土浦市今泉:愛宕山古墳群再訪

過日,愛宕山古墳群(茨城県土浦市今泉)を再訪した。
再訪した理由は,佐々木憲一・田中裕編『常陸の古墳群』(六一書房)の284頁にある愛宕山古墳群配置図にある。この配置図は,「上高津貝塚ふるさと歴史の広場文献2005」をそのまま複製利用したもの(複製使用の許諾の有無は不明)として記載されているものなのだが,文献一覧には同じ2005年に刊行された上高津貝塚ふるさと歴史の広場年報の第10号と第12号が掲げられているので,そのどちらを指すのか特定されておらず,識別不能という意味で著作権法に定める「公正な引用」の要件にも欠けるかなり問題のあるものだ。それ以上に,上高津貝塚ふるさと歴史の広場年報の第10号または第12号に掲載の図が正確に引用されているかどうかも不明という意味でも問題がある。必要な使用許諾等を得た上で,適宜修正を加えた改訂版を出さなければ著作権侵害物である可能性がある。
それはさておき,この図には7号墳と8号墳が現存しているように書かれている。
8号墳について疑問に思っているということは既に前の記事で書いたとおり。茨城大学人文学部史学第6研究室(茂木雅博)編『土浦の遺跡』(1984年)の162頁では,8号墳と9号墳が既に湮滅しているという扱いになっている。8号墳の実際の所在地は,工場敷地内と思われる。
『常陸の古墳群』の284頁に示された7号墳の所在地に関しては,『土浦の遺跡』の162頁に示された所在地とも異なる。『土浦の遺跡』の162頁に示された所在地付近には別の地膨れのようなものもある。
無論,その後の史跡公園整備に伴い道路の位置が少し変更になっているので,その点も考慮に入れなければならない。ただし,土浦市今泉と土浦市粟野町との境界にある道は,(行政区画上の境界なので)大きな変動はないという前提で考えるべきだと思う。

以上のようなわけで,『常陸の古墳群』の284頁において7号墳として示されている場所に古墳と認めることができる地形が存在するのかどうかを確認したかった。
以前訪問した際には,あまり意識していなかったので,問題の場所付近の形状を明確に認識しなかった。

問題の場所は,愛宕山古墳群の11号墳の南西すぐ近くとなっている。
現地で確認したところ,『常陸の古墳群』の284頁の配置図に示された場所から少し西にずれた場所に地膨れのようなものがあった。その場所は,『土浦の遺跡』の162頁に示された場所に該当すると判断する許容限度内にはない。『土浦市史』にある手書き図に示された位置からは大きくずれている。『土浦市史』にある手書き図が正しいとすれば,7号墳はもっと北の方に位置する笹薮の中に所在するのでなければならない。
この地膨れのようなものは,古墳ではなく,道路工事の際に形成された残土の名残りのようなもの,または,地山の削り残しのようなものではないかと思う。

以上が得られた結論だった。

IMG_2718.JPG
南西の方から見た様子


IMG_2720.JPG
南の方から見た様子


IMG_2721.JPG
東の方から見た様子


IMG_2729.JPG
北東の方から見た様子


ついでに,周辺の古墳も観た。


IMG_2714.JPG
『常陸の古墳群』では8号墳とされている塚


IMG_2722.JPG
11号墳


IMG_2743.JPG
紫ヶ丘公園

この記事へのコメント