茨城県猿島郡境町大歩:香取神社と古墳

過日,香取神社(茨城県猿島郡境町大歩)を参拝した。祭神は,経津主命。 拝殿の額には「正一位香取大明神」と記されている。茨城県神社庁では「香取社」としている。 鳥居脇にある大歩香取神社第一石鳥居建設記念之碑に刻まれた由緒書によれば,香取神社は,享保13年(1728年)~17年(1732年)の間に創建された神社とのこと。 本殿を装飾す…
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茨城県猿島郡境町西泉田:稲荷大明神

過日,稲荷大明神(茨城県猿島郡境町西泉田)を参拝した。 稲荷大明神が特に変わっているというわけではない。明治時代以前には神仏習合の状態になっていた普通の稲荷神社だろうと思う。ただし,社殿裏に十七夜供養塔がある。十七夜供養塔は,あまり例がない。 また,稲荷大明神の境内地及びその近隣地に遺跡包蔵地があるわけでもない。逆に西泉田地区の集落…
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那珂市菅谷:不動院大聖寺

過日,不動院として知られる真言宗豊山派・武田山不動院大聖寺(茨城県那珂市菅谷)を参拝した。本尊は,大日如来。 本堂は,とても立派なものだった。 大聖寺は,応永29年(1422年)に両宮洞(現在の宮の池)に東側にあった鹿島宮・八幡宮の神宮寺として創建されたが,その後,寛文13年(1673年),徳川光圀の命により武田山不動院大聖寺として…
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那珂市中台:息栖神社

過日,息栖神社(茨城県那珂市中台)を参拝した。祭神は,気吹戸主大神・天照大神・猿田彦命・塩土翁・上筒男命・中筒男命・底筒男命・角建彦命・角建姫命。 由来書の記載によれば,息栖神社は,永禄4年(1561年)に鹿嶋の息栖神社を勧請して創建された神社とのこと。 息栖神社の境内には集会所があり,多数の人々が集まってカラオケをしているようだっ…
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水戸市田谷町:白石古墳群

過日,白石古墳群(茨城県水戸市田谷町)を見学した。 水戸市教育委員会編『水戸市埋蔵文化財分布調査報告書(平成10年度版)』の53頁によれば,白石古墳群は,15基の古墳によって構成され,その中の1号墳~5号墳は,茨城県県中央水道事務所の施設の北西側段丘縁にあり,残りの古墳は那珂市の木倉地区に所在するとされている。 つまり,水戸市教育委…
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那珂市西木倉:龍瀧不動明神と狐塚古墳

過日,狐塚古墳(茨城県那珂市西木倉)を見学した。 狐塚古墳は,龍瀧不動明神の東約50mのところにある。狐塚古墳の墳丘は民家敷地と畑にまたがっており,公道から直接にアクセス可能な経路はない。公道から見える範囲内で見学した。 狐塚古墳の詳細は不明だが,いばらきデジタルマップ上では「前方後円墳?」と表示されている。現況は,目測で全長10~…
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那珂市西木倉:西木倉古墳群の5号墳

過日,西木倉古墳群(茨城県那珂市西木倉)の1号墳を見学した。 那珂町史編さん委員会編『那珂町史 自然環境・原始古代編』(昭和63年)の549~550頁によれば,西木倉古墳群は,「木倉十三塚といわれ,13基の古墳があったと伝えられているが詳しいことはわかっていない。現存するものは10基である」とのこと。現存する古墳は,1号墳(直径22m…
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那珂市東木倉:東木倉古墳群の所在地

過日,東木倉古墳群(茨城県那珂市東木倉)の所在地を見学した。 東木倉古墳群は,吉田神社の南側台地端に所在し,いばらきデジタルマップでは「円墳1基,前方後円墳?1基」と表示されるので,合計2基の古墳で構成される古墳群ということになる。 何年か前の写真を見ると,洞の上溜池の南西端付近に「東木倉古墳群」と記された木製の標柱が立てられていた…
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那珂市東木倉:吉田神社

過日,吉田神社(茨城県那珂市東木倉)を参拝した。祭神は,日本武尊。ただし,『新編常陸国誌』によれば,吉田神社は,元は阿弥陀如来を本地とする吉田明神社であり,その神体は,阿弥陀仏。 清水洞の上公園にある説明板によれば,清水寺が明治時代に神仏分離により廃寺とさせられた後,同じ場所に清水神社と厳島神社が創建されたが,その後,清水寺が再興され…
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那珂市東木倉:清水寺

過日,曹洞宗・東皐山清水寺(茨城県那珂市東木倉)を参拝した。現在の本尊は,聖観世音菩薩。 説明板によると,清水寺は,徳川光圀が招いた明国の僧・心越興儔禅師が開基した祇園寺の二世・宝曇禅師の隠棲の地として創建された寺院とのこと。大正時代に本堂が焼失し,中興開山されたが,住職が他界した後,本来の本尊の白衣観世音菩薩像が行方不明となり,現在…
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水戸市谷田町:寶蔵寺

過日,高野山真言宗別格本山:佛國山文殊院寶蔵寺(茨城県水戸市谷田町)を参拝した。本尊は,勝軍地蔵。 関東八十八ヶ所霊場第三十三番霊場となっている。 寶蔵寺は,文明二年に法界寺として開基されたが,徳川光圀の命により現在の地に移転し,寶蔵寺と改めた寺院とのこと。戦時中に堂宇を焼失し,その後,再建されたようだ。本堂はとても立派なものだった…
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水戸市酒門町:酒門神社

過日,酒門神社(茨城県水戸市酒門町)を参拝した。祭神は,日本武尊。 酒門神社は,常陸三宮・吉田神社(水戸市宮内町)の別宮という位置づけになっている。 酒門神社の境内地と定善寺の境内地を含む周辺一帯は,かなり広い範囲で塙坪遺跡と呼ばれる奈良・平安時代の集落跡の遺跡包蔵地となっている。古くから人々が住んだ良い場所なのだろう。 境内には…
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水戸市酒門町:定善寺

過日,浄土宗・普川山天照院定善寺(茨城県水戸市酒門町)を参拝した。本尊は,阿弥陀如来。 定善寺は,永禄12年(1569年),行誉上人によって下荒地村(現常陸太田市)に建立された寺院で,その後,現在の地に移転したとのこと。東日本大震災により大きな被害を受け,本堂が使用不可となってしまったため,平成27年に現本堂が再建された。 山門は,…
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水戸市酒門町:谷田古墳群の古墳(続)

以前,谷田古墳群(茨城県水戸市酒門町)に属する古墳の一部を見学したのだが,過日,同じ古墳群に属する別の古墳を見学した。 見学した古墳は,谷田町付1号墳と呼ばれている古墳で,ご長寿くらぶ酒門の北西約20m(谷田町公園駐車場の南西約70m)のところにある民家敷地内にある。道路に面しているので道路から墳丘が見える。 この古墳の詳細は不詳だ…
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つくばみらい市板橋:鹿島神社

過日,鹿島神社(茨城県つくばみらい市板橋)を参拝した。 鹿島神社は,板橋不動尊の北西約100mのところにある。 鹿島神社の由緒等の詳細は不詳。 鹿島神社の裏側(北側)には八幡神社がある。併せて参拝した。 八幡神社の社殿前の敷石は,古墳由来の石材を二次利用したもののようにも見える。仮にそうだとして,どの古墳から出土したものなのかは…
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つくばみらい市板橋:八坂神社

過日,八坂神社(茨城県つくばみらい市板橋)を参拝した。 八坂神社は,板橋不動尊の北西側隣地にある。 拝殿の額には「板橋八坂神社」と記されている。八坂神社の由緒等の詳細は不詳だが,下記のつくば新聞の記事によれば,八坂神社の創建は正治3年(1201年),「産土神として信仰されており,疫病退散などに御利益があるとされる」とのこと。 ただ…
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つくばみらい市神生:神生古墳群

過日,神生古墳群(茨城県つくばみらい市神生)を見学した。 神生古墳群は,「きらくやまふれあいの丘」の北西約700m(昭和瀝青株式会社の東約200m)のところに所在している。古墳群所在地付近には駐車可能な場所がないので,「きらくやまふれあいの丘」の駐車場にクルマを停め,そこから先は徒歩で往復した。「きらくやまふれあいの丘」には蒸気機関車…
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常総市水海道天満町:水海道天満宮

過日,水海道天満宮(茨城県常総市水海道天満町)を参拝した。 水海道天満宮は,天神社とも呼ばれるが,東側にある正面鳥居の額には「天満宮」と記されている。 天満宮は,後村上天皇の代(1339〜1368年)に創始され,水海道城主・田村弾正一族の氏神として崇敬された神社とのこと。天神社の本殿は,永禄9年(1566年)に再建された非常に貴重な…
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常総市水海道諏訪町:諏訪神社

過日,諏訪神社(茨城県常総市水海道諏訪町)を参拝した。祭神は,建御名方命・大国主神・事代主神。 諏訪神社は,延宝年間に創建されたと推定されている神社。ただし,明治時代になるまでは小さな神社があるだけの状態であり,関東鉄道開通後に諏訪大社から神霊を勧請して今日の諏訪神社が再興されたとのこと。元の小神社は,境内のケヤキの大樹のあたりにあっ…
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常総市水海道橋本町:八幡神社

過日,八幡神社(茨城県常総市水海道橋本町)を参拝した。祭神は,誉田別命(応神天皇)。大己貴命・建速須佐之男命・宇賀魂命を配祀している。 茨城県神社庁のサイトによれば,天正5年(1577年)以前に豊前宇佐宮(宇佐神宮)の神霊を勧請して創建され,小田原後北条氏との戦いで多賀谷氏の軍勢とともに戦った田村弾正左衛門守の守護神として祀られ,その…
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常総市羽生町:法蔵寺と七ツ塚古墳群(その2)

過日,法蔵寺を参拝した後,七ツ塚古墳群を見学した。 七ツ塚古墳群に関しては,茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅲ』(昭和61年3月)の261頁及び262頁,水海道市史編さん委員会編『水海道市史 上巻』(昭和59年)の87~93頁に解説がある。 現在の付番が不明であり,上智大学のチームによる発掘調査時に番号が付されなかった古墳及び…
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常総市羽生町:法蔵寺と七ツ塚古墳群(その1)

