元は…
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坂東市逆井:逆井城跡(その1)

過日,逆井城跡(茨城県坂東市逆井)を見学した。 この城は,小山義政の五男である小山常宗が逆井氏を名乗り,この場所に築城したのが始まりで,堅固な城だったけれども,後北条氏の攻撃を受けて落城した。その後,後北条氏の城となり,大規模な改築が加えられた。改築前の状態と改築後の状態は,発掘調査によって明らかにされている。その発掘調査結果は,猿島…
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坂東市長谷:香取神社

過日,香取神社(茨城県坂東市長谷)を参拝した。祭神は,経津主之命。 創建等の詳細は不明ながら,社殿は約350年以上前に建築されたものだったようだ。現在の社殿は,元の社殿が平成5年に焼失したため(原因不明),平成7年に再建されたものとのこと。 香取神社の南西に位置する段丘斜面は,拾二ゴゼ遺跡と呼ばれる旧石器時代,縄文時代,奈良・平安時…
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坂東市長谷:長谷観音

過日,長谷観音として知られる真言宗智山派・補陀洛山極楽院長谷寺(茨城県坂東市長谷)を参拝した。本尊は,十一面観世音菩薩。 猿島坂東代三十三番札所となっている。 説明板によると,長谷観音は,坂上田村麻呂ゆかりの寺院であり,本尊の観音像は,和州長谷寺の末木をもって刻まれたものとのこと。 観音堂は,江戸時代の建築物。この観音堂が本堂に相…
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坂東市神田山:妙音寺

過日,真言宗豊山派・神田山正覚院妙音寺(茨城県坂東市神田山)を参拝した。本尊は,大日如来。 猿島坂東観音霊場新八番札所となっている。 境内には,布袋尊を祀る御堂があった。山門は,立派なものだと思う。 また,妙音寺にはタラヨウの古樹があり,坂東市の天然記念物に指定されている。 山門 東門(通用門?) …
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坂東市大塚戸町:新田古墳

過日,新田古墳(茨城県坂東市大塚戸町)を見学した。 新田古墳は,一言主神社の北東約500m(茨城県水海道浄水場の南西約500m)のところにあり,円墳とされている。それ以上詳しいことはわからない。 新田古墳の規模は,目測で直径約10m・高さ2m前後のように見える。 新田古墳の北西の方(茨城県水海道浄水場の西)には篠山古墳群の所在地が…
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坂東市岩井:八坂神社

過日,八坂神社(茨城県坂東市岩井)を参拝した。祭神は,素戔嗚大神。 八坂神社は,延長2年(924年)創建の古い神社。元は牛頭天王と呼ばれていたけれども,明治時代の神仏分離により八坂神社となったとのこと。 社殿は立派なものだった。多数の境内社等があり,また,神仏習合の時代の名残りがある。 八坂神社の境内地周辺一帯は,天王遺跡と呼ばれ…
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坂東市岩井:石井の井戸跡と一言神社

過日,石井の井戸跡を見学し,一言神社(茨城県坂東市岩井)を参拝した。祭神は,石井の老翁。 平将門ゆかりの遺跡と神社。 石井の井戸跡には平将門と老翁にまつわる伝承を記した石碑がある。 後代の開田や整地等を考慮に入れた上で,石井の井戸跡の所在地の物理的条件を考えてみると,旧河川敷の伏流水(地下水脈)のある場所と推定することもでき,また…
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坂東市岩井:延命寺

過日,島の薬師として知られる真言宗豊山派・醫王山金剛院延命寺(茨城県坂東市岩井)を参拝した。本尊は,大日如来。 山門脇には「平将門公菩提寺 醫王山嶋薬師延命寺」との標札がある。 下記の坂東市のサイト及び山門前の説明板によれば,延命寺は,文安2年(1445年)に開山され,元は国王神社の近くにあったが,享保年間に現在の地に移ったとのこと…
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坂東市馬立:自性院金剛寺

過日,真言宗智山派・寿亀山自性院金剛寺(茨城県坂東市馬立)を参拝した。本尊は,不動明王。 関東八十八ヶ所霊場四十番及び猿島坂東観音霊場二十六番となっている。 自性院は,平将門ゆかりの寺院の1つとして知られており,自性院の西の方に平将門を祭神とする国王神社がある。自性院の南西には遠西遺跡と呼ばれる古墳時代の遺跡包蔵地があり,また,自生…
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坂東市幸田:御幸神社

過日,御幸神社(茨城県坂東市幸田)を参拝した。 由緒等の詳細は不詳だが,天神信仰と関係する神社らしい。社殿の彫刻の中には亀(寿亀?)があった。見事な彫刻だと思う。 鳥居脇に神木(平安時代に植えられたという樫の木)の大きな株がある。この樫の木は既に天寿を全うしているのだが,往時は素晴らしい巨樹だったのだろうと思う。その由来等を刻んだ御…
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フジの花

あちこちでフジの花が咲き始めている。 昨日,散策中,間近でフジの花を観ることのできる場所を通った。その写真を撮った。
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高崎市八幡町:剣崎長瀞西古墳

過日,高崎市立西部小学校の北東にある剣崎長瀞西古墳(群馬県高崎市八幡町)を見学した。 剣崎長瀞西古墳は,碓氷郡八幡村24号墳とも呼ばれ,全長約35.5m,主丘部直径約30m・主丘部高さ約5m,周溝幅2.5~3mの帆立貝式前方後円墳とされている。 剣崎長瀞西古墳は,八幡地区や若田地区を含む台地の北側縁付近に所在しており,かつては,現在…
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高崎市八幡町:物見塚古墳

過日,八幡霊園の東側を南北に走る道路の東側(八幡霊園正門近く)にある物見塚古墳(群馬県高崎市八幡町)を見学した。 物見塚古墳は,大道東古墳または休塚とも呼ばれ,現地説明板の記載では直径約15m・高さ4.5mの円墳とされている。墳丘の北側部分が掘削されているようなので,元の墳径に関しては,群馬県教育委員会事務局文化財保護課編『群馬県古墳…
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高崎市若田町:峯林古墳

過日,楢ノ木塚古墳の西側に隣接する峯林古墳(群馬県高崎市若田町)を見学した。 峯林古墳は,碓氷郡八幡村16号古墳とも呼ばれ,直径17.5mで二段築成の円墳とされている。直径が楢ノ木塚古墳と同じなので,覆土の下に保存されている楢ノ木塚古墳の大きさを想像するときは,峯林古墳の規模を参考にすると合理的に想像できるのではないかと思う。 峯林…
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高崎市若田町:楢ノ木塚古墳の所在地

過日,若田大塚古墳の西側に隣接する楢ノ木塚古墳(群馬県高崎市若田町)を見学した。 楢ノ木塚古墳は,碓氷郡八幡村14号古墳とも呼ばれ,直径17.5m・高さ3.5mの円墳とされている。 現在墳丘のように見えるもの(直径25m前後)は,楢ノ木塚古墳の上に覆土した山であり,楢ノ木塚古墳の墳丘ではない。楢ノ木塚古墳の実際の墳丘は,この覆土の山…
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高崎市若田町:若田大塚古墳

過日,若田大塚古墳(群馬県高崎市若田町)を見学した。 若田大塚古墳は,碓氷郡八幡村9号古墳とも呼ばれ,直径29.5m・高さ約7.5mの円墳とされている。 八幡霊園の中にあり,墳頂は見晴台のようになっており,小祠が祀られている。 八幡霊園の中央部は,前方後円墳のような形をした緑地帯になっており,その中に若田大塚古墳ほか2基の古墳があ…
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高崎市本郷町:本郷塚中古墳群(その3)

過日,本郷塚中古墳群(群馬県高崎市本郷町)を見学した。 本郷塚中古墳群は,塚中古墳群とも呼ばれ,元は奥原古墳群と呼ばれた古墳群とほぼ同じ古墳群。奥原古墳群は,60基以上の古墳で構成される大規模な古墳群(群集墓)だったようなのだが,その古墳の多くが現在では湮滅している。現存古墳の中の幾つかの所在地には標識が立てられているので,その標識に…
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高崎市本郷町:本郷塚中古墳群(その2)

過日,本郷塚中古墳群(群馬県高崎市本郷町)を見学した。 本郷塚中古墳群は,塚中古墳群とも呼ばれ,元は奥原古墳群と呼ばれた古墳群とほぼ同じ古墳群。奥原古墳群は,60基以上の古墳で構成される大規模な古墳群(群集墓)だったようなのだが,その古墳の多くが現在では湮滅している。現存古墳の中の幾つかの所在地には標識が立てられているので,その標識に…
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高崎市本郷町:本郷塚中古墳群(その1)

