かすみがうら市上稲吉:西田古墳群(その1)

過日,西田古墳群(茨城県かすみがうら市上稲吉)を見学した。
西田古墳群の所在地には駐車可能な場所がないと想定されたので,紫ヶ丘公園(茨城県土浦市紫ヶ丘)の駐車場にクルマを停め,そこから先は徒歩で往復。かなり時間がかかったけれども,周辺地域の様子を観察することができ,結果的に収穫が多かった。

西田古墳群の付番及び所在地に関しては,資料によって異なっている。可能な限り多くの関連資料を収集し,比較検討した上で,現地踏査に臨んだ。

発掘調査された円墳に関しては,茨城県新治郡千代田村教育委員会編『千代田村文化財調査報告書Ⅱ 西田古墳』(昭和48年3月)の中にまとめられている。この資料では,発掘調査された古墳を便宜上2号墳としている。そして,1基の前方後円墳と5基の円墳があるとしつつもその所在地は特に示されていない。ただし,写真を見ると,前方後円墳を1号墳とし,発掘調査した古墳とは別の古墳(円墳)を3号墳としている。
発掘調査された古墳は,古墳群の北端に位置する円墳となっている。

茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅰ』(昭和57年3月)の209頁は,西田古墳群に関し,3基の前方後円墳(全長20~30m)と5基の円墳(いずれも直径20m)の合計8基の古墳によって構成される古墳群としている。南端にある古墳が1号墳(前方後円墳)であり,北端にある古墳が8号墳(円墳)になる。2号墳と3号墳は,前方後円墳とされている。
『千代田村文化財調査報告書Ⅱ 西田古墳』の発掘調査された円墳が『重要遺跡調査報告書Ⅰ』のどの古墳に該当するのかは不明。『重要遺跡調査報告書Ⅰ』の編纂時点では既に湮滅しており,『重要遺跡調査報告書Ⅰ』の中に反映されていない可能性がある。

佐々木憲一・田中裕編『続常陸の古墳群』(六一書房)の207~0208頁は,西田古墳群に関し,3基の前方後円墳と2基の円墳の合計5基の古墳で構成される古墳群としているが,その所在地を示す配置図(207頁)を観ると,『千代田村文化財調査報告書Ⅱ 西田古墳』の2号墳を基準にして配置図を描いている。『重要遺跡調査報告書Ⅰ』との対応関係を調べてみると,以下のようになる。

  重要遺跡調査報告書Ⅰ 続常陸の古墳群    現況   千代田村報告書

  1号墳(前方後円墳) 5号墳(円墳)    石室のみ
  2号墳(前方後円墳) 記載なし       現存
  3号墳(前方後円墳) 記載なし       現存
  4号墳(円墳)    3号墳(前方後円墳) 湮滅?  3号墳?
  5号墳(円墳)    2号墳(円墳)    湮滅   2号墳?
  6号墳(円墳)    1号墳(前方後円墳) 湮滅   1号墳?
  7号墳(円墳)    4号墳(前方後円墳) 湮滅
  8号墳(円墳)    記載なし       現存

この対応関係からすると,『続常陸の古墳群』の記載を判断基準とすることができないことが明らかなので,『重要遺跡調査報告書Ⅰ』の付番に従うのが妥当だと判断した。
なお,『重要遺跡調査報告書Ⅰ』の209頁に示された古墳所在地は,かなり正確なもので,現存古墳は,まさにその場所にあった。
なお,『重要遺跡調査報告書Ⅰ』の209頁には「調査結果をもとにして説明板等を設置して普及活用を図りながら保護する必要がある」との注記がある。しかし,過去において,そのようにされたことは全くなかったようだ。逆に林の中を通る道の路傍では不法投棄された粗大ごみ(電化製品の残骸など)が目だった。

試みにGoogleの航空写真を元にして現況の古墳配置図を作成してみると,概ね下記のとおりになる。黄色は現存。灰色は湮滅。青色は不明。ただし,凡その所在地を示すものであり,正確な場所を示すものではない。

西田古墳群.jpg


西田古墳群の1号墳は,古墳群の最南端にあり,現況は,畑の中に石棺が露頭しているだけの状態となっている。
墳丘の残骸のように見えるものは,元の地面の残存部分であり,墳丘の残部ではないと思われる。


IMG_2897.JPG
北の方から見た1号墳所在地付近


IMG_2900.JPG
西の方から見た1号墳所在地付近


IMG_2905.JPG
1号墳の石室(ズーム)


IMG_2902.JPG
南西の方から見た1号墳所在地付近


IMG_2907.JPG
南の方から見た1号墳所在地付近
(奥の林の中に2号墳がある)

この記事へのコメント