過日,浄土宗・羽生山往生院法蔵寺(茨城県常総市羽生町)を参拝した。本尊は,阿弥陀如来。 法蔵寺は,文禄元年(1592年)に西譽哲山上人により開基の古い寺院とのこと。 法蔵寺の境内には,鶴屋南北の階段の素材の1つとして知られる累一族の墓所があることで非常に有名な寺院なのだが,それとは別に,累一族の墓所の脇に七ツ塚古墳群出土の石棺も保管…
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常総市豊岡町乙:法性寺

過日,浄土宗・観音山大悲院法性寺(茨城県常総市豊岡町乙)を参拝した。本尊は,如意輪観音。 法性寺は,永徳2年(1382年)に了誉聖冏上人によって開基された古い寺院とのこと。下記の法性寺のサイトの説明によれば,了誉聖冏上人は,応安5年(1372年)に観音堂という場所に「横曽根談所(講義所)」を開設し,浄土宗義の講義を行ったとされている。…
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常総市豊岡町乙:横曽根下宿古墳

過日,横曽根下宿古墳(茨城県常総市豊岡町乙)を見学した。 横曽根下宿古墳は,株式会社日本アビリチーズ社の西側にある道路をはさんだ隣地民家内にあり,円墳とされている。道路によって墳丘の3分の1程度が削られてしまっているけれども,道路から墳丘を観ることができる。墳丘上には石室様の石材製の御堂があり,その中に聖観世音菩薩が祀られている。 …
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ひたちなか市磯崎町:稲荷神社

過日,稲荷神社(茨城県ひたちなか市磯崎町)の所在地を見学した。 この稲荷神社は,ひたちなか海浜鉄道湊線磯崎駅の南西約200m(磯崎共同墓地の南西約50m)のところにある。 現在では壊れたまま放置されており,誰も世話をしていないようだ。稲荷神社の遺跡として理解した方が妥当かもしれない。 この稲荷神社の境内地は,観ようによっては古墳の…
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茨城県那珂郡東海村村松:大神宮

過日,大神宮(茨城県那珂郡東海村村松)を参拝した。祭神は,天照皇大神・天手力男神・萬幡豊秋津姫神。 大神宮は,和銅年中(700年頃)奉斎という非常に古い神社とされている。 大神宮の鎮座地は,国立研究開発法人日本原子力研究開発機構原子力科学研究所の南・村松虚空蔵尊の北東となっている。国立研究開発法人日本原子力研究開発機構原子力科学研究…
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茨城県那珂郡東海村村松:雨沢古墳

過日,雨沢古墳(茨城県那珂郡東海村村松)を見学した。 雨沢古墳は,東海村真崎コミュニティセンターの北東約70mのところにあり,その所在地は私有地の中なのだが,現在では完全な空地(墳丘以外の部分は更地)になっており,周囲の公道からも見える。 茨城大学人文学部史学第六研究室編『東海村の遺跡』(1986年)の48~49頁によれば,雨沢古墳…
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茨城県那珂郡東海村白方:和尚塚古墳

過日,白方古墳群の5号墳を再訪して見学した後,和尚塚古墳(茨城県那珂郡東海村白方)を見学した。 和尚塚古墳は,東海村白方コミュニティセンターの南西約300mのところにある。同センターから徒歩で往復して見学した。 茨城大学人文学部史学第六研究室編『東海村の遺跡』(1986年)の156頁によれば,和尚塚古墳は,1辺約20m・高さ2m程度…
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茨城県那珂郡東海村白方:白方古墳群5号墳再訪

以前,白方古墳群(茨城県那珂郡東海村白方)を見学したのだが,過日,再訪し,改修工事を終えた後の東海村白方コミュニティセンター敷地内に保存されている白方古墳群5号墳を見学した。 前回訪問した時には,東海村白方コミュニティセンターの建物改修工事のため,5号墳の近くに寄ることができなかった。墳丘は,発掘調査後に復元されたもののようだ。 他…
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日立市神田町:鹿島神社と静神社

過日,移動中に鹿島神社と静神社(茨城県日立市神田町)が並ぶ場所の前を通った。 境内地の隣地にある集会所の駐車スペースに車を停め,両神社を参拝した。集会所の前には愛宕神社があるので,同社も参拝した。 社殿は,立派なものだと思う。 普通によくある神社のようにも見えるのだが,何となく気になる部分があった。これらの神社は,歴史の証人のよう…
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常陸太田市小島町:星神社古墳再訪

下記の青葉考古学倶楽部のブログ記事で,測量調査のため,星神社古墳(茨城県常陸太田市小島町)の墳丘上に生えていた樹木の一部が伐採され,墳丘が見えやすくなったことを知ったので,過日,星神社古墳を再訪した。 まずは星宮神社を参拝。 北側の墳丘の様子がよく見えるようになっており,全体の形を把握するのが容易になっていた。 鳥居 …
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野の菫

散策中,路傍で菫の花を見かける機会が多くなってきた。 まだ咲き始めなので,もっと大きくなる種でもまだ丈が低い。 ついつい写真を撮ってしまう。 春になると自動的にそのようにしてしまう習性が身についてしまったらしい(笑) アツバスミレ 同上 アカネスミレ? 同上 ヒメス…
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行方市:西蓮寺の桜と古墳

本日,天台宗・尸羅度山曼珠院西蓮寺(茨城県行方市西蓮寺)を再訪し,参拝した。 花見のために出かけたわけではないのだが,ちょうど桜が開花中で,とても綺麗だった。 元寇戦勝記念の相輪橖の周りにある桜を観て,改めて気持ちを引き締めた。 仁王門前の桜 鐘楼前の桜 薬師堂前の桜 相輪橖周辺の…
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筑西市井出蛯沢:御止山古墳

過日,御止山古墳(茨城県筑西市井出蛯沢)を見学した。 御止山古墳は,有限会社枝興業の南側隣地にあり,全長20mの前方後円墳とされている。詳細は不明なのだが,ざっと観た感じでは,北西側に後円部があるように見えるけれども,前方部が高くなっている古墳または後円部の墳頂付近が既に削平されている古墳であるために,前方部と後円部が逆に見えるような…
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結城市結城:松木合古墳群再訪

過日,松木合古墳群(茨城県結城市結城)を再訪した。「松木合」は「まつきや」と読む。 以前訪問した時には,地の神塚を見つけることができなかった。その後,関連資料を可能な限り多数収集し,比較検討してみた。結論として,茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅲ』(昭和61年3月)の252頁にある記述・写真・地図が最も正確だという判断に至った。…
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結城市小田林:富士浅間塚古墳

過日,富士浅間塚古墳(茨城県結城市小田林)を見学した。 富士浅間塚古墳は,神明神社の南東約100mのところに所在し,栃木県小山市と茨城県結城市との境界のすぐ近くにあるけれども,ぎりぎりで茨城県の範囲内にある。富士浅間塚古墳は,現在では小田林古墳群の中に含めて理解する考え方が普通のようだ。 富士浅間塚古墳は,全長30m,後円部直径18…
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結城市小田林:神明神社と古墳

過日,神明神社(茨城県結城市小田林)を参拝した。 小田林鎮守神明神社移築竣工記念碑に刻まれている由緒によれば,創建の詳細は不詳ではあるけれども非常に古い神社であり,結城氏から保護を受けた神社のようだ。明治時代の神仏分離により村社となり,近隣の神社(市杵島神社・雷神社・浅間神社・香取神社・神明社・子ノ八幡神社・羽黒神社・天神社・山神社・…
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結城市小田林:靍見稲荷神社

過日,靍見稲荷神社(茨城県結城市小田林)を参拝した。 靍見稲荷神社は,結城市小田林コミュニティセンターの隣地にある。由緒等の詳細は不明。 靍見稲荷神社の鎮座地は,元は小田林古墳群を構成する古墳の1つが所在した場所だったのではないかというような印象を受けた。 実は,別の遺跡等を見学するために同コミュニティセンターの駐車場にクルマ…
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結城市矢畑:金刀比羅神社

過日,金刀比羅神社(茨城県結城市矢畑)を参拝した。 金刀比羅神社は,セブンイレブン結城矢畑店の南東約30mのところにある。 小さな神社なのだが,いかにも元古墳というような雰囲気が漂っていた。 参拝を終え,帰ろうとしたら,神社の前にある御宅の奥様とたまたま出逢った。その方の説明によると,神社の境内地は,元はその方の家の所有地だったの…
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結城市上山川:諏訪神社

過日,諏訪神社(茨城県結城市上山川)を参拝した。祭神は,建御名方神・事代主神。 下記の結城諏訪神社のサイトによれば,諏訪神社は,天慶3年(940年),藤原秀郷が平将門に対する戦勝を祈願して諏訪神社を勧請したのが始まりの神社とのこと。 境内には勝負岩というものがあり,藤原秀郷を敵の矢から守ったとの伝承がある。矢と石とが関連する伝承は,…
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結城市上山川:愛宕神社と古墳

過日,愛宕神社(茨城県結城市上山川)を参拝した。 愛宕神社は,東持寺の南東約500mのところにある。 愛宕神社の社殿は愛宕山塚と呼ばれる古墳の上にあり,典型的な古墳神社の形態をとっている。 愛宕山塚古墳は,愛宕山古墳とも呼ばれ,詳細は不明だが,結城市指定の有形文化財であり,目測で直径20~25m前後・高さ3m程度の円墳のように見え…
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茨城県那珂郡東海村村松:舟塚古墳群

過日,舟塚古墳群(茨城県那珂郡東海村村松)を見学した。 茨城大学人文学部史学第六研究室編『東海村の遺跡』(1986年)の44~46頁によれば,かつて,舟塚古墳群は,2基の前方後円墳と2基の円墳の合計4基の古墳によって構成される古墳群だったようなのだが,現存するのは2号墳(前方後円墳)と3号墳(円墳)のみになっている。 また,周辺には…
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那珂市本米崎:本米崎古墳群

過日,本米崎古墳群(茨城県那珂市本米崎)を見学した。「本米崎」は「もとこめざき」と読む。 本米崎古墳群は,常磐自動車道東海PAの西~北西付近に所在し,いばらきデジタルマップの表示上では3基の円墳と形状不明の古墳1基によって構成される古墳群とされている。 現在,明らかに古墳として視認可能であり,かつ,標柱が立てられている古墳は,常磐自…
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茨城県那珂郡東海村舟石川:富士神社と古墳

過日,富士神社(茨城県那珂郡東海村大字舟石川)を参拝した。祭神は,木花開那姫命。 富士神社は,慶長15年(1610年)に富士浅間神社を古墳の上に勧請したのが始まりの神社とのこと。 富士神社の社殿は,とても立派なものだった。 富士神社は,大きな前方後円墳(1号墳)の上に鎮座しており,後円部上に社殿や境内社がある。また,西側参道鳥居の…
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ひたちなか市阿字ヶ浦町:氏神神社