過日,本郷塚中古墳群(群馬県高崎市本郷町)を見学した。 本郷塚中古墳群は,塚中古墳群とも呼ばれ,元は奥原古墳群と呼ばれた古墳群とほぼ同じ古墳群。奥原古墳群は,60基以上の古墳で構成される大規模な古墳群(群集墓)だったようなのだが,その古墳の多くが現在では湮滅している。現存古墳の中の幾つかの所在地には標識が立てられているので,その標識に…
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高崎市箕郷町上芝:天宮古墳など

過日,天宮古墳(群馬県高崎市箕郷町上芝)の所在地を訪問した。 天宮古墳は,直径約20mの円墳とされているが,既に墳丘はなく,横穴式石室の上にコンクリートで固めた富士山様の部分があり,その上に石材が積まれ,更にその上に石祠が祀られている。 天宮古墳の所在地は,松山寺の南側にある緑地と出光箕郷南SS石川石油との間にある狭い墓地区画の中と…
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高崎市箕郷町西明屋:松山寺

過日,曹洞宗・青龍山彩雲院松山寺(群馬県高崎市箕郷町西明屋)を参拝した。 松山寺の縁起等の詳細は不詳だが,松山寺境内にある梵鐘は,江戸時代に鋳造された経緯等が明確になっているもので文化財としての価値が非常に高く,高崎市の重要文化財に指定されている。梵鐘を吊るした鐘楼堂は,非常に独特のつくりをしており,梵鐘と併せて一見の価値がある。 …
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エミュー

椿山古墳所在地の北東側斜面には果樹園のような場所があり,そこに柵を設置してエミュー(emu)が放し飼いにされていた。 このような場所でエミューを見るとは全く予想していなかったので,びっくり。
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高崎市箕郷町西明屋:椿山古墳

過日,椿山古墳(群馬県高崎市箕郷町西明屋)を見学した。 椿山古墳は,箕輪町1号古墳とも呼ばれ,全長151.5mで,前方部を北の方に向けた前方後円墳とされている。ただし,箕輪城椿山砦(物見櫓)とするために前方部が削平されて平坦になっており,後円部だけが残されたような状態となっている。後円部と前方部との間には道があり,分断されたような状態…
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高崎市箕郷町矢原:行人塚古墳

過日,行人塚古墳(高崎市箕郷町矢原)を見学した。 行人塚は,箕輪町2号墳とも呼ばれ,元は円墳と考えられていたようなのだが,現在では,1辺20m・高さ3mの方墳とされている。L字形の石室があるとのこと。探してみたけれども,石室のある場所付近は笹薮が密になっており,見つけられなかった。 墳丘上には「芋うえ桜」と呼ばれる桜があり,行人塚古…
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高崎市箕郷町生原:北野神社と古墳(その3)

過日,北野神社(群馬県高崎市箕郷町生原)を参拝した。祭神は,菅原道真ほか5柱の神。 北野神社の鳥居手前(東側)に生原一区集会所があり,その北側は墓地区画となっている。その墓地区画の北西端付近に古墳がある。この古墳は,上郊村22号墳と呼ばれ,墳丘の直径15.2m・高さ4.6mの円墳とされており,横穴式石室が開口している。墳頂には石祠…
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高崎市箕郷町生原:北野神社と古墳(その2)

過日,北野神社(群馬県高崎市箕郷町生原)を参拝した。祭神は,菅原道真ほか5柱の神。 北野神社の鳥居脇(東側)には上郊村23号墳と呼ばれる古墳がある。この古墳は,墳丘の直径6.4m・高さ3.6mの円墳とされており,横穴式石室が開口している。墳頂には石祠が祀られている。 現況はもっと大きな古墳のように見える。これは,墳丘裾周辺が掘削…
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高崎市箕郷町生原:北野神社と古墳(その1)

過日,北野神社(群馬県高崎市箕郷町生原)を参拝した。祭神は,菅原道真ほか5柱の神。 由緒書によると,北野神社は,永禄8年(1560年)の勧請と伝えられている神社とのこと。 北野神社の本殿は,文久元年(1861年)に造営されたとても立派なもので,高崎市の重要文化財に指定されている。 北野神社の境内地は段丘縁のような場所にあり,境内地…
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ハイタカ

2週間ほど前のことだが,高崎市内にある古墳周辺を散策中,ハイタカ(Accipiter nisus)を観た。 あまり大きな鳥ではないのだが猛禽。目の前をす~~っと飛び,近くの家の庭木の枝にとまったので,すかさず写真を撮った。 比較的近い場所からハイタカを観るのは初体験。
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水戸市酒門町:谷田古墳群の古墳(続)

過日,谷田古墳群(茨城県水戸市酒門町)に属する谷田町付1号墳を見学したのだが,更に別の古墳を見学した。 見学した古墳は,谷田町付2号墳と呼ばれる古墳で,ご長寿くらぶ酒門の東約100m(谷田町公園駐車場の南東約70m)のところにある。周囲を建物等に囲まれているけれども,道路から墳丘が見える。目測で直径15m前後の円墳のように見える。 …
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最近観た花

先日,散策中,ある古墳の墳丘にキランソウ(Ajuga decumbens)とジュウニヒトエ(Ajuga nipponensis)の花が咲いているのを観た。ある神社の境内ではムラサキケマン(Corydalis incisa)の果実を観た。 春がどんどん進んでいる。 キランソウの花 ジュウニヒトエの花 …
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鉾田市安房:安祥寺

過日,曹洞宗・寶雲山香積院安祥寺(茨城県鉾田市安房)を参拝した。本尊は,聖観世音菩薩。 説明板によれば,安祥寺は,大同年間に開基で元は安福寺と称したが,江戸時代に曹洞宗に改宗し,寺号を安祥寺と改めたとのこと。 安祥寺の境内地は,安房氏の居館跡と考える見解があり,確かにそのような地形部分はあるのだが,安房氏滅亡後の状況については,よく…
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真岡市荒町:長蓮寺

過日,真岡弁財天として知られる時宗・大際山華蔵院長蓮寺(栃木県真岡市荒町)を参拝した。 本尊である弁財天半跏像は座高3.45mで日本一の高さをもつとされている。弁財天像の容姿は独特のもので,女性像ではなく金色に輝く男性像となっている。阿弥陀仏と習合したものではないかとも考えられる。頭上には宇賀神が鎮座している。加えて,弁財天の脇侍もか…
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栃木県芳賀郡芳賀町西高橋:オザク山古墳

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,行事神社の参道入口付近にあるオザク山古墳(栃木県芳賀郡芳賀町西高橋)を見学した。 芳賀町史編さん委員会編『芳賀町史 資料編 考古』(平成13年)の159頁によれば,オザク山古墳は,1辺が16.5m・高さ約3.2mの方墳と推定されている。 オザク山古墳の墳丘の北側裾付近は,道路によって一部削平さ…
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さくら市狭間田:お旗塚古墳

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,お旗塚古墳(栃木県さくら市狭間田)を見学した。 氏家町史作成委員会編『氏家町史 上巻』(昭和58年)の66~67頁によれば,直径14.5m・高さ3mの円墳であり,後三年の役の折に源義家がこの塚に旗を納めたとの伝承があることから「お旗塚」と呼ばれているとされている。しかし,現地説明板によれば,平成…
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栃木県塩谷郡高根沢町宝積寺:愛宕神社と会橋久保庚申塚所在地

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,坂ノ上古墳群の所在地を見学した後,愛宕神社(栃木県塩谷郡高根沢町宝積寺)を参拝した。 愛宕神社の境内地を古墳所在地とする公式の資料があるのかどうか知らないのだが,あくまでも立地の問題としては,古墳があったとしても何も不思議ではないような場所だという印象を受けた。 また,同社の南東約100m付近…
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栃木県塩谷郡高根沢町宝積寺:坂ノ上古墳群・下坂上十三塚・坂上小塚群