過日,氏神神社(茨城県ひたちなか市阿字ヶ浦町)を訪問し,敬意を表する趣旨で参拝した。 鳥居脇にある石碑によれば,黒澤家は,藤原氏の流れを汲み,元は山城國を本拠地とし,源義家の東征軍に従軍して戦功があったため,依上郷に領地を賜って黒澤氏を名乗るようになり,越後國一田庄,上総國一宮,下総國海上等を所領するようになった一族の子孫であり,その…
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ひたちなか市阿字ヶ浦町:愛宕神社と古墳

過日,愛宕神社(茨城県ひたちなか市阿字ヶ浦町)を参拝した。 愛宕神社は,ひたちなか海浜鉄道湊線・阿字ヶ浦駅の北西約120mのところにある。 愛宕神社の基壇部は,愛宕神社古墳と呼ばれる古墳とされている。その詳細は不明なのだが,現況は,目測で直径10m前後,高さ2m程度の円墳のように見える。ただし,墳丘の一部が掘削されているようにも見え…
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ひたちなか市阿字ヶ浦町:ほしいも神社

過日,ほしいも神社(茨城県ひたちなか市阿字ヶ浦町)を参拝した。 ほしいも神社は,堀出神社の境内社の1つと思われる。茨城県に干芋生産技術を導入することについて非常に大きな功績のあった小池吉兵衛氏を顕彰し,茨城県が干芋の生産において日本国でもトップクラスの県となったことを記念するための神社とのことなのだが,宮司さんはユーモアのセンスがとて…
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ひたちなか市阿字ヶ浦町:堀出神社と古墳

過日,堀出神社(茨城県ひたちなか市阿字ヶ浦町)を参拝した。祭神は,誉田別尊。 下記の堀出神社のサイトは,「寛文11年(1671年)8月13日,岡見伝五右エ門尉吉高(14才)の記した由来記」を引用し,前浜村と平磯村との境界争いの解決のための検分の際に石廊が見つかり,その中から「刀,折れた脇差,槍,鉾3枚,矢の根,具足,州枚形からがね2枚…
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ミズバショウとザゼンソウ

国レベルの緊急事態宣言が解除されたので,昨日,久しぶりに茨城県外に出た。それまでは国の緊急事態宣言の趣旨を尊重し,県外に出ないようにしていた。 しかし,高度のリスクがあるので,今後も,仕事上の義務として移動しなければならない場合などを除き,1都3県の人口密集地帯には入らないようにする予定。 宣言解除後に最初に訪問したのは,栃木県…
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水戸市米沢町:福沢古墳群

過日,福沢古墳群(茨城県水戸市米沢町)を見学した。 水戸市教育委員会編『水戸市埋蔵文化財分布調査報告書(平成10年度版)』(平成11年3月)の16頁によれば,福沢古墳群は,元は4基の円墳で構成される古墳群だったけれども,墳丘が現存するのは1号墳及び2号墳の2基だけとのこと。 福沢古墳群の1号墳は,逆川緑地に隣接する墓地のすぐ東の…
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水戸市米沢町・千波町:逆川緑地で観た鳥

過日,紅梅が満開となる頃,逆川緑地(茨城県水戸市米沢町・千波町)を散策した。この場所を訪問するのは二度目。 緑地内では,のんびり散策する人がちらほら。 以前訪問した時には木道が修理中だったらしく通行止めとなっていたけれども,今回は木道を歩き,そのあたりにいる鳥を観ることもできた。 良い公園だと思う。 なお,水戸神社の石段は,相変…
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常総市蔵持:神子埋古墳群(その3)

過日,神子埋古墳群群(茨城県常総市蔵持)を見学した。 弁天塚古墳所在地の東約100mのところに平親王将門一族墳墓之地という石碑と説明板がある。 現在では窪地のようになってしまっているけれども,堤防が構築された結果,相対的に低い土地になったというだけのことで,元の地形は全く異なっていたと考えられる。 この石碑の所在地の北側に小山…
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常総市蔵持:神子埋古墳群(その2)

過日,神子埋古墳群群(茨城県常総市蔵持)を見学した。 弁天塚古墳(神子埋65号墳)は,六所塚古墳(神子埋73号墳)の南東約50mのところにある。 弁天塚古墳は,径31.0メートル、高さ2.6mの円墳とされている。自然の山から削り出して造営された古墳ではないかと思われ,実際の大きさはもっと小さな古墳のように見える。精密な再調査を要…
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常総市蔵持:神子埋古墳群(その1)

過日,神子埋古墳群(茨城県常総市蔵持)を見学した。「神子埋」は「かみこのめ」と読み,「神子女」とも書く。 茨城県西部には「蔵持」または「倉持」を姓とする人や会社名とする企業がかなり多数ある。「蔵持(倉持)」の起源には諸説ある。雲井宮郷造神社(茨城県筑西市倉持)との関係では,「倉持」は古代の車持氏の「車持」から転じたものとの見解もある。…
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常総市蔵持:庚申塚

過日,茨城県常総市蔵持のあたりを徒歩で移動中に庚申塚を見た。 その庚申塚は,山崎自動車工業の南西約70mのところであり,調べてみると,地区(蔵持新田・大沢新田・古間木沼新田)の境界と道の分岐点とが重なっている場所だということがわかった。道祖神としての役割を果たしているのだろうと思う。 いつ築造されたものかはわからず,比較的最近につく…
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古河市山田:香取神社と十三塚古墳群

過日,香取神社(茨城県古河市山田)を参拝した。 香取神社は,久昌院の南西約50mのところにある。近隣には奈良・平安時代の遺跡包蔵地が複数存在するが,北の方の遺跡包蔵地では盛んに大規模開発行為が進行中だった。 香取神社の周辺は十三塚古墳群の所在地となっているのだが,現況は,1基しか現存しておらず,しかも,その所在地が民家の敷地内になっ…
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古河市山田:久昌院

過日,曹洞宗・益葉山久昌院(茨城県古河市山田)を参拝した。本尊は,釈迦牟尼仏。 葛飾坂東観音霊場第十八番札所及び猿島坂東三十三観音霊場第九番札所となっている。 久昌院は,天文18年(1549年)に創建された寺院とのこと。 山門は,素晴らしい鐘楼門になっている。境内には多数の御堂が並び,更に,益葉稲荷神社がある。運転中だったので写真…
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古河市上辺見:鐙塚古墳所在地と香取神社

過日,鐙塚古墳(茨城県古河市上辺見)の所在地を見学した。 茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅰ』(昭和57年3月)の283頁によれば,鐙塚古墳は,当時の現況で東西径約23m×南北径約35m・高さ約2mの円墳様の古墳であり,既に北側と西側が土取りによってかなり変形している状態だったようだ。 鐙塚古墳の所在地は,東泉町行政区公民館の…
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古河市小堤:円満寺

過日,真言宗豊山派・寶林山円満寺(茨城県古河市小堤)を参拝した。本尊は,延命地蔵菩薩。 円満寺は,大同4年(809年)に創始された寺院とされている。元は別の場所にあったらしい。 円満寺は,葛飾坂東観音霊場第三十三番札所となっている。 現在の円満寺の境内地とその周辺一帯は,小堤城があった場所とされており,境内地の西側には小堤城の土塁…
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結城市結城:稲荷神社と古墳

過日,稲荷神社(茨城県結城市結城)を参拝した。 稲荷神社は,結城市城南コミュニティセンターの西約150mのところにある。 小さな稲荷神社で周囲は住宅地となっている。鳥居をくぐり,ぐるりと回ると社殿の前の石段のところに出る。 稲荷神社の基壇部は,繁昌塚古墳と呼ばれ,全長35mの前方後円墳とされている。現況は,目測で1辺8m前後・高さ…
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古河市柳橋:龍蔵院

過日,真言宗豊山派・柳橋山龍蔵院西光寺(茨城県古河市柳橋)を参拝した。本尊は,聖観世音菩薩。 下記の龍蔵院のサイトによれば,龍蔵院は,正徳4年(1714年)に始まった葛飾坂東観音霊場第十六番札所となっており,その開祖である秀伝和尚生家の菩提寺とのこと。平安時代の弘法大師と八龍大神の伝承があるようだ。古河市の南に隣接する猿島郡境町には八…
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古河市柳橋:弁財天古墳群の2号墳

過日,弁財天古墳群(茨城県古河市柳橋)の所在地を見学した。 弁財天古墳群は,柳橋愛宕神社の北東約250mのところにある小さな林の中にある。この場所には2つの林がある。かつては合計2基の古墳で構成される弁財天古墳群だったが,現在では,北側の森の中にある2号墳だけが現存している。 総和町史編さん委員会編『総和町史 資料編 原始・古代・中…
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古河市柳橋:柳橋愛宕神社

過日,柳橋愛宕神社(茨城県古河市柳橋)を参拝した。 境内には神楽殿と多数の境内社がある。 柳橋愛宕神社は,同社に奉納される柳橋磐戸神楽(柳橋永代太々神楽)で有名な神社となっている。この神楽は,古河市指定無形民俗文化財となっている。 なお,柳橋愛宕神社の境内地及びその周辺一帯は,弁財天遺跡と呼ばれる旧石器時代,古墳時代,奈良・平安時…
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古河市柳橋:香取神社

過日,香取神社(茨城県古河市柳橋)を参拝した。 香取神社は,柳橋北交差点の南西約500mのところにある段丘崖斜面付近に鎮座しており,暖かい時期には植栽された多数の花が咲く神社として知られている。境内には多数の燈籠が設置されており,地元の憩いの場になっているのだろうと思った。 なお,香取神社の境内地及びその周辺は,(国道4号線によって…
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茨城県結城郡八千代町菅谷:伊勢山香取神社

過日,赤城山古墳の見学を終えた後,無事に見学できたことを感謝し,伊勢山香取神社(茨城県結城郡八千代町菅谷)を参拝した。祭神は,経津主命。諏訪神社・神明社を配祀している。 鳥居の額には「香取大明神」と記されている。 香取神社の創建等の詳細は不詳だが,明治時代以降の歴史に関しては,伊勢山香取神社改築記念之碑の中に詳細に記されていた。境内…
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茨城県結城郡八千代町西大山:赤城山古墳