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,坂ノ上古墳群(栃木県塩谷郡高根沢町宝積寺)の所在地を見学した。 高根沢町史編さん委員会編『高根沢町史 史料編Ⅰ 原始古代・中世』(平成7年)の188~189頁によれば,坂ノ上古墳群は,2基の円墳で構成される古墳群とされている。 坂ノ上古墳群の1号墳は,「北側を墓地に,南側を住宅よって削平さ…
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埼玉県入間郡毛呂山町:大類古墳群再訪(その6)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,大類古墳群(埼玉県入間郡毛呂山町川角~大類)を訪問した。大類古墳群を訪問するのは,これで2度目になる。 今回は,埼玉県入間郡毛呂山町教育委員会編『毛呂山町埋蔵遺跡調査報告第5集 毛呂山町の遺跡-遺跡詳細分布調査報告書-』(1988年)の24~26頁にある記述に基づき,前回までの訪問の際にはあやふ…
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埼玉県入間郡毛呂山町:大類古墳群再訪(その5)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,大類古墳群(埼玉県入間郡毛呂山町川角~大類)を訪問した。大類古墳群を訪問するのは,これで2度目になる。 今回は,埼玉県入間郡毛呂山町教育委員会編『毛呂山町埋蔵遺跡調査報告第5集 毛呂山町の遺跡-遺跡詳細分布調査報告書-』(1988年)の24~26頁にある記述に基づき,前回までの訪問の際にはあやふ…
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埼玉県入間郡毛呂山町:大類古墳群再訪(その4)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,大類古墳群(埼玉県入間郡毛呂山町川角~大類)を訪問した。大類古墳群を訪問するのは,これで2度目になる。 今回は,埼玉県入間郡毛呂山町教育委員会編『毛呂山町埋蔵遺跡調査報告第5集 毛呂山町の遺跡-遺跡詳細分布調査報告書-』(1988年)の24~26頁にある記述に基づき,前回までの訪問の際にはあやふ…
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埼玉県入間郡毛呂山町:大類古墳群再訪(その3)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,大類古墳群(埼玉県入間郡毛呂山町川角~大類)を訪問した。大類古墳群を訪問するのは,これで2度目になる。 今回は,埼玉県入間郡毛呂山町教育委員会編『毛呂山町埋蔵遺跡調査報告第5集 毛呂山町の遺跡-遺跡詳細分布調査報告書-』(1988年)の24~26頁にある記述に基づき,前回までの訪問の際にはあやふ…
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埼玉県入間郡毛呂山町:大類古墳群再訪(その2)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,大類古墳群(埼玉県入間郡毛呂山町川角~大類)を訪問した。大類古墳群を訪問するのは,これで2度目になる。 今回は,埼玉県入間郡毛呂山町教育委員会編『毛呂山町埋蔵遺跡調査報告第5集 毛呂山町の遺跡-遺跡詳細分布調査報告書-』(1988年)の24~26頁にある記述に基づき,前回までの訪問の際にはあやふ…
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埼玉県入間郡毛呂山町:大類古墳群再訪(その1)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,大類古墳群(埼玉県入間郡毛呂山町川角~大類)を訪問した。大類古墳群を訪問するのは,これで2度目になる。 今回は,埼玉県入間郡毛呂山町教育委員会編『毛呂山町埋蔵遺跡調査報告第5集 毛呂山町の遺跡-遺跡詳細分布調査報告書-』(1988年)の24~26頁にある記述に基づき,前回までの訪問の際にはあやふ…
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埼玉県入間郡毛呂山町:川角古墳群再々訪(その6)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,川角古墳群(埼玉県入間郡毛呂山町川角)を訪問した。 今回は,埼玉県入間郡毛呂山町教育委員会編『毛呂山町埋蔵遺跡調査報告第5集 毛呂山町の遺跡-遺跡詳細分布調査報告書-』(1988年)の30~31頁にある記述に基づき,前回までの訪問の際にはあやふやだった古墳を丁寧に観察し,前回には見つけられなかっ…
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埼玉県入間郡毛呂山町:川角古墳群再々訪(その5)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,川角古墳群(埼玉県入間郡毛呂山町川角)を訪問した。 今回は,埼玉県入間郡毛呂山町教育委員会編『毛呂山町埋蔵遺跡調査報告第5集 毛呂山町の遺跡-遺跡詳細分布調査報告書-』(1988年)の30~31頁にある記述に基づき,前回までの訪問の際にはあやふやだった古墳を丁寧に観察し,前回には見つけられなかっ…
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埼玉県入間郡毛呂山町:川角古墳群再々訪(その4)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,川角古墳群(埼玉県入間郡毛呂山町川角)を訪問した。 今回は,埼玉県入間郡毛呂山町教育委員会編『毛呂山町埋蔵遺跡調査報告第5集 毛呂山町の遺跡-遺跡詳細分布調査報告書-』(1988年)の30~31頁にある記述に基づき,前回までの訪問の際にはあやふやだった古墳を丁寧に観察し,前回には見つけられなかっ…
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埼玉県入間郡毛呂山町:川角古墳群再々訪(その3)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,川角古墳群(埼玉県入間郡毛呂山町川角)を訪問した。 今回は,埼玉県入間郡毛呂山町教育委員会編『毛呂山町埋蔵遺跡調査報告第5集 毛呂山町の遺跡-遺跡詳細分布調査報告書-』(1988年)の30~31頁にある記述に基づき,前回までの訪問の際にはあやふやだった古墳を丁寧に観察し,前回には見つけられなかっ…
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埼玉県入間郡毛呂山町:川角古墳群再々訪(その2)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,川角古墳群(埼玉県入間郡毛呂山町川角)を訪問した。 今回は,埼玉県入間郡毛呂山町教育委員会編『毛呂山町埋蔵遺跡調査報告第5集 毛呂山町の遺跡-遺跡詳細分布調査報告書-』(1988年)の30~31頁にある記述に基づき,前回までの訪問の際にはあやふやだった古墳を丁寧に観察し,前回には見つけられなかっ…
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埼玉県入間郡毛呂山町:川角古墳群再々訪(その1)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,川角古墳群(埼玉県入間郡毛呂山町川角)を訪問した。川角古墳群を訪問するのは,これで3度目になる。 今回は,埼玉県入間郡毛呂山町教育委員会編『毛呂山町埋蔵遺跡調査報告第5集 毛呂山町の遺跡-遺跡詳細分布調査報告書-』(1988年)の30~31頁にある記述に基づき,前回までの訪問の際にはあやふやだっ…
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千葉県印旛郡栄町:龍角寺古墳群再々訪(その9)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,龍角寺古墳群(千葉県印旛郡栄町龍角寺)を更に再訪した。 これまでちゃんと見学していなかった古墳を中心に見学した。 今回の訪問で最後に見学したのは,龍角寺1号墳。2号墳は既に湮滅しているので観たくても観られない(現況は宅地の一部)。 今回の訪問の際,龍角寺24号墳近くを歩いていたら,親…
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千葉県印旛郡栄町:龍角寺古墳群再々訪(その8)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,龍角寺古墳群(千葉県印旛郡栄町龍角寺)を更に再訪した。 これまでちゃんと見学していなかった古墳を中心に見学した。 今回は,房総風土記の丘友の会編『竜角寺古墳群測量調査報告書』(昭和57年)に収録されている測量図面に従い,龍角寺旧参道に並んでいる塚群の一部(T1塚からT23塚まで)を少し丁寧…
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千葉県印旛郡栄町:龍角寺古墳群再々訪(その7)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,龍角寺古墳群(千葉県印旛郡栄町龍角寺)を更に再訪した。 これまでちゃんと見学していなかった古墳を中心に見学した。 今回は,房総風土記の丘友の会編『竜角寺古墳群測量調査報告書』(昭和57年)に収録されている測量図面に従い,龍角寺旧参道に並んでいる塚群の一部(T1塚からT23塚まで)を少し丁寧…
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千葉県印旛郡栄町:龍角寺古墳群再々訪(その6)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,龍角寺古墳群(千葉県印旛郡栄町龍角寺)を更に再訪した。 これまでちゃんと見学していなかった古墳を中心に見学した。また,今回は,龍角寺旧参道に並んでいる塚群の一部を少し丁寧に見学した。ただし,時間の関係等もあり,今回も龍角寺47号墳~49号墳は見学しなかった。 龍角寺91号墳を見学した後,1…
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千葉県印旛郡栄町:龍角寺古墳群再々訪(その5)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,龍角寺古墳群(千葉県印旛郡栄町龍角寺)を更に再訪した。 これまでちゃんと見学していなかった古墳を中心に見学した。また,今回は,龍角寺旧参道に並んでいる塚群の一部を少し丁寧に見学した。ただし,時間の関係等もあり,今回も龍角寺47号墳~49号墳は見学しなかった。 龍角寺90号墳を見学した後,同…
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千葉県印旛郡栄町:龍角寺古墳群再々訪(その4)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,龍角寺古墳群(千葉県印旛郡栄町龍角寺)を更に再訪した。 これまでちゃんと見学していなかった古墳を中心に見学した。また,今回は,龍角寺旧参道に並んでいる塚群の一部を少し丁寧に見学した。ただし,時間の関係等もあり,今回も龍角寺47号墳~49号墳は見学しなかった。 42号墳などを見学した後,90…
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千葉県印旛郡栄町:龍角寺古墳群再々訪(その3)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,龍角寺古墳群(千葉県印旛郡栄町龍角寺)を更に再訪した。 これまでちゃんと見学していなかった古墳を中心に見学した。また,今回は,龍角寺旧参道に並んでいる塚群の一部を少し丁寧に見学した。ただし,時間の関係等もあり,今回も龍角寺47号墳~49号墳は見学しなかった。 36号墳などを見学した後,42…
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千葉県印旛郡栄町:龍角寺古墳群再々訪(その2)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,龍角寺古墳群(千葉県印旛郡栄町龍角寺)を更に再訪した。 これまでちゃんと見学していなかった古墳を中心に見学した。また,今回は,龍角寺旧参道に並んでいる塚群の一部を少し丁寧に見学した。ただし,時間の関係等もあり,今回も龍角寺47号墳~49号墳は見学しなかった。 前回は見学しなかった龍角寺22…
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千葉県印旛郡栄町:龍角寺古墳群再々訪(その1)

国の緊急事態宣言解除後のことだが,過日,龍角寺古墳群(千葉県印旛郡栄町龍角寺)を更に再訪した。 龍角寺104号墳を含め,これまでちゃんと見学していなかった古墳を中心に見学した。また,今回は,龍角寺旧参道に並んでいる塚群の一部を少し丁寧に見学した。ただし,時間の関係等もあり,今回も龍角寺47号墳~49号墳は見学しなかった。 まず,…
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筑西市築地:香取神社と古墳(その2)

過日,香取神社(茨城県筑西市築地)を参拝した。 香取神社は,西光寺の北にあり,参道は境内地の南側にある。参道前は小規模な墓地区画となっている。 香取神社の境内地を含め,台地の西側端付近は,富士塚古墳群と呼ばれる古墳群の所在地となっている。かつて,富士塚古墳群所在地にはかなり多数の古墳が存在したようなのだが,明野町史編さん委員会編『明…
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筑西市築地:香取神社と古墳(その1)

過日,香取神社(茨城県筑西市築地)を参拝した。 香取神社は,西光寺の北にあり,参道は境内地の南側にある。参道前は小規模な墓地区画となっている。 香取神社の境内地を含め,台地の西側端付近は,富士塚古墳群と呼ばれる古墳群の所在地となっている。かつて,富士塚古墳群所在地にはかなり多数の古墳が存在したようなのだが,明野町史編さん委員会編『明…
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茨城県筑西市鷺島:熊野神社と古墳

過日,熊野神社(茨城県筑西市鷺島)を参拝した。祭神は,伊弉册命。 熊野神社は,筑西市立鳥羽小学校の南西(西光寺の南)にある。 いばらきデジタルマップによれば,熊野神社の境内地を含む周辺一帯は,鷺島遺跡と呼ばれる弥生時代,古墳時代,奈良・平安時代の複合遺跡の包蔵地となっており,「古墳跡も確認される」との注記がある。この古墳跡の所在地は…
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筑西市築地:西光寺

過日,浄土真宗本願寺派・鷺島山西光寺(茨城県筑西市築地)を参拝した。本尊は,阿弥陀如来。 下記の西光寺のサイトによれば,「建保3年(1215)稲田あるいは高田におられた親鸞聖人に問法帰順した,平将門の後胤と伝えられる相馬太郎義清が,信楽(しんぎょう)の法名を賜って一寺を建立したことに始まると伝承しています」とのこと。古い歴史をもつ寺院…
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結城市結城:建田須賀神社

過日,建田須賀神社(茨城県結城市結城)を参拝した。祭神は,武渟川別命・須佐之男命。 武渟川別命は,竹田臣の祖とされている。 社殿はとても立派なものだった。私が訪問した時には祈祷の最中だったので,邪魔にならないように気をつけながら境内を拝見した。 参道の鳥居 二の鳥居と境内 左側の狛犬 …
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結城市結城:愛宕神社

過日,愛宕神社(茨城県結城市結城)を参拝した。 由緒等の詳細は不詳。 愛宕神社は,光福寺のすぐ近くにある。 愛宕神社の社殿基壇部は,古墳またはその二次利用物のような雰囲気をもっている。しかし,現時点においては,その社殿基壇部は古墳とはされておらず,富士塚という扱いになっているようだ。もしかすると,土塁の一部なのかもしれない。 社…
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結城市結城:光福寺

過日,真言宗豊山派・日髙山円藏院光福寺(茨城県結城市結城)を参拝した。本尊は,阿弥陀如来。 茨城百八不動尊霊場第三十八番札所となっている。 境内西側には茨城県指定史跡・御朱印堀がある。ただし,現況は墓地となっている。 明治維新における結城城をめぐる政府軍と結城藩佐幕派及び会津藩士らとの間の激しい戦闘の結果,この寺院で自害した結城藩…
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結城市結城:金福寺

過日,時宗・西宮山金福寺(茨城県結城市結城)を参拝した。本尊は,阿弥陀仏。 金福寺は,正応2年(1289年)に呑海上人が開山という古い寺院。 金福寺の境内には,二十三夜尊・日限地蔵尊・菅谷不動尊を祀った御堂がある。 金福寺入口付近 本堂 三尊堂 奉供養地蔵尊碑  結城…
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結城市結城:毘沙門堂

過日,毘沙門堂(茨城県結城市結城)を参拝した。 享保19年(1735年)の下総州結城絵図に多門寺毘沙門堂と記されているとのことなので,それ以前の創建の御堂ということになる。 本尊の毘沙門天は,結城市指定文化財となっている。 結城市の「結城七福神めぐりコース」の中に含まれている御堂の1つ。 門 毘沙門堂 …
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結城市結城:古い家屋などの建造物

結城市結城地区には神社や寺院以外の古い建造物が多くあり,その中には国や市の指定による保存建物もある。過日,結城市を訪問した際,そのような建物の幾つかを見学した。 弘経寺の表門の隣には結城酒造株式会社がある。結城酒造の煉瓦造りの煙突は明治36年に建造されたもので,現在でも酒造のために使用されているとのこと。 この煉瓦造り煙突は,国…
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結城市結城:浅間神社

過日,浅間神社(茨城県結城市結城)を参拝した。祭神は,木花開耶姫命。 由緒等の詳細は不詳。社殿の額には「富士浅間大神」と記されている。 現在では周囲をコンクリートで固められてしまい,小ぶりになっているけれども,元はもっと大きな塚の上に社殿があったと想像される。この塚は,古墳ではなく富士塚という扱いになっている。 本来はもう少し神秘…
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結城市結城:弘経寺

過日,浄土宗・寿亀山松寿院弘経寺(茨城県結城市結城)を参拝した。本尊は阿弥陀如来。 戦国時代,飯沼(現在の常総市豊岡町)の弘経寺が戦乱によって堂宇を焼失した後,同寺の檀誉存把上人が下妻に逃れていたところ,結城家18代秀康が上人を招いて創始された寺院とのこと。結城家が福井に転封となった後には一時衰えたけれども,江戸時代には,中興開山され…
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結城市結城:結城城跡と聰敏神社

過日,現在では城跡歴史公園となっている結城城跡(茨城県結城市結城)を見学した。 結城城跡の北側駐車場にクルマを停めたので,あじさい坂を登り,聰敏神社を参拝した上で,城跡内を散策した。桜が満開でとても綺麗だったのだが,結城城跡の訪問者はまばらだった。 聰敏神社は,結城藩水野家初代・水野勝成公を祭神とする神社。水野家は,代々福山を支配地…
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結城市結城:大輪寺

過日,真言宗豊山派・如意山観音院大輪寺(茨城県結城市結城)を参拝した。本尊は,如意輪観世音菩薩。 大輪寺は,関東八十八カ所霊場第三十七番札所となっている。 元は常陸国河内郡にあり,大輪坊と称していたけれども,安貞元年(1227年)に現在の地に移山し,大輪寺と改称し,以後,結城家の祈願寺となったとのこと。江戸時代には水野家の祈願寺とな…
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結城市上山川:八幡神社

過日,結城八幡瓦窯跡を見学した後,八幡神社(茨城県結城市上山川)を参拝した。祭神は,誉田別命。 一般に,結城市は,城下町として長く栄えたところなので,寺院や神社が多いとされているようだ。 八幡神社の由緒等の詳細は不明。 八幡神社のすぐ近くに結城八幡瓦窯跡があることから,かつてはその辺一帯が八幡神社の境内地だったのかもしれないが,よ…
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結城市上山川:結城八幡瓦窯跡

過日,結城廃寺跡を見学した後,結城八幡瓦窯跡(茨城県結城市上山川)を見学した。国指定史跡となっている。 結城八幡瓦窯跡の所在地がわかりにくく,ちょっとだけ道に迷った。 結城八幡瓦窯跡は,発掘調査の後に全部埋め戻されている。発掘調査の結果,結城廃寺の瓦を製造した窯跡ということが判明している。 瓦窯跡とは言っても,現況では単なる小さな…
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結城市上山川:結城廃寺跡