過日,赤城山古墳(茨城県結城郡八千代町西大山)を見学した。 赤城山古墳の近隣に公共駐車場が見当たらなかったので,中結城公園(茨城県結城郡八千代町菅谷)の駐車場にクルマを停め,そこから先は徒歩で往復。途中の遺跡包蔵地なども見学しながら歩いた。 なお,中結城公園の南東の方には菅谷天神塚古墳という大きな古墳がある。 茨城県道20号結…
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古河市尾崎:前野古墳

過日,前野古墳(茨城県古河市尾崎)を見学した。 前野古墳は,株式会社仁和運送の東側入口付近にある。 下記の古河市のサイトによれば,前野古墳は,直径15m・高さ2.2m・周溝幅6mの円墳とされている。 実見したところ,記録されているとおりの規模の墳丘があるように見えた。ただし,周溝は明瞭であるとは言えない。前野古墳の発掘調査が行われ…
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古河市尾崎:栄光寺と古墳

過日,真言宗豊山派・道楽山地蔵院栄光寺(茨城県古河市尾崎)を参拝した。本尊は,不動明王。 報恩の鐘建立記念碑に刻まれた縁起によれば,栄光寺は,承和10年(853年)に開基の寺院であり,江戸時代には大いに栄えたが,その後衰退し,昭和21年以降に復興となり,昭和41年に本堂が建てられ,今日に至っているようだ。 栄光寺の堂宇や境内地は比較…
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古河市谷貝:五丁塚古墳

過日,五丁塚古墳(茨城県古河市谷貝)を見学した。 五丁塚古墳は,有限会社ヨシダ・コーティングの南約100m(オートワークス石原の西約150m)の山林内にある。 三和町史編さん委員会編『三和町史 資料編 原始・古代・中世』(平成4年)の100~101頁は,『猿島の郷土史』を引用して「塚の径33メートル,高さ3メートルもとの高さは三倍あ…
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下妻市坂井:千勝神社下妻社

過日,千勝神社下妻社(茨城県下妻市坂井)を参拝した。祭神は,千勝大神(猿田彦命)。 現在,千勝神社は,つくば市泊崎に鎮座しており,武烈天皇の壬午の歳(502年)に創始とされる千勝神社は,千勝神社下妻社と呼ばれているようだ。千勝神社のホームページでそのように呼称しているので,このブログ記事でもそのように呼ぶことにする。 千勝神社下妻社…
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最近観た花

散策していると,綺麗な花を目にすることが多くなった。完全に春到来という感じがする。園芸品種の樹の花が多いけれども,路傍に野草の花を見かけることもあり,心が和む。 ハナモモの品種 ダンコウバイ ジンチョウゲ モクレンの品種 リュウキンカ
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筑西市田宿:龍雲寺

過日,曹洞宗・洞岳山龍雲寺(茨城県筑西市田宿)を参拝した。 龍雲寺の縁起等の詳細は不明だが,真壁郡新坂東三十三観音第二十九番札所とのこと。 境内には多数の観音像がある。 同じ曹洞宗の長信院がすぐ近くにあるのだが,かなり雰囲気の異なる寺院だと思った。ただ,どちらの寺院に関しても,元は境内に古墳があったのではないかとの印象を受けた。 …
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筑西市海老ヶ島:長信院

過日,曹洞宗・長信院(茨城県筑西市海老ヶ島)を参拝した。 縁起等の詳細は不詳。 彩色のせいもあるのかもしれないが,長信院本堂正面の彫刻は,造形として凄みがある。 長信院の境内には二十三夜供養塔などの古い石造物が多数ある。その中で六地蔵に目がとまった。 同じ様式の六地蔵を曹洞宗・般若山法性寺(埼玉県秩父郡小鹿野町般若)と臨済宗妙心…
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筑西市海老ヶ島:五所神社

過日,徒歩で移動中に五所神社(茨城県筑西市海老ヶ島)の前を通った。 立ち寄って参拝した。 由緒等の詳細は不詳。 手水鉢の紋がちょっと気になった。目結のようにも見えるが,よくわからない。新田氏と何か関係するのだろうか? 鳥居 拝殿 本殿 手水
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筑西市海老ヶ島:道源寺

過日,時宗・道源寺(茨城県筑西市海老ヶ島)を参拝した。 道源寺の縁起等の詳細は不詳。 道源寺の入口付近には大きな馬頭観世音があり,その馬頭観世音の裏に大師堂がある。 更に,馬頭観世音の前には青面金剛明王,地蔵菩薩,不動明王,如意輪観音,三日月堂碑が並んでいる。 松崎かおり「ミカヅキサマを祀る習俗-栃木県河内郡南河内町を中心に-」…
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筑西市海老ヶ島:稲荷塚古墳

過日,稲荷塚古墳(茨城県筑西市海老ヶ島)を見学した。 稲荷塚古墳は,筑西市立大村小学校の南約100mのところに所在し,西側隣地は天理教眞壁分教会の建物敷地となっている。 明野町史編さん委員会編『明野町の遺跡と遺物』(昭和58年)の70頁に簡単な解説があり,「方形を呈している」との記述があるけれども,古墳の規模等に関する詳細な記述はな…
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筑西市鍋山:浅間神社と古墳

過日,浅間神社(茨城県筑西市鍋山)を参拝した。拝殿の額には「浅間神社」と記されている。 浅間神社は,ファナックつくば工場の西の方(茨城県道・栃木県道45号つくば真岡線の東)にある。その周辺には縄文時代,古墳時代,奈良・平安時代及び中世の遺跡包蔵地が幾つかあるけれども,その大半が既に湮滅している。 浅間神社の近隣に公共駐車場が見当たら…
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筑西市宮後:鞍懸神社と宮山古墳群(その3)

過日,宮山古墳群(茨城県筑西市宮後)を見学した。 このブログ記事では,『明野町の遺跡と遺物』にある付番に従うこととし,『重要遺跡調査報告書Ⅰ』にある付番を示すときは「旧*号墳」と記述することにする。 筑西市立長峰小学校の南西にあった1号墳(旧1号墳)及び3号墳(旧2号墳)は,完全に削平されて畑地となっている。 1号墳の西にある…
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筑西市宮後:鞍懸神社と宮山古墳群(その2)

過日,宮山古墳群(茨城県筑西市宮後)を見学した。 このブログ記事では,『明野町の遺跡と遺物』にある付番に従うこととし,『重要遺跡調査報告書Ⅰ』にある付番を示すときは「旧*号墳」と記述することにする。 宮山古墳群の5号墳は,鞍懸神社の背後(北側)にあり,目測で直径約10m・高さ約2mの円墳のように見える。鞍懸神社の御神体ではないか…
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筑西市宮後:鞍懸神社と宮山古墳群(その1)

過日,宮山古墳群(茨城県筑西市宮後)を見学した。 茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅰ』(昭和57年3月)の265頁によれば,宮山古墳群は,宮山観音古墳(前方後円墳)と3基の円墳で構成される古墳群として認識されていたようだ。現在,筑西市立長峰小学校の南西にあった1号墳(直径10m・高さ2mの円墳)及び2号墳(直径10m・高さ3mの…
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筑西市宮山:宮山観音堂と宮山観音古墳再訪

過日,宮山観音古墳(茨城県筑西市宮山)の所在地を再訪した。 宮山観音堂の前で合掌し,宮山観音古墳とその周辺を見学した。 やはり,草木の葉がない季節に見学したほうが墳丘の形などを丁寧に観察することができる。ぐるりと回って丁寧に観てみたけれども,後円部の墳頂にある御堂に到達するための道はなさそうだ。 宮山観音堂 (背後は宮山…
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桜川市真壁町椎尾:北原古墳など

過日,北原古墳(茨城県桜川市真壁町椎尾)を見学した。 北原古墳は,茨城県道・栃木県道41号つくば益子線が茨城県道148号東山田岩瀬線に分岐するT字路交差点の西約150mのところ(つくばりんりんロードの南)にある。 真壁町史編さん委員会編『真壁町史料 考古資料編Ⅴ』(平成17年)の132頁によれば,北原古墳の残存墳丘は直径約26m・高…
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桜川市真壁町椎尾:下の宮神社とその周辺

過日,下の宮神社(茨城県桜川市真壁町椎尾)を参拝した。祭神等の詳細は不詳。 下の宮神社の境内地には南椎尾農村集落センターの建物がある。 本殿は茅葺の立派なつくりのものなのだが,古くなっており,少し傾いていた。一部応急修理が行われていたので,今後,全面的な改修工事が行われるのかもしれない。そうなると,茅葺屋根を見ることができなくなる可…
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鉾田市鉾田:金刀比羅神社

過日,金刀比羅神社(茨城県鉾田市鉾田)を参拝した。祭神は,大物主神。 金刀比羅神社は,山王古墳群のある台地の南西端裾付近にあり,長い石段を登ると社殿に至ることができる。 かつてはとても賑わった神社だったのだろうと思った。 一の鳥居 二の鳥居と拝殿 拝殿 拝殿正面の彫刻(一部) …
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鉾田市鉾田:山王古墳群

過日,山王古墳群(茨城県鉾田市鉾田)を見学した。 鉾田町史編さん委員会編『鉾田町史 原始・古代資料編』(1995年)の348~350頁によれば,山王古墳群は,1基の前方後円墳,1基の方墳及び2基の円墳で構成される古墳群とされている。その所在地(分布域)は,三光院の東側にある台地上(鉾田小学校の南東・鉾田第一高等学校の南西・東西に建物が…
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鉾田市鉾田:三光院

過日,天台宗・三光院(茨城県鉾田市鉾田)を参拝した。 縁起等の詳細は不詳。 境内地に古い供養塔などが多数立てられているので,古い歴史をもつ寺院なのだろうと思った。 三光院の墓地は,本堂の裏手(東側~北東側)にあるのだが,比較的最近になって大規模に整理されたらしく,元の地図に記載された状態とは異なるものとなっていた。三光院本堂のすぐ…
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鉾田市鉾田:富士峰古墳群

過日,富士峰古墳群(茨城県鉾田市鉾田)を見学した。 鉾田町史編さん委員会編『鉾田町史 原始・古代資料編』(1995年)の354~355頁によれば,富士峰古墳群は,元は5基以上の円墳で構成される古墳群だったけれども,2基の円墳だけが現存しており,北側の1号墳は現況で直径5m・高さ2.5mだが元は直径20mと推定される円墳であり,南側の2…
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鹿嶋市棚木:大福寺と妙庫塚