過日,結城廃寺跡(茨城県結城市上山川)を見学した。国指定史跡となっている。 結城寺は,白鳳9年(681年)に創建された古い寺院なのだが,嘉吉元年(1441年)の結城合戦の兵火で焼失し,廃寺となった。元禄8年(1565年)に現在の結城市山川新宿に移山・中興開山した。 発掘調査の結果,伽藍の配置が判明している。しかし,現況において,一般…
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最近観た花

昨日,散策中,路傍にナヨクサフジが群れ開花しているのを見た。1年経つのは早い。 先日,ある城跡を散策中,タンポポの花を観た。たぶんカントウタンポポだろうと思う。
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下野市三王山:三王山南塚古墳(その2)

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,三王山南塚古墳(栃木県下野市三王山)を見学した。 三王山南塚古墳という呼称になっているが,古墳群であり,1号墳(前方後方墳)及び2号墳(前方後方墳)の2基の古墳によって構成されている。三王山南塚1号墳は三王山1号墳と同一の古墳であり,三王山南塚2号墳は三王山2号墳と同一の古墳。 『…
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下野市三王山:三王山南塚古墳(その1)

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,三王山南塚古墳(栃木県下野市三王山)を見学した。 三王山南塚古墳という呼称になっているが,古墳群であり,1号墳(前方後方墳)及び2号墳(前方後方墳)の2基の古墳によって構成されている。三王山南塚1号墳は三王山1号墳と同一の古墳であり,三王山南塚2号墳は三王山2号墳と同一の古墳。 三王山…
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下野市三王山:朝日観音

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,朝日観音(栃木県下野市三王山)の所在地を訪問し,その周辺にある遺跡所在地を見学した。 朝日観音の参道・石段は,御堂のある場所の西側にある。朝日観音の御堂は,立派なものなのだが,長い間誰もお世話をしていないらしく,ほぼ朽廃に近い状態にあった。参道・石段付近の地形は,何となく古墳所在地のよう…
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栃木県河内郡上三川町:坂上古墳群再訪(その4)

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,坂上古墳群(栃木県河内郡上三川町坂上)を再訪した。 坂上古墳群の古墳分布は,現地に立てられている説明板によって知ることができるが,上三川教育委員会編『上三川町の古墳Ⅰ』(平成12年3月)の30~35頁に詳細な解説があるので,この解説に基づき,坂上コミュニティセンター付近から概ね時計と逆回…
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栃木県河内郡上三川町:坂上古墳群再訪(その3)

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,坂上古墳群(栃木県河内郡上三川町坂上)を再訪した。 坂上古墳群の古墳分布は,現地に立てられている説明板によって知ることができるが,上三川教育委員会編『上三川町の古墳Ⅰ』(平成12年3月)の30~35頁に詳細な解説があるので,この解説に基づき,坂上コミュニティセンター付近から概ね時計と逆回…
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栃木県河内郡上三川町:坂上古墳群再訪(その2)

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,坂上古墳群(栃木県河内郡上三川町坂上)を再訪した。 坂上古墳群の古墳分布は,現地に立てられている説明板によって知ることができるが,上三川教育委員会編『上三川町の古墳Ⅰ』(平成12年3月)の30~35頁に詳細な解説があるので,この解説に基づき,坂上コミュニティセンター付近から概ね時計と逆回…
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栃木県河内郡上三川町:坂上古墳群再訪(その1)

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,坂上古墳群(栃木県河内郡上三川町坂上)を再訪した。 下記の古墳探訪記のブログ記事の中で前回訪問したときには林になっていてよくわからなかった場所の樹木が伐採されたということを知ったので,再訪し,前回は丁寧に観なかった場所を含め,見学可能な古墳を全部見学するとにしたのだった。 坂上古墳群の…
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潮来市上戸:芝宿古墳群の1号墳

過日,芝宿古墳群(茨城県潮来市上戸)を見学した。 茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅲ』(昭和61年3月)の140頁によれば,芝宿古墳群は,元は7基の古墳で構成される古墳群だったけれども,昭和61年の時点では,1号墳(直径9m・高さ2m),2号墳(直径9m・高さ1.6m)及び3号墳(直径7m・高さ1.7m)の3基の円墳が残存するの…
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行方市井上:井上古墳群(その2)

過日,井上古墳群(茨城県行方市井上)を見学した。 井上古墳群の2号墳は,4号墳所在地の南西約150mのところに位置する畑の中にあり,現況は直径約15m・高さ約2mの円墳とされている。墳丘周囲が削平されているので,元はもっと大きな古墳だったようだ。 その畑の南東側~南側を通る道から墳丘が見える。2号墳所在地の畑の西端には狭い道があ…
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行方市井上:井上古墳群(その1)

過日,井上古墳群(茨城県行方市井上)を見学した。 井上古墳群に関しては,玉造町遺跡調査会・玉造町教育委員会編『井上古墳群第1号墳発掘調査報告書』(2002年2月)及び玉造町教育委員会編『井上古墳群第4号墳発掘調査報告書』(1986年3月)に詳細な記述がある。『井上古墳群第4号墳発掘調査報告書』では7基の古墳によって構成される古墳群とさ…
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行方市井上:井上神社

過日,井上神社(茨城県行方市井上)を参拝した。祭神は,鸕鶿草葺不合尊。誉田別名命・倉稲魂命を合祀している。その他15柱の神を祀っている。これら15柱の神は,神仏習合による神も含まれているようだ。 社殿はとても立派で,境内地が丁寧に管理されているという印象を受けた。井上神社の本殿は,行方市指定の有形文化財となっている。この本殿は,元は八…
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かすみがうら市上稲吉:西田古墳群(その3)

過日,西田古墳群(茨城県かすみがうら市上稲吉)を見学した。 茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅰ』(昭和57年3月)の209頁は,西田古墳群に関し,3基の前方後円墳(全長20~30m)と5基の円墳(いずれも直径20m)の合計8基の古墳によって構成される古墳群としている。南端にある古墳が1号墳(前方後円墳)であり,北端にある古墳が8…
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かすみがうら市上稲吉:西田古墳群(その2)

過日,西田古墳群(茨城県かすみがうら市上稲吉)を見学した。 茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅰ』(昭和57年3月)の209頁は,西田古墳群に関し,3基の前方後円墳(全長20~30m)と5基の円墳(いずれも直径20m)の合計8基の古墳によって構成される古墳群としている。南端にある古墳が1号墳(前方後円墳)であり,北端にある古墳が8…
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かすみがうら市上稲吉:西田古墳群(その1)

過日,西田古墳群(茨城県かすみがうら市上稲吉)を見学した。 西田古墳群の所在地には駐車可能な場所がないと想定されたので,紫ヶ丘公園(茨城県土浦市紫ヶ丘)の駐車場にクルマを停め,そこから先は徒歩で往復。かなり時間がかかったけれども,周辺地域の様子を観察することができ,結果的に収穫が多かった。 西田古墳群の付番及び所在地に関しては,…
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土浦市粟野町:粟野八幡神社と古墳

過日,粟野八幡神社(茨城県土浦市粟野町)を参拝し,その境内にある古墳を見学した。 八幡神社は,愛宕山古墳群の所在地の東方にあり,粟野町農村集落センター付近から東に入る路地のような狭い道が唯一アクセス可能な経路となっている。以前は,その路地の西側の畑(道路をはさんだ場所)に参道であることを示す石碑が立てられていたようなのだが,現況では,…
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土浦市今泉:愛宕山古墳群再訪

過日,愛宕山古墳群(茨城県土浦市今泉)を再訪した。 再訪した理由は,佐々木憲一・田中裕編『常陸の古墳群』(六一書房)の284頁にある愛宕山古墳群配置図にある。この配置図は,「上高津貝塚ふるさと歴史の広場文献2005」をそのまま複製利用したもの(複製使用の許諾の有無は不明)として記載されているものなのだが,文献一覧には同じ2005年に刊…
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土浦市本郷:本郷城付古墳群の1号墳

過日,本郷城付古墳群(茨城県土浦市本郷)を見学した。 古墳群の呼称である「本郷城付」は,地名の「大字本郷字城付」に由来するものと思われる。 本郷城付古墳群は,元は8基の円墳で構成される古墳群だったようなのだが,現在では1基の円墳(1号墳)が残されているだけとなっている。 なお,本郷城付古墳群は,以前は,大志戸古墳群と呼ばれていた古…
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栃木市下皆川:山神社

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,将門霊神古墳を見学した後,同古墳の西約100mほどの山腹にある山神社(栃木県栃木市大平町下皆川)を参拝した。祭神は,大山祇大神。 由緒等の詳細は不明。 将門霊神古墳の背後からすぐに上り坂の山道となっており,道なりにその山道を登ると山神社の石段の前に出る。 山神社の境内地は円形をしてお…
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栃木市下皆川:将門霊神古墳