過日,真言宗豊山派・蓮光寺(茨城県鹿嶋市奈良毛)を参拝した折,真言宗豊山派・補陀洛山庫蔵院大福寺(茨城県鹿嶋市棚木)の存在を知り,訪問しようと思っていた。やっとその機会を得た。 大福寺の本尊は,十一面観世音菩薩。壇ノ浦の決戦の後,平景清(藤原景清)の娘・人丸が十一面観世音菩薩を背負って常陸国鹿島郡白鳥荘まで落ち,この菩薩像を安置する棚…
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牛久市牛久町:正源寺

過日,曹洞宗・瑞雲山正源寺(茨城県牛久市牛久町)を参拝した。本尊は,釈迦牟尼仏。 正源寺は,文禄元年(1592年)に牛久城主・由良国繁により七観音八薬師の一つとして創建されたのが始まりの寺院とのこと。牛久城周辺は古くら交通の要衝でもあり,幾多の戦乱によって多くの人々の命が失われた。七観音八薬師は,それらの人々の菩提を弔うためのもの。 …
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石岡市大増:香取神社

過日,香取神社(茨城県石岡市大増)を参拝した。 香取神社は,大覚寺の南の方に位置する山裾にあり,茨城県道140号西小塙石岡線から鳥居や社殿が見える。 香取神社を参拝した後,境内を拝見しながら,大覚寺における弁円の伝承と重ねて考えてみると,様々な歴史仮説を考えることができると思った。 香取神社の社殿裏にはスダジイの巨木がある。石岡市…
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石岡市大増:大覚寺

過日,浄土真宗本願寺派・板敷山大覚寺(茨城県石岡市大増)を参拝した。 大覚寺は,後鳥羽院の子・正懐親王が草庵を結び阿弥陀如来を安置して大覚阿弥陀堂としたことに始まるとのこと。 山伏・播磨公弁円の伝承と共に「親鸞聖人法難の地」として知られる。弁円は,改心の後,明法房として親鸞聖人の布教活動のために尽力したと伝えられている。弁円の伝承は…
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石岡市染谷:後生車古墳群(その2)

過日,後生車古墳群(茨城県石岡市染谷)を見学した。 後生車古墳群は,NTTドコモの鉄塔の南約50mのところにある小規模な墓地区画の南端付近から南西の方に伸びる尾根状の台地の上にある。現存する古墳所在地の範囲は,約60~70mであり,その南西側は台地ごと非常に大きく掘削されており,その掘削された台地裾(現在は空中)に1号墳~3号墳があっ…
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石岡市染谷:後生車古墳群(その1)

過日,後生車古墳群(茨城県石岡市染谷)を見学した。 後生車古墳群は,NTTドコモの鉄塔の南約50mのところにある小規模な墓地区画の南端付近から南西の方に伸びる尾根状の台地の上にある。現存する古墳所在地の範囲は,約60~70mであり,その南西側は台地ごと非常に大きく掘削されており,その掘削された台地裾(現在は空中)に1号墳~3号墳があっ…
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石岡市染谷:新地古墳の所在地

過日,新地古墳(茨城県石岡市染谷)の所在地付近を見学した。 新地古墳は,寶持院の東約300mのところに位置する台地上であり,その台地の尾根から西側部分の現況は,大部分が削平・整地されて太陽光パネル群となっている。その中に1か所だけ方形の残置のような部分があり,そこにはNTTドコモの鉄塔が立てられている。 新地古墳は,長辺8m×短辺4…
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石岡市染谷:永作古墳群

過日,永作古墳群(茨城県石岡市染谷)を見学した。 永作古墳群は,染谷鹿島神社の東約200mのところに所在し,3基の古墳で構成されている。永作古墳群所在地の東の方には後生車古墳群がある。 永作古墳群に関しては,茨城県石岡市教育委員会・石岡市遺跡分布調査会編『石岡市遺跡分布調査報告書』(2001年)の12頁,52頁,遺跡地図No.3に記…
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石岡市若宮:東耀寺

過日,天台宗別格本山・高照山養願院東耀寺(茨城県石岡市若宮)を参拝した。本尊は,阿弥陀如来。 東耀寺は,養老5年(721年)に創建された寺院。月山寺(茨城県桜川市西小塙)を創建した法相宗の僧・徳一(藤原仲麻呂の子)が創建の寺院との伝承もあるとのこと。創建時は法相宗の寺院であり,後に真言宗の寺院となり,江戸時代になって天台宗に改宗したよ…
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石岡市府中:照光寺

過日,浄土宗・雷電山西向院照光寺(茨城県石岡市府中)を参拝した。本尊は,阿弥陀如来。 照光寺は,応安7年(1374年),常陸大掾高幹開基として創建され,常陸大掾氏と縁の深い寺院。天正18年(1590年)常陸大掾氏が佐竹義宣により滅ぼされた際に堂宇が焼失したが,慶長7年(1602年)に再興され,松平家が石岡藩主となった後には松平家によっ…
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石岡市府中:本浄寺

過日,常陸国分尼寺跡を見学した後,浄土宗東本願寺大谷派・大光山本浄寺(茨城県石岡市府中)を参拝した。本尊は,阿弥陀如来。 本浄寺は,天平宝字年間に創建された古い寺院なのだが,建暦2年(1212)に親鸞が常陸國で布教した際に浄土宗に改宗したとのこと。 天狗党と関係する遺跡のある寺院でもある。 本堂のつくりは独特のもので,勉強になった…
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石岡市:常陸国分尼寺跡

過日,常陸国分尼寺跡(茨城県石岡市若松)を見学した。 これまで何度も見学しようと思ったのだけれども,近隣に駐車場が見当たらない。今回は,石岡イベント広場の駐車場にクルマを停め,そこから歩いて見学することにした。 常陸国分尼寺跡には遺跡の南西側入口付近に標石が立てられているだけで,説明板や伽藍配置図等は何もない。それゆえ,予め知識を得…
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石岡市染谷:染谷佐志能神社

過日,染谷佐志能神社(茨城県石岡市染谷)を参拝した。祭神は,豊城入彦命と高龗神。 式内社である常陸國新治郡佐志能神社の論社の1つ。 染谷佐志能神社の鎮座地は,波付岩と並んで筑波山特産の筑波石(雲母片岩)の巨岩の露頭が見られる場所として知られている。 現在の社殿は,コンクリートで固められた大きな基壇の上にある。そのようになる前の社殿…
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石岡市染谷:波付岩

過日,波付岩(茨城県石岡市染谷)を見学した。 石岡市教育委員会編『石岡の地名-ひたちのみやこ1300年の物語-』の131頁には,『石岡誌』(明治43年)の記述を引用した解説がある。旧地名が「石倉」となっているので,神道の磐座だったことの名残りではないかとも考えられる。 龍神山・波付岩ジオサイトの説明板は,常陸風土記の丘公園の駐車場内…
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かすみがうら市粟田:春日神社と堂地古墳群

過日,春日神社(茨城県かすみがうら市粟田)を参拝した。祭神は,春日神。 社殿の額には春日大明神と記されている。 春日大明神及びその近隣には公共駐車場がないので,常陸風土記の丘公園の駐車場にクルマを停め,そこから先は徒歩で往復した。 春日大明神の境内林内には4基の円墳で構成される堂地古墳群がある。 堂地古墳群の分布図及び解説は…
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イタチ

本日,茨城県桜川市北東部某所を徒歩で移動中,イタチを見た。外来種ではなく,ニホンイタチ(Mustela itatsi)のようだ。 田圃の隅を流れる水路に飛び降り,アメリカザリガニか何かを捕まえてはガツガツ食べている。様子を観察しながらズームで写真を撮っていると,こちらに気づき,水路を走って逃げた。 逃げた先の方を観ると,既に道路に上…
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石岡市細谷:細谷古墳群の所在地など

過日,細谷古墳群(茨城県石岡市細谷)の所在地付近を見学した。 細谷古墳群は,茨城県フラワーパークの南西約500mのところにある山(現況山林)の中に位置しており,元の基数は不明だが,現状で1基の前方後円墳(全長30m)と2基の円墳で構成されており,前方後円墳(4号墳)には箱式石棺が露出しているとのこと。 古墳群所在地のある山の南東側斜…
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石岡市須釜:諏訪神社と古墳

過日,諏訪神社(茨城県石岡市須釜)を参拝した。祭神等の詳細は不詳。 諏訪神社の所在地は,大塚山古墳所在地の東約100mのところにある林の中。鳥居の前(南側)には学校給食センターがある。 諏訪神社所在地付近は,菅間地頭職館跡の遺跡包蔵地となっているので,諏訪神社の境内地も地頭職館の一部またはその関連施設だった可能性がある。「須釜」と「…
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石岡市小幡:大塚山古墳

過日,大塚山古墳(茨城県石岡市小幡)を見学した。 大塚山古墳は,直径14m・高さ3.5mの円墳とされている。 セイコーマート八郷小幡店の北東約70mのところにある森の中に所在している。この森は,段丘縁にあり,その南端付近は切通し状の道となっている。この森の中に入る道はないようで,森の西側段丘上は畑となっている。そのため,墳丘近くまで…
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石岡市青田:岩谷古墳

過日,岩屋古墳(茨城県石岡市青田)を見学した。 岩谷古墳の現況は,直径9m・高さ3mほどとのこと。元はもっと大きな古墳だったようだ。 東日本大震災によって石室の一部が壊れてしまったため,修復作業が実施され,現在では修復後の状態のものが公開されている。この修復作業の状況に関しては,『第4回石岡市文化財調査報告会 石岡を掘る4』(平成3…
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石岡市:染谷古墳群再訪(その5)

過日,染谷古墳群(茨城県石岡市染谷)を再訪した。この古墳群の所在地は何度か訪問している。今回の訪問は,これまで見学していなかった古墳を見学し,湮滅古墳を確認するのが目的だった。 染谷古墳群の詳細な分布図は,佐々木憲一・田中裕編『常陸の古墳群』(六一書房)の125頁に収録されている。 染谷古墳群の28号墳~32号墳は,1号墳~27…
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石岡市:染谷古墳群再訪(その4)

過日,染谷古墳群(茨城県石岡市染谷)を再訪した。この古墳群の所在地は何度か訪問している。今回の訪問は,これまで見学していなかった古墳を見学し,湮滅古墳を確認するのが目的だった。 染谷古墳群の詳細な分布図は,佐々木憲一・田中裕編『常陸の古墳群』(六一書房)の125頁に収録されている。 石岡市B&G海洋センターの敷地内南東隅付近には…
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石岡市:染谷古墳群再訪(その3)