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,将門霊神古墳(栃木県栃木市大平町下皆川)を見学した。 将門霊神古墳は,直径約15mの円墳とされている。石室が開口しており,石室前には柵があるけれども,柵越しに石室開口部付近を見学することができる。 栃木市史編さん委員会編『栃木市史 [史料編・古代・中世]』(昭和60年)の53頁によれば…
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栃木市薗部町:愛宕下古墳

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,愛宕神社(栃木県栃木市薗部町)を参拝した後,愛宕下古墳を見学した。 栃木市史編さん委員会編『栃木市史 [史料編・古代・中世]』(昭和60年)の55~56頁によれば,愛宕下古墳は,薗部愛宕下古墳とも呼ばれ,直径約8.5m・高さ約3.7mの円墳とされている。栃木市指定の有形文化財となっている…
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栃木市薗部町:愛宕山古墳群(その2)

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,愛宕山古墳群(栃木県栃木市薗部町)を見学した。 愛宕山古墳群は,太平山の北東側の尾根上(水道施設周辺)にあり,6基の円墳で構成されている。愛宕山古墳群を構成する各古墳の付番については,『栃木県埋蔵文化財地図(平成9年3月)』の記載に従うことにした。 愛宕山3号墳所在地の前の道を更に…
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栃木市薗部町:愛宕山古墳群(その1)

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,愛宕山古墳群(栃木県栃木市薗部町)を見学した。 愛宕山古墳群は,太平山の北東側の尾根上(水道施設周辺)にあり,6基の円墳で構成されている。愛宕山古墳群を構成する各古墳の付番については,『栃木県埋蔵文化財地図(平成9年3月)』の記載に従うことにした。 永野川緑地公園の駐車場にクルマを…
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栃木県芳賀郡市貝町見上:信仰塚?

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,長峰横穴墓群の所在地に向かって栃木県道64号宇都宮向田線を移動中,栃木県芳賀郡市貝町見上地内で塚が並んでいるのを観た。 市貝町史編さん委員会編『市貝町史 第1巻 自然・原始古代・中世資料編』(平成2年)には記載が全くないので,近世以降の信仰塚のようなものだろうと思う。 供養塔と思われる…
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栃木県芳賀郡市貝町塩田:長峰横穴墓群

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,長嶺横穴墓群(栃木県芳賀郡市貝町塩田)を見学した。 市貝町史編さん委員会編『市貝町史 第1巻 自然・原始古代・中世資料編』(平成2年)の317~344頁によれば,平成2年の時点で,長峰横穴墓群には26基の横穴墓が存在することが確認されている。その後,更に発見があるかもしれず,例えば,長峰…
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栃木県那須郡那珂川町久那瀬:川崎古墳

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,川崎古墳(栃木県那須郡那珂川町久那瀬)を見学した。 川崎古墳は,全長約49m,後円部直径約21m・後円部高さ約4.5m,前方部幅30~35m・前方部高さ約3.5mの前方後円墳とされており,那珂川町指定の史跡となっている。 後円部に石室が開口しており,石室入口には柵があるけれども,柵越し…
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栃木県那須郡那珂川町谷田:谷田古墳群の1号墳

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,谷田古墳群(栃木県那須郡那珂川町谷田)の1号墳を見学した。 谷田古墳群は,2基の円墳で構成される古墳群。 1号墳は,高瀬観光ヤナの南西約50mに位置する段丘上の民家敷地内にあるが,現地の西側を通る道路からも墳丘が見える。壊される予定だったけれども,発掘調査の結果,古墳だということが判明…
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栃木県那須郡那珂川町谷田:御霊神社

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,御霊神社(栃木県那須郡那珂川町谷田)を参拝した。祭神は,大国主命。 「御霊」は「ごりょう」と読む。 境内社として天満宮があり,鳥居が2つ並んでいる。 御霊神社のすぐ近くには「高瀬観光ヤナ」があるのだが,新型コロナの影響により営業休止中とのことで,ヤナの道具等も全て片付けられていた。「…
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栃木県那須郡那珂川町吉田:吉田富士山古墳

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,株式会社吉野工業所那須小川工場(栃木県那須郡那珂川町吉田)の敷地内に所在する吉田富士山古墳を見学した。 株式会社吉野工業所は,化粧品や液体石鹸等の各種用途の容器を製造している会社で,那須小川工場ではブローボトルを製造しているので,それと知らずにこの工場で製造された製品を使用している人がか…
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栃木県那須郡那珂川町白久:長泉寺

国の緊急事態宣言が解除された後のことだが,過日,曹洞宗・白久山青流院長泉寺(栃木県那須郡那珂川町白久)を参拝した。 長泉寺は,創建は延徳3年(1491年)に創建の寺院であり,寛文12年(1672年)には烏山城主・板倉氏の祈願所となったとのこと。 境内には昭和53年に竣工したという三重の塔(慈光殿)があるほか,虚空蔵堂と稲荷宮がある。…
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筑西市東石田:東石田古墳群の所在地

過日,東石田古墳群(茨城県筑西市東石田)の所在地を見学した。 明野町史編さん委員会編『明野町の遺跡と遺物』(昭和58年)の13頁によれば,東石田古墳群は,5基の古墳で構成される古墳群ということになっており,同頁内にその配置図がある。この配置図に従い,所在地を順に見学した。 結論として,5基あったという古墳は,現時点では全て湮滅してい…
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筑西市東石田:長光寺

過日,曹洞宗・石田山長光寺(茨城県筑西市東石田)を参拝した。 長光寺のある東石田地区周辺は,かつて,平国香の居館と荘園があったところとされている。平将門との争いの中で平国香が敗れた。数々の伝承がある。真実は誰にもわからないのだが,なぜそのような争いが生じてしまったのかに関し,非常に興味がある。 長光寺には平国香の伝承を説明する説明板…
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ツバメ

来週から仕事が忙しくなるので,比較的自由に時間を使えるのは今週が最後。 そこで,今日は少し遠出した。 北関東自動車道の某PAで休憩をとったところ,既にツバメが飛び交っていた。巣作りも終えている。 1年が経つのは早いものだと思うが,それにしても,そもそもツバメの飛来が去年より早いような気もする。
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水戸市加倉井町:三所神社と古墳(その2)

過日,三所神社(茨城県水戸市加倉井町)を参拝した。祭神は,武甕槌命・大己貴命・誉田別命。 三所神社の境内地を含む周辺一帯は,松山古墳群と呼ばれる古墳群の所在地となっている。松山古墳群は,14基の円墳で構成される古墳群ということになっているけれども,残存古墳は少ない。松山古墳群に関しては,佐々木憲一・田中裕編『常陸の古墳群』(六一書房)…
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水戸市加倉井町:三所神社と古墳(その1)

過日,三所神社(茨城県水戸市加倉井町)を参拝した。祭神は,武甕槌命・大己貴命・誉田別命。 三所神社の由緒等は不明だが,広い境内林をもち,立派な社殿の神社だと思った。近隣の神社を合祀して三所神社とした神社なのではないかと思う。 三所神社の境内地を含む周辺一帯は,松山古墳群と呼ばれる古墳群の所在地となっている。松山古墳群は,14基の円墳…
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水戸市加倉井町:稲荷神社

過日,妙徳寺付近古墳群の古墳を見学した後,同古墳の所在地のすぐ北西にある稲荷神社(茨城県水戸市加倉井町)を参拝した。 この稲荷神社の由緒等の詳細は不明。 境内社として小さな稲荷神社がある。これは,氏神のようなものではないかと思った。 この稲荷神社を過去に訪問した方が撮影した写真等を拝見すると,以前は4つ鳥居があったようだ。 …
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水戸市:妙徳寺付近古墳群(続)

過日,妙徳寺古墳群(茨城県水戸市加倉井町)を再訪し,ENEOS水戸加倉井店のすぐ西側にある古墳を見学した。 この古墳に関し,水戸市教育委員会編『水戸市埋蔵文化財分布調査報告書-平成10年度版』の20頁は,「国道50号線に隣接して所在するものは,直径9.0m・高さ1.0mほどの円墳で祠を祀っている」としている。佐々木憲一・田中裕編『常陸…
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土浦市小野:清滝寺

過日,真言宗豊山派・南明山慈眼院清滝寺(茨城県土浦市小野)を参拝した。本尊は,聖観世音菩薩。 坂東三十三箇所第二十六番札所となっている。 清滝寺は,推古天皇15年(607年),聖徳太子が御堂を設け聖観音像を安置したのが始まりとされている非常に古い寺院。その後,大同3年(808年),徳一大師が中興し,山頂から山腹へと寺院を移転し,室町…
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土浦市小野:日枝神社

過日,日枝神社(茨城県土浦市小野)を参拝した。祭神は,大山咋命。 由緒書によれば,日枝神社は,大同2年(807年)に坂本山王(現在の大津市坂本町・日吉大社)から大山咋命の分霊を勧請して創建された古い神社とのこと。 元は山王権現と呼ばれていたけれども,明治時代の神仏分離令により,日枝神社と改めたようだ。 参道の社叢は,とても素晴らし…
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つくば市山口:天満宮

過日,山口古墳群を見学した帰路,天満宮(茨城県つくば市山口)に寄った。 この天満宮は,氏神として創始された神社ではないかとも思われるが,山口地内の遺跡等を無事に見学できたことの御礼の趣旨で参拝することにした。 天満宮の入口付近には小さな覆堂のようなものがあり,その中に結界石が置かれている。この結界石の説明のための木札が掲げられており…
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つくば市山口:山口古墳群(その4)

過日,山口古墳群(茨城県つくば市山口)を見学した。 山口古墳群に関しては,茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅲ』(昭和61年3月)の237頁に解説,配置図及び写真がある。ただし,この配置図中の付番は,平沢古墳群の4号墳から連続するものとして5号から始まっているようなのだが,現在の付番に置き換えると,配置図上の5号が山口3号墳,配置…
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つくば市山口:山口古墳群(その3)

過日,山口古墳群(茨城県つくば市山口)を見学した。 山口古墳群に関しては,茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅲ』(昭和61年3月)の237頁に解説,配置図及び写真がある。ただし,この配置図中の付番は,平沢古墳群の4号墳から連続するものとして5号から始まっているようなのだが,現在の付番に置き換えると,配置図上の5号が山口3号墳,配置…
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つくば市山口:山口古墳群(その2)

過日,山口古墳群(茨城県つくば市山口)を見学した。 山口古墳群に関しては,茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅲ』(昭和61年3月)の237頁に解説,配置図及び写真がある。ただし,この配置図中の付番は,平沢古墳群の4号墳から連続するものとして5号から始まっているようなのだが,現在の付番に置き換えると,配置図上の5号が山口3号墳,配置…
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つくば市山口:山口古墳群(その1)

過日,山口古墳群(茨城県つくば市山口)を見学した。 山口古墳群に関しては,茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅲ』(昭和61年3月)の237頁に解説,配置図及び写真がある。ただし,この配置図中の付番は,平沢古墳群の4号墳から連続するものとして5号から始まっているようなのだが,現在の付番に置き換えると,配置図上の5号が山口3号墳,配置…
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つくば市山口:薬師堂

過日,薬師堂(茨城県つくば市山口)を参拝した。 宝筐山山口駐車場にクルマを停め,そこから先は徒歩で往復。 移動の途中,墓地の前を通った。その墓地内には四国八十八箇所五十九番の石碑と大師堂があった。 山道を登ると,古い石段と墓地があった。この石段は,薬師堂に参拝するための石段だと思われるのだが,現在では石が浮いており,危険な状態にあ…
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高萩市安良川:八幡宮

過日,安良川八幡宮として知られる八幡宮(茨城県高萩市安良川)を参拝した。祭神は,神功皇后(息長帯比賣命)・応神天皇(誉田別命)・日女大神。 八幡宮は,寛和元年(985年),京都石清水八幡宮の分霊を勧請して創建された神社とのこと。 社殿等は,平成15年~18年に大規模に改築されたものとのこと。境内地が広いので,社殿全体の側面を目にする…
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高萩市歴史民俗資料館

過日,琵琶墓古墳等を見学した後,高萩市歴史民俗資料館(茨城県高萩市高萩)に寄った。 赤浜古墳群等から出土した考古学上の貴重な資料が保管・展示されている。とても勉強になった。 更に,長久保赤水が作成・出版した地図等の関連資料が展示されており,驚くことばかりだった。レプリカの地図を販売していたので,他の資料と併せて購入した。 長久保赤…
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高萩市赤浜:鹿島神社と古墳(その3)

過日,鹿島神社(茨城県高萩市赤浜)を参拝した。祭神は,武甕槌大神。 鹿島神社の本殿の北側に位置する境内林内には6基ほどの小さな塚がある。他にもあるのかもしれないが,本殿所在地と境内社所在地との間で確認できたのは合計6基だった。 正式に調査が実施されたことがあるか否かについては不明。 これらの小さな塚は,後代の塚である可能性が高…
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高萩市赤浜:鹿島神社と古墳(その2)

過日,鹿島神社(茨城県高萩市赤浜)を参拝した。祭神は,武甕槌大神。 鹿島神社境内地の南東に位置するやや斜面となった畑地の中には2基の塚がある。 これらの塚は,赤浜古墳群を構成する円墳の残りの一部だと思われる。 正式に調査が実施されたことがあるか否かについては不明。 公式の付番がわからないので,このブログ記事では,仮に,西側にある…
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高萩市赤浜:鹿島神社と古墳(その1)

過日,鹿島神社(茨城県高萩市赤浜)を参拝した。祭神は,武甕槌大神。 社号標には「鹿嶋神社」と記されているが,由来を記した石碑には「鹿島神社」と刻まれ,鳥居の額にも「鹿島神社」と記されているので,鹿島神社と表記することにする。 鹿島神社は,願成寺の西北西約500mのところにある。鹿島神社の西約500mのところに願成寺を開山した日弁聖人…
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高萩市赤岩:願成寺

過日,日蓮宗・松塚山賢能院願成寺(茨城県高萩市赤岩)を参拝した。 願成寺は,嘉元元年(1303年)に日弁聖人によって開山された古い寺院。日弁聖人の墓所は,茨城県立高萩清松高等学校の北約100mのところにある。 願成寺の境内地の南はすぐに工場団地となっており,かつては,赤浜古墳群を構成する多数の古墳があった。しかし,願成寺の境内にいる…
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高萩市赤浜:琵琶墓古墳

過日,琵琶墓古墳(茨城県高萩市赤浜)を見学した。 琵琶墓古墳は,赤浜古墳群を構成する古墳の1つで,全長約43mの前方後円墳とされている。高萩市内に現存する古墳の中で最大のものとのこと。 現地には駐車場がないと思っていたので,パーラージャンボ高萩店にお願いしてその駐車場にクルマを停め,そこから先は徒歩で往復。しかし,現地に到着してみる…
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桜川市岩瀬:山王神社と二十三夜堂

過日,山王神社(茨城県桜川市岩瀬)を参拝した。祭神は,大山昨命・山王権現。 山王神社は,岩瀬郵便局のすぐ南にある。鳥居が境内地の南にあり,拝殿が南を向いているため,旧国道50号線からは本殿の背後が見えるような位置関係となっている。 山王神社は,元は「本新田神社」と称したらしい。そのことから,山王神社の境内地~岩瀬郵便局と桜川市役所岩…
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桜川市西小塙:池下古墳群

過日,池下古墳群(茨城県桜川市西小塙)を見学した。 池下古墳群は,1号墳(直径5m・高さ1.5m)及び2号墳(直径5m・高さ1.5m)の2基の円墳で構成される古墳群とされている。2基の円墳は,月山寺の墓地の北東約100m(株式会社佐藤石匠の作業場の北東約20m)のところに位置する段丘縁(林の中)にあり,東西に並んでいる。よく観ると,林…
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散策中に観た花

今年はとても暖かいらしく,春の花がどんどん咲いている。帰化植物の雑草もぐんぐん伸びているので,今年は例年の何倍も除草作業が必要となることになるかもしれない。 私は既に老人であり,江戸時代であればとっくに灰になっているはずの年齢に達してしまった。 まさに長寿社会だ。 しかし,(人間による陰謀などではなく)自然環境からの反動(反作用)…
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桜川市真壁町下谷貝:鹿島宮古墳

過日,三所神社(茨城県桜川市真壁町下谷貝)を参拝した際,その境内地付近にあるという鹿島宮古墳(直径約20m・高さ約3mの円墳)を探してみたのだが,見つけられなかった。 その後,下記の趣味の案件のブログに鹿島宮古墳に関する記事がアップされ,その記事を読んで正確な所在地を認識することができたので,再訪してみた。簡単に見つけることができた。…
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桜川市真壁町山尾:遍照院

過日,真言宗豊山派・密弘山遍照院正得寺(茨城県桜川市真壁町山尾)を参拝した。 遍照院は,真壁城跡の南東に位置する山の斜面にある。 真壁氏は,常陸大掾氏多気直幹を祖とし,約400年間にわたり真壁の地を支配した。遍照院の境内には,真壁氏塁代の墓地及び墓碑群があり,茨城県指定の有形文化財となっている。この墓地と墓碑群を拝見し,その前で合掌…
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笠間市笠間:玄勝院