過日,染谷古墳群(茨城県石岡市染谷)を再訪した。この古墳群の所在地は何度か訪問している。今回の訪問は,これまで見学していなかった古墳を見学し,湮滅古墳を確認するのが目的だった。 染谷古墳群の詳細な分布図は,佐々木憲一・田中裕編『常陸の古墳群』(六一書房)の125頁に収録されている。 石岡市B&G海洋センターの北東側駐車場の東側は…
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石岡市:染谷古墳群再訪(その2)

過日,染谷古墳群(茨城県石岡市染谷)を再訪した。この古墳群の所在地は何度か訪問している。今回の訪問は,これまで見学していなかった古墳を見学し,湮滅古墳を確認するのが目的だった。 染谷古墳群の詳細な分布図は,佐々木憲一・田中裕編『常陸の古墳群』(六一書房)の125頁に収録されている。 染谷古墳群の7号墳は,石岡市B&G海洋センター…
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石岡市:染谷古墳群再訪(その1)

過日,染谷古墳群(茨城県石岡市染谷)を再訪した。この古墳群の所在地は何度か訪問している。今回の訪問は,これまで見学していなかった古墳を見学し,湮滅古墳を確認するのが目的だった。 染谷古墳群の詳細な分布図は,佐々木憲一・田中裕編『常陸の古墳群』(六一書房)の125頁に収録されている。削平等により既に地形が変わっている場所もある。しかし,…
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牛久市奥原町:鹿島神社

2014年のことだが,鹿島神社(茨城県牛久市奥原町)を参拝した。祭神は,建御雷之男神。 鹿島神社の鳥居の額には「鹿島大神宮」と記されている。 過日,稲荷神社を参拝した後,鹿島大神宮も再訪して参拝したのだが,その時には,鹿島大神宮のすぐそばにある奥原公会堂とその前にあった石仏の写真だけを撮影し,鹿島神社の写真を撮影しなかったので,20…
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牛久市奥原町:大六天古墳と稲荷山古墳

過日,大六天古墳(茨城県牛久市奥原町)を見学した。 以前この場所を訪問した時には道路拡張により湮滅したのではないかと思ったのだが,その後,更に資料等を調べ,現存していることを理解した上で,再度訪問することにした。 大六天古墳は,願名寺の西約100mのところに位置する畑の中にあり,墳丘の周囲を笹薮が包んでいる。畑の中にその場所だけ非常…
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牛久市桂町:御山台古墳群

過日,御山台古墳群(茨城県牛久市桂町)を見学した。 牛久市史編さん委員会編『牛久市史料 原始・古代-考古資料編-』(平成11年)の51頁及び301頁によれば,御山台古墳群は,2基の古墳で構成される古墳群であり,1号墳は,台地先端部の山林中に所在する方墳(長辺約15m×短辺約13m・高さ約1.8m)で,墳頂に大日様の石碑があり,2号墳は…
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ひたちなか市三反田:三反田古墳群(その5)

過日,三反田古墳群(茨城県ひたちなか市三反田)を見学した。 三反田小学校の南西側にある林の中には2基の前方後円墳(1号墳及び2号墳)と円墳(3号墳)がある。 これらの古墳を見学した後,更に北西の方に歩みを進めた。途中で小さな神社を見かけた。鶏卵稲荷大明神という神社らしいのだが,詳細は不明。 鶏卵稲荷大明神 こ…
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ひたちなか市三反田:三反田古墳群(その4)

過日,三反田古墳群(茨城県ひたちなか市三反田)を見学した。 三反田小学校の南西側にある林の中には大型の古墳が現存している。私が訪問した時には,樹木が適切に伐採され,かなり見通しの良い状態となっていた。古墳の見学者にとってはとても助かる。 この林の中には2基の前方後円墳(1号墳及び2号墳)と円墳(3号墳)がある。 勝田市史編さん委員…
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ひたちなか市三反田:三反田古墳群(その3)

過日,三反田古墳群(茨城県ひたちなか市三反田)を見学した。 三反田小学校の南西側にある林の中には大型の古墳が現存している。私が訪問した時には,樹木が適切に伐採され,かなり見通しの良い状態となっていた。古墳の見学者にとってはとても助かる。 この林の中には2基の前方後円墳(1号墳及び2号墳)と円墳(3号墳)がある。 勝田市史編さん委員…
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ひたちなか市三反田:三反田古墳群(その2)

過日,三反田古墳群(茨城県ひたちなか市三反田)を見学した。 庚申塔などがある交差点の西約100mのところに誰が見ても古墳だろうと思われるような高塚がある。この高塚が三反田古墳群の6号墳に該当する。 三反田古墳群の6号墳は,直径約20mの円墳とされている。ただし,茨城県勝田市教育委員会編『勝田市埋蔵文化財分布調査報告書(昭和56年度版…
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ひたちなか市三反田:三反田古墳群(その1)

過日,高井古墳群の所在地を見学した後,みつばち薬局三反田店の南東にある変形交差点のある場所付近に移動した。その交差点の南西側には祠を祀る場所と庚申塔などのある場所が並んでいる。これらの場所は,どの調査記録を読んでも古墳所在地とはされていない。しかし,もしかすると,かなり昔に湮滅してしまった古墳があった場所なのかもしれないとの印象を受けた…
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ひたちなか市三反田:高井古墳群

過日,ひたちなか市柳沢地区にある遺跡包蔵地等を見学した後,東水戸道路にかかる跨道橋をわたり,ひたちなか市三反田地区の北西側部分の方に向かった。そのあたりには三反田古墳群等の遺跡がある。 最初に向かったのは高井古墳群の所在地。 高井古墳群は,全長30mの前方後円墳とされる1号墳と円墳とされる2号墳の2基の古墳で構成される古墳群。 た…
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ひたちなか市柳沢:稲荷神社,御岩神社と古墳(その2)

過日,寺前古墳を見学した後,台地の東側にある集落内を通る道を徒歩で北上し,稲荷神社及び御岩神社(茨城県ひたちなか市柳沢)の方へと向かった。 現在,この台地は,東水戸道路によって分断されている。分断された台地の南側部分の北東端付近に稲荷神社と御岩神社がある。 御岩神社を参拝した後,御岩神社の北約100mのところに鎮座する稲荷神社を参拝…
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ひたちなか市柳沢:稲荷神社,御岩神社と古墳(その1)

過日,寺前古墳を見学した後,台地の東側にある集落内を通る道を徒歩で北上し,稲荷神社及び御岩神社(茨城県ひたちなか市柳沢)の方へと向かった。 そのあたり一帯は,縄文時代から奈良・平安時代まで人々が長く暮らしていた場所であったらしく,柳沢十二所遺跡,御所内Ⅰ遺跡,前方遺跡等の遺跡包蔵地が続いている。現況は古き良き時代の農村風景のような感じ…
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ひたちなか市柳が丘:寺前古墳

過日,寺前古墳(茨城県ひたちなか市柳が丘)を見学した。 以前にも寺前古墳を訪問したことがあるのだけれども,墳丘がよくわからず,関連資料を精査した上で再訪しようと思っていた。やっとその機会を得ることができた。 寺前古墳は,柳が丘第1児童公園のすぐ北側にある山の上にあり,墳丘長約50m,後円部直径約30m・後円部高さ約4.5m,前方部幅…
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筑西市丙:湖月庵

過日,羽黒神社を参拝した後,湖月庵(茨城県筑西市丙)という菓子店に寄った。 湖月庵は,館最中の製造元。館最中の広告看板をところどころで見かけるのだけれども,製造元店舗がどこにあるのかを知らなかった。以前,別の場所で館最中を購入して食べたことがある。餅入りの餡の最中だった。 羽黒神社から下館駅前の時間貸駐車場まで徒歩で戻る途中,この店…
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筑西市甲:羽黒神社

過日,羽黒神社(茨城県筑西市甲)を参拝した。現在の祭神は,大己貴命(大國主命)・玉依姫命。 羽黒神社は,下羽黒神社に相当する神社。上羽黒神社と同様,文明13年(1481年)に水谷勝氏が出羽國羽黒大権現を勧請して創建された神社とされている。 私が訪問したときは,私以外に参拝者が全くなく,境内をのんびりと散策し,建物や石造物等を拝見でき…
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筑西市甲:城山八幡神社と下館城跡

過日,城山八幡神社(茨城県筑西市甲)を参拝した。 城山八幡神社の拝殿は,建て直されたばかりのもののようだ。蔽殿の中にある本殿は,筑西市指定の文化財とのこと。 城山八幡宮の脇には中橋稲荷神社もある。参拝した。 説明板によれば,下館城主・水谷家は羽黒神社を崇敬し,水谷氏が転封した後も代々の城主が羽黒神社を崇敬したが,享保17年(173…
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筑西市岡芹:定林寺

過日,曹洞宗・玉叟山定林寺(茨城県筑西市岡芹)を参拝した。 定林寺は,下館城主・水谷家の菩提寺として知られており,墓地区画内には水谷家歴代の墓所がある。 元は真言宗・般若山定林寺として創建された寺院だったけれども,文明13年(1481年)に下館城主・水谷勝氏が乗国寺(茨城県結城市結城)から良室欣栄和尚を開山に迎えて曹洞宗に改宗し,山…
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筑西市岡芹:上羽黒神社

過日,上羽黒神社(茨城県筑西市岡芹)を参拝した。祭神は,上羽黒大権現。 上羽黒神社は,文明13年(1481年)に水谷勝氏が出羽國羽黒大権現を勧請して創建された神社とされている。羽黒山を勧請した関係から,現在でも神仏習合のままなのではないかと思われる。 境内社として天満宮があり,その脇に如意輪観音がある。 私が訪問した時には紅梅が綺…
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筑西市横塚:横塚神社と古墳

過日,横塚神社(茨城県筑西市横塚)を参拝した。 茨城県神社庁は「横塚神社」として扱っているが,社殿の額には「稲荷神社」と記されている。横塚神社の由緒等の詳細は不明。 横塚神社は,小貝川にかかる「ときわばし」という橋の南東約400mのところにある。徒歩で現地に向かったのだが,橋の東側にある岩崎商店という酒店前付近には大きな二十三夜供養…
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桜川市友部:枡箕ヶ池で観た鳥

過日,松田古墳群を見学した際,枡箕ヶ池(茨城県桜川市友部)で水鳥を観た。オオハクチョウが飛来することで有名な池。去年見た時よりも多くのオオハクチョウが来ているように見えた。 オオハクチョウの他にはマガモ,ホシハジロ,オオバンなどが泳いでいた。
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桜川市松田:白山神社と松田古墳群