過日,曹洞宗・五台山玄勝院(茨城県笠間市笠間)を参拝した。本尊は,聖観世音菩薩。 下記の玄勝院のサイトによれば,玄勝院は,長禄元年(1457年)に學仲覺周大和尚によって創建された寺院。当時,佐白山の山麓付近は大湖水であり,中国の蘇台境に似た風光明美な場所であったために長く滞留し,地元の人々の願いにより寺院を創建したとのこと。この大湖水…
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笠間市笠間:正福寺

過日,普門宗・佐白山正福寺(茨城県笠間市笠間)を参拝した。本尊は,千手千眼十一面観世音菩薩。 正福寺は,白雉2年(651年)に創建された古い寺院とのことなのだが,明治時代の廃仏毀釈によって衰退し,昭和5年に現在の地で観音寺として再興された後,平成24年に正福寺と改称した。 坂東三十三観音霊場第二十三番となっている。それと同時に,現在…
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笠間市笠間:大石邸跡

過日,忠臣蔵で知られる大石内蔵助の祖父にあたる大石良欽の屋敷があった場所とされている大石邸跡(茨城県笠間市笠間)を見学した。 大石家の主君である浅野氏が笠間藩主だった頃,家老家である大石家の邸宅があった。 実際には,現地には屋敷跡の遺跡のようなものは残されておらず,大石内蔵助の像と説明板等があるだけとなっている。元の屋敷地の大部分は…
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笠間市笠間:伏見稲荷神社

過日,伏見稲荷神社(茨城県笠間市笠間)を参拝した。祭神は,宇迦之御魂神。 伏見稲荷神社は,享和4年(1804年)に小祠を建てたのが始まりで,大正8年に神殿を造営したとのこと。現在の神殿は,平成18年に建替えられたもののようだ。 鳥居の前には弥五郎殿と伏見稲荷神社の由緒にある石製の説明板がある。とても勉強になった。 伏見稲荷神社は,…
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笠間市笠間:真浄寺

過日,日蓮宗・長耀山真浄寺(茨城県笠間市笠間)を参拝した。本尊は,十界大曼荼羅・日蓮聖人・七面大天女。 真浄寺は,慶長元年(1596年)に日忠上人によって開山された寺院。元は笠間稲荷神社の近くにあったけれども,寛永17年(1640年)に幕府の命により現在の地に移ったとのこと。 真浄寺の境内には七面堂という御堂がある。この七面堂には七…
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笠間市笠間:三所神社

過日,三所神社(茨城県笠間市笠間)を参拝した。祭神は,大國主大神・事代主大神。建御名方大神・美穂津姫大神を合祀している。 下記の三所神社・八坂神社のサイトによれば,三所神社は,貞観年中に三穂津姫神を奉祀し小社を祀ったのが始まりで,笠間城主・藤原時朝が宇都宮二荒山大明神の主祭神・大國主大神を遷して奉祀し,「本殿中央に大國主大神,左脇宮に…
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笠間市笠間:月崇寺

過日,浄土宗・月崇寺(茨城県笠間市笠間)を参拝した。本尊は,阿弥陀如来。 月崇寺は,八坂神社と三所神社の間にある。 月崇寺の縁起等の詳細は不詳だが,陶芸家で人間国宝の松井康成氏が住職を務めた寺院として広く知られている。 本堂等の建物は,とても立派なものだった。 境内には秋葉大権現がある。御堂の額には「秋葉山」と記されている。秋葉…
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笠間市笠間:八坂神社

過日,八坂神社(茨城県笠間市笠間)を参拝した。 下記の三所神社・八坂神社のサイトでは,「八坂大神社」と記している。 笠間の八坂神社は,常陸國三天王(一ノ矢天王・水戸天王・笠間天王)の1つに数えられているらしい。ここでいう天王とは,牛頭天王(祇園神)のことを指す。 下記の笠間市のサイト(八坂神社の神輿)によれば,八坂神社の神輿は,寛…
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笠間市笠間:城山稲荷神社

過日,笠間稲荷神社を参拝した後,同社のすぐ近くにある城山稲荷神社(茨城県笠間市笠間)を参拝した。祭神は,宇迦之御魂命。誉田別命を配祀している。 社号標と由緒書には「城山出世稲荷神社」と記されている。 由緒書及び説明板によれば,城山稲荷神社は,古くから佐白山上に祀られていたところ,佐白山上に築城する際に山麓に遷座し,城下町の整備に伴い…
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笠間市笠間:笠間稲荷神社

過日,笠間稲荷神社(茨城県笠間市笠間)を参拝した。祭神は,宇迦之御魂神。 笠間稲荷神社は,何度か参拝したことがある。その時は家族連れだったので,境内を丁寧に拝見することができなかった。今回は一人だけだったし,新型コロナの影響かどうか参拝者がほとんどいなかったので,参拝後,のんびりと境内を散策し,拝見することができた。ちなみに,駐車場も…
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千葉県印旛郡栄町:龍角寺古墳群の104号墳

先日,龍角寺古墳群(千葉県印旛郡栄町龍角寺)を再訪した。 新型コロナと関連する国の緊急事態宣言が解除されたとはいえ,1都3県の人口密集地帯における感染リスクが高い状況が続いていることは否定しようがないので千葉県内には足を踏み入れないようにしていたのだが,龍角寺古墳群の敷地内の野外空間において他の人との接触を極力避けるようにしていれば感…
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つくば市高崎:孝學院

過日,曹洞宗・孝學院(茨城県つくば市高崎)を参拝した。本尊は,釈迦如来。 明応元年(1492年)に創建された古い寺院。岡見氏などの代々の牛久城主が帰依した寺院として知られている。 現在の牛久城(茨城県牛久市城中)の所在地だけが岡見氏の勢力範囲ではなく,岡見氏は,岡見城(茨城県牛久市岡見町)や東林寺城(茨城県牛久市新地町)等の城をもっ…
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つくば市若栗:あずき庵

念向寺の近くに「菓匠あずき庵」(茨城県つくば市若栗)という和菓子店がある。最近,寺社めぐりや遺跡見学の帰りなどにときどき寄り,家族の土産に和菓子を買うようになった。 ちゃんとした和菓子職人が丁寧につくった和菓子は,大規模工場で大量生産される和菓子とは全く別の物だと思っている。大規模工場で和菓子を大量生産すると,品質の安定や保存のために…
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常総市豊岡町甲:琴平大神・八幡神社・延命稲荷神社

過日,弘経寺の西側隣地にある琴平大神(茨城県常総市豊岡町甲)を参拝した。 琴平大神の右側(東側)には八幡神社があり,左側(西側)には延命稲荷神社がある。それぞれの神社には更に境内社等がある。これらの神社も参拝した。 これらの神社の社殿は,立派なつくりのもので,かつては大いに栄えたのだろうと想像される。しかし,現在では,いずれもほとん…
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常総市豊岡町甲:弘経寺

過日,浄土宗・寿亀山天樹院弘経寺(茨城県常総市豊岡町甲)を参拝した。本尊は,阿弥陀如来。 浄土宗大本山増上寺別院となっている。 弘経寺は,応永21年(1414年)嘆誉良肇上人によって創建された古い寺院。戦国時代には多賀谷氏が陣をはったために戦乱に巻き込まれ堂宇を焼失したけれども,江戸時代には再興され,徳川家から篤く保護を受けた。 …
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常総市羽生町:中坪古墳群

過日,中坪古墳群(茨城県常総市羽生町)を見学した。 中坪古墳群は,法蔵寺の北西約300mの段丘縁付近に所在している。円墳2基で構成される古墳群とされているのだけれども,いばらきデジタルマップ上では「中坪遺跡」として表示されるので,現在では古墳時代の古墳としては扱われていないのかもしれない。 2基の古墳の所在地に関しては,いばらきデジ…
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茨城県猿島郡境町西泉田:境町歴史民俗資料館

香取神社,西光寺等を参拝した後,境町歴史民俗資料館(茨城県猿島郡境町西泉田)に寄ってみた。この資料館には,境町内で出土した埴輪等の資料が保存・展示されている。 しかし,残念ながら,私が訪問したときには「町民のみ開館」ということで,境町町民ではない私は資料館を利用できなかった。新型コロナ対策としてはほとんど無意味で合理性皆無の対応策だと…
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茨城県猿島郡境町西泉田:西光寺

過日,浄土宗・虚空山西光寺(茨城県猿島郡境町西泉田)を参拝した。本尊は,阿弥陀如来。 西光寺は,正和4年(1315年)に開山の古い寺院。ただし,本堂や山門は,比較的最近に再築されたもののようだ。 入口の両脇には二十三夜供養塔と十九夜供養塔が立てられている。 西光寺には関宿藩主・久世広之の書跡が保存されており,境町の有形文化財に指定…
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