過日,松田古墳群(茨城県桜川市松田)を構成する古墳の中で見学可能な古墳を見学した。現時点において公道等から見学可能な古墳は,1号墳と5号墳のみ。2号墳,3号墳及び4号墳は,民家敷地内にあるので,新型コロナの関係等も考慮し,見学を割愛した。 松田古墳群を構成する古墳の配置図は,佐々木憲一・田中裕編『続 常陸の古墳群』(六一書房)の139…
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自宅近くで観たイソヒヨドリ

本日の朝,自宅のある住宅街の道路(自転車店の近く)でイソヒヨドリを観た。 本来は海岸に棲息する鳥なのだけれども,下記のサイトによれば,「海岸の崖地に生息しているのが普通ですが,時に海岸から離れた崖地、さらに人工的な建物にも生息することがあります」とのこと。一体どのような場所を棲み処としているのだろうか? あまり良い写真ではないが,一…
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桜川市岩瀬:香取神社

過日,大岡古墳群を再訪した際,香取神社(茨城県桜川市岩瀬)を参拝した。 手水鉢には「香取大明神」と記されている。由緒等の詳細は不明。 香取神社の鎮座地は,大岡古墳群の9号墳所在地の西約150mに位置する山裾。このあたりには,何となく雰囲気のある地形が散見される。元は古墳群があった場所かもしれない。 鳥居 参道…
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桜川市岩瀬:大岡古墳群再訪(その2)

以前,大岡古墳群の13号墳だけ見学していたのだが,まだ残存古墳があることがわかったので,過日,大岡古墳群の残存古墳の所在地を訪問した。 大岡古墳群の残存古墳の大部分は,13号墳の所在地となっている稲荷神社の東に位置する集落内と富士権現社のある山の山頂付近にある。 大岡古墳群の8号墳は,9号墳の北約50mのところにあり,直径不明・…
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桜川市岩瀬:大岡古墳群再訪(その1)

以前,大岡古墳群の13号墳だけ見学していたのだが,まだ残存古墳があることがわかったので,過日,大岡古墳群の残存古墳の所在地を訪問した。 大岡古墳群の残存古墳の大部分は,13号墳の所在地となっている稲荷神社の東に位置する集落内と富士権現社のある山の山頂付近にある。 国土地理院の地図等で調べた上で,富士権現社のある山へ登ることのできる道…
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小美玉市:泥障塚古墳群再訪(その3)

過日,泥障塚古墳群(茨城県小美玉市納場)を再訪した。佐々木憲一・田中裕編『常陸の古墳群』(六一書房)の157頁にある古墳配置図に従い,泥障塚古墳群に含まれる全ての現存古墳を見学した。 現存古墳は,1号墳~7号墳の合計7基であり,他に湮滅古墳(昭和46年に消滅した円墳)が1基あったとのこと。 泥障塚古墳群の4号墳は,2号墳の北東に…
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小美玉市:泥障塚古墳群再訪(その2)

過日,泥障塚古墳群(茨城県小美玉市納場)を再訪した。佐々木憲一・田中裕編『常陸の古墳群』(六一書房)の157頁にある古墳配置図に従い,泥障塚古墳群に含まれる全ての現存古墳を見学した。 現存古墳は,1号墳~7号墳の合計7基であり,他に湮滅古墳(昭和46年に消滅した円墳)が1基あったとのこと。 泥障塚古墳群の5号墳は,2号墳のすぐ東…
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小美玉市:泥障塚古墳群再訪(その1)

以前,泥障塚古墳群(茨城県小美玉市納場)を訪問したのは草木の繁っている時期だったので,林床に生える野草を踏みつぶしてまで古墳を見学する気にはなれず,林の中にある古墳の見学を断念し,葉が枯れ落ちる時期を待って再訪しようと決めた。 過日,泥障塚古墳群を再訪した。佐々木憲一・田中裕編『常陸の古墳群』(六一書房)の157頁にある古墳配置図に従…
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土浦市殿里:殿里古墳

過日,殿里古墳(茨城県土浦市殿里)を見学した。 殿里古墳は,県南県民センター建築指導課建築担当の建物のある場所の南西側の段丘縁にある。その所在地は生垣または藪のようなもので囲われているためにわかりにくいけれども,道のすぐそばであり,アクセス可能な状態となっている。 殿里古墳は,直径14m・高さ2.5mの円墳とされている。実際の墳丘は…
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散策中に観た春の木の花

散策中に木々の枝に花が咲いているのを見かける機会が増えてきた。また春が巡ってきたのだ。 あと何回経験できるのかわからないので,じっくりと味わいなから観賞することが多くなってきた。 サンシュユ? シデコブシの品種 ハクモクレン ミツマタ
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小美玉市羽鳥:神明塚1号墳

過日,神明塚1号墳(茨城県小美玉市羽鳥)を見学した。 神明塚1号墳は,金谷久保区公民館の隣地(西側)にあり,直径15m・高さ1.5mの円墳とされている。近隣には山神古墳がある。 神明塚1号墳の墳丘上には石祠が祀られており,墳丘裾には鶏魂碑と古い供養塔がある。供養塔は,文化財としての価値が高いものかもしれないとの印象を受けた。鶏魂碑は…
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つくば市山木:山木坊ノ下古墳の所在地

過日,山木坊ノ下古墳(茨城県つくば市山木)の所在地付近を見学した。 「坊ノ下」とは「寺の南」という意味で,寺とは円乗寺のことを指すのではないかと想像した。 山木坊ノ下古墳は現存古墳として一般に理解されているけれども,その所在地とされている場所には送電線の鉄塔が立てられている。もし鉄塔所在地が古墳所在地だとすれば,山木坊ノ下古墳は既に…
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つくば市山木:円乗寺

過日,天台宗・伽羅陀山地蔵院円乗寺(茨城県つくば市山木)を訪問した。本尊は,地蔵菩薩。 元は立派な寺院だったようなのだが,現在では,回向堂かもしれない集会所のような建物があるだけで,本堂や庫裏にあたる建物がない。 境内地の石塔や石仏などを拝見した。参道の脇に並べられた板碑は,古墳の石棺材を二次利用したものと思われる。 円乗寺の南西…
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つくば市山木:山木古墳所在地の南にある謎の地形部分

過日,徒歩で移動する途中,山木古墳所在地とされている場所付近を通った。 問題の場所は,山木古墳所在地とされている地点の南約100m(山木総合運動公園の北東約50m)のところに位置している。 この謎の地形部分は,おおまかに見ると山木地区の段丘の北端部分に相当し,この場所から北側の方は細長い尾状となった傾斜地(下り坂)となっている。その…
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つくば市山木:古墳由来の石材を二次利用したと思われる板碑

過日,徒歩で移動中,飯村電工(茨城県つくば市山木)の西側にある交差点で比較的大きな石碑を観た。文字はかすれていて判読不能なのだが,板碑だと思う。覆屋をつくり保護されている。 この板碑と思われる石碑は,古墳の石室材または石棺材を二次利用したものに相違ない。 茨城県内では,このような石造物をあちこちで見かける。 この板碑の所在地の北西…
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つくば市山木:八巻神社

過日,八巻神社(茨城県つくば市山木)を参拝した。祭神は,伊豆山神。 「八巻」は「やまき」と読む。 下記のつくば新聞の記事によれば,源義家にまつわる伝承があり,庚平5年(1062年)に伊豆山神社の分霊を勧請して創建された神社とのこと。 2012年に発生した竜巻により拝殿が倒壊したが,その後再建された。 境内には石棺材のような石材が…
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かすみがうら市柏崎:富士見塚古墳群再訪

過日,富士見塚古墳群(茨城県かすみがうら市柏崎)を再訪した。 再訪の目的は,4号墳と5号墳を見学するため。1号墳~3号墳も併せて見学した。 1号墳の墳頂から玉造や鳥名木の方が見えるかもしれないと期待していたのだけれども,残念ながら富士見塚古墳群所在地の山に生えている樹木に遮られて見えなかった。 1号墳の周溝部分 …
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行方市手賀:不動堂と御堂

過日,養徳寺を参拝した後,西の方に向かって歩いていたところ,行方市消防署第2分団第4部の車庫の隣にある小さな御堂の前を通った。鳥居があるけれども,額には「不動堂」と記されている。神仏習合のままなのだろうと思う。その御堂の南側には新宿公民館があり,その南側隣地にも御堂がある。その御堂は不動堂よりもずっと大きい。行方郡三十四観音第三十四番札…
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行方市手賀:養徳寺

過日,鳥名木城跡及び鳥名木古墳群を見学した後,曹洞宗・阿育王山養徳寺(茨城県行方市手賀)を参拝した。 養徳寺は,永治元年(1141年)に崇徳天皇の勅願寺として創建された寺院とされている。 茅葺の山門が素晴らしい。 山門の手前に手賀小学校発祥の地と刻まれた石碑があった。明治時代の初期において,養徳寺もまた初等教育の一部を担った寺院な…
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行方市手賀:鳥名木館跡と鳥名木古墳群(その3)

過日,鳥名木館跡と鳥名木古墳群(茨城県行方市手賀)を見学した。鳥名木城跡は,鳥名木古墳群の所在地でもある。 鳥名木館は,桓武平氏・常陸大掾氏の一族である手賀氏から分かれた一族とされている。鳥名木城は,鳥名木氏の居城。鳥名木氏は,徳川時代には麻生藩新庄氏に仕えた。その家系は現代まで続いており,鳥名木家が所蔵する鳥名木家文書は,歴史学上極…
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行方市手賀:鳥名木館跡と鳥名木古墳群(その2)

過日,鳥名木館跡と鳥名木古墳群(茨城県行方市手賀)を見学した。鳥名木城跡は,鳥名木古墳群の所在地でもある。 鳥名木館は,桓武平氏・常陸大掾氏の一族である手賀氏から分かれた一族とされている。鳥名木城は,鳥名木氏の居城。鳥名木氏は,徳川時代には麻生藩新庄氏に仕えた。その家系は現代まで続いており,鳥名木家が所蔵する鳥名木家文書は,歴史学上極…
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行方市手賀:鳥名木館跡と鳥名木古墳群(その1)

過日,鳥名木館跡(茨城県行方市手賀)を見学した。鳥名木城跡は,鳥名木古墳群の所在地でもある。 「鳥名木」は「となぎ」と読む。 鳥名木館は,桓武平氏・常陸大掾氏の一族である手賀氏から分かれた一族とされている。鳥名木城は,鳥名木氏の居城。鳥名木氏は,徳川時代には麻生藩新庄氏に仕えた。その家系は現代まで続いており,鳥名木家が所蔵する鳥名木…
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行方市玉造:境稲荷神社

過日,境稲荷神社(茨城県行方市玉造)を参拝した。 社殿は小さなものなのだが,ちゃんとした蔽殿の中にあり,現在でも信仰の対象として大事にされていることがわかる。 蔽殿の額には「境稲荷大明神」と記されている。 境稲荷神社のある山の所在地は,玉造地区の南端に位置し,その南側~西側は手賀地区となっている。土地の境に位置する神社なので,境稲…
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行方市玉造:永幸寺と古墳(その2)

過日,時宗・八幡山玉造院永幸寺(茨城県行方市玉造)を参拝した。本尊は,三尊阿弥陀如来。 永幸寺の境内地や近隣地は,富士下古墳群と呼ばれ,元は諸井古墳群の一部とされていた古墳群の包蔵地内にある。 富士下古墳群に含まれる2基の大きな方墳は,A号墳~E号墳の所在地となっている山の北西側に連続している山で,玉造町諸井交差点の南東・株式会…
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行方市玉造:永幸寺と古墳(その1)

過日,時宗・八幡山玉造院永幸寺(茨城県行方市玉造)を参拝した。本尊は,三尊阿弥陀如来。 本堂新築記念碑に記された来歴によると,永幸寺は,玉造氏の菩提寺だったが,玉造氏が佐竹氏によって滅ぼされたことにより廃寺となった。その後,徳川光圀の藩政改革の一環として再興されることになり,現在に至っているようだ。 たまたま住職と遭うことができ,本…
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行方市玉造:石井戸稲荷神社と古墳

過日,石井戸稲荷神社(茨城県行方市玉造)を参拝した。 石井戸稲荷神社は,玉造幼稚園の西側にあり,その境内地は岬状の細長い台地の上となっている。 地元の人々によって丁寧にお世話されている神社だと思った。 茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅲ』(昭和61年3月)の152頁によれば,石井戸稲荷神社の境内地には稲荷平古墳と呼ばれる方墳…
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結城市上山川:東持寺

先日,曹洞宗・光國山梅香院東持寺(茨城県結城市上山川)を参拝した。本尊は,十一面観世音菩薩。 東持寺は,文亀3年(1502年)に創建された寺院。寛永3年(1626年)に現在の地に移され,中興開山となったとのこと。 東持寺が移ってくる前は,東持寺の境内地全体が武家屋敷であり,元は山川氏の居城としての役割を果たしていた。境内地は方形をし…
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石岡市総社:常陸國總社宮

過日,常陸國總社宮(茨城県石岡市総社)を参拝した。祭神は,伊弉諾尊・大國主尊・素戔嗚尊・瓊々杵尊・大宮比賣尊・布留大神。 これまでも何回か参拝したことがあるが,家族連れたっだ。今回は単独の参拝で,他の参拝客もまばらだったので,境内をじっくりと拝見できた。 常陸國總社宮は,日本武尊ゆかりの神社の1つで,境内には日本武尊腰掛石というもの…
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小美玉市小岩戸:石船神社

過日,石船古墳群と石船台古墳群を見学した後,石船神社(茨城県小美玉市小岩戸)を参拝した。祭神は,島石楠船命(天島船命)。 由来碑によれば,石船神社は,永正元年(1504年)に岩船神社(城里町岩舟)から分霊を勧請して創建された神社とのこと。 境内地は,神仏習合の時代の雰囲気を残している。古墳の石棺材を二次利用したものと疑われる板碑等が…
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小美玉市西郷地:石船台古墳群

過日,石船古墳群を見学した後,石船台古墳群(茨城県小美玉市西郷地)を見学した。 石船台古墳群は,石船古墳群のある岬状の台地の北東約100mのところにある岬状の台地上にあり,4基の円墳で構成されている。 石船台古墳群に関しては,佐々木憲一・田中裕編『常陸の古墳群』(六一書房)157~159頁,162~163頁に解説がある。 古墳群所…
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小美玉市西郷地:石船古墳群(その3)

過日,石船古墳群(茨城県小美玉市西郷地)を見学した。 石船古墳群は,小岩戸観音堂(茨城県小美玉市小岩戸)の南東に位置する岬状の細長い台地上に分布する10基の円墳で構成されている。石船古墳群に関しては,佐々木憲一・田中裕編『常陸の古墳群』(六一書房)157~161頁に解説がある。茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅲ』(昭和61年3月…
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小美玉市西郷地:石船古墳群(その2)

過日,石船古墳群(茨城県小美玉市西郷地)を見学した。 石船古墳群は,小岩戸観音堂(茨城県小美玉市小岩戸)の南東に位置する岬状の細長い台地上に分布する10基の円墳で構成されている。石船古墳群に関しては,佐々木憲一・田中裕編『常陸の古墳群』(六一書房)157~161頁に解説がある。茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅲ』(昭和61年3月…
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小美玉市西郷地:石船古墳群(その1)

過日,石船古墳群(茨城県小美玉市西郷地)を見学した。 石船古墳群は,小岩戸観音堂(茨城県小美玉市小岩戸)の南東に位置する岬状の細長い台地上に分布する10基の円墳で構成されている。石船古墳群に関しては,佐々木憲一・田中裕編『常陸の古墳群』(六一書房)157~161頁に解説がある。茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅲ』(昭和61年3月…
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結城市鹿窪:林古墳群再訪

昨日,小備中塚古墳を再訪した際,林古墳群(茨城県結城市鹿窪)の中の幾つかも再訪した。また,林古墳群を構成する古墳の中でまだ見ていなかった古墳の幾つかも見学した。 林古墳群を構成する古墳の配置図は,茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅰ』(昭和57年3月)の246頁にある。同頁には「結城寺創建の在地豪族墓と比定されることからも,市史跡…
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結城市上山川:小備中塚古墳再訪

虫の知らせでもないが,なぜか知らないけれども何となく再訪したくなり,小備中塚古墳(茨城県結城市上山川)を見学してきた。 以前訪問した時には,竹林の中に墳丘が少し見える状態だった。ところが,今回訪問してみると,墳丘の周囲の竹が刈られて見通しが良くなっていただけではなく,墳丘上の竹木が全て伐採され,墳丘を明確に観察可能な状態となっていた。…
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茨城県稲敷郡阿見町島津:鹿島神社・宮平貝塚・島津城跡

過日,鹿島神社(茨城県稲敷郡阿見町島津)を参拝した。祭神は,武甕槌大神。 本殿は,質素なものながら,しっかりとしたつくりのものだった。 境内には新しい庚申塔が立てられていた。元あった庚申塔が大震災の影響等によって壊れたためにつくりなおしたものではないかと想像した。 鹿島神社の鳥居脇には小さな塚状地形があり,境内地周辺にも同様のもの…
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茨城県稲敷郡阿見町島津:長泰寺

過日,曹洞宗・嶋津山長泰寺(茨城県稲敷郡阿見町島津)を参拝した。本尊は,聖観音菩薩。 本堂建設記念碑に刻まれた縁起によれば,長泰寺は,天正14年(1586年),島津城跡に隣接する台地上に創建された寺院。その後,何度も火災に遭い,現在の場所に移って再建されたものの,堂宇が古くなってしまったため,平成27年に本堂が再建されたとのこと。現在…
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牛久市奥原町:願名寺

過日,時宗・奥雲山龍池院願名寺(茨城県牛久市奥原町)を参拝した。本尊は,阿弥陀如来。 願名寺は,弘安3年(1280年)に一遍上人が開山した寺院。その後,堂宇を焼失し,現在の本堂は,天明4年(1784年)再建されたものとのこと。 本堂の前には,1セットの箱式石棺が復元・保存されている。ほぼ完全なものなのだが,この箱式石棺がどこから出土…
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牛久市久野町:観音寺

過日,天台宗・威徳山福聚院観音寺(茨城県牛久市久野町)を参拝した。本尊は,十一面観音菩薩。 観音寺修復記念碑に刻まれた縁起等によると,観音寺は,聖武天皇の時代に開基された寺院。本堂に相当する観音堂は,大同2年(807年)の創建,嘉禄2年(1226年)に大破したために修営されたらしい。その後,大泳5年(1525年)に再興され,土岐氏の保…
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鹿嶋市沼尾:塚原古墳群再訪(その8)

過日,塚原古墳群(茨城県鹿嶋市沼尾)を再訪し,見学可能な古墳を丁寧に観て回った。 塚原古墳群を構成する古墳の個別の測量は行われていないようなのだが,大きな古墳は直径20前後,小さな古墳は直径10m前後の円墳状のものが多い。前方後円墳も含まれているとされている。しかし,現況を観る限り,円墳のような外見をもった古墳しかないように思う。…
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鹿嶋市沼尾:塚原古墳群再訪(その7)

過日,塚原古墳群(茨城県鹿嶋市沼尾)を再訪し,見学可能な古墳を丁寧に観て回った。 塚原古墳群を構成する古墳の個別の測量は行われていないようなのだが,大きな古墳は直径20前後,小さな古墳は直径10m前後の円墳状のものが多い。前方後円墳も含まれているとされている。しかし,現況を観る限り,円墳のような外見をもった古墳しかないように思う。…
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鹿嶋市沼尾:塚原古墳群再訪(その6)

過日,塚原古墳群(茨城県鹿嶋市沼尾)を再訪し,見学可能な古墳を丁寧に観て回った。 塚原古墳群を構成する古墳の個別の測量は行われていないようなのだが,大きな古墳は直径20前後,小さな古墳は直径10m前後の円墳状のものが多い。前方後円墳も含まれているとされている。しかし,現況を観る限り,円墳のような外見をもった古墳しかないように思う。…
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鹿嶋市沼尾:塚原古墳群再訪(その5)

過日,塚原古墳群(茨城県鹿嶋市沼尾)を再訪し,見学可能な古墳を丁寧に観て回った。 塚原古墳群を構成する古墳の個別の測量は行われていないようなのだが,大きな古墳は直径20前後,小さな古墳は直径10m前後の円墳状のものが多い。前方後円墳も含まれているとされている。しかし,現況を観る限り,円墳のような外見をもった古墳しかないように思う。…
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鹿嶋市沼尾:塚原古墳群再訪(その4)

過日,塚原古墳群(茨城県鹿嶋市沼尾)を再訪し,見学可能な古墳を丁寧に観て回った。 塚原古墳群を構成する古墳の個別の測量は行われていないようなのだが,大きな古墳は直径20前後,小さな古墳は直径10m前後の円墳状のものが多い。前方後円墳も含まれているとされている。しかし,現況を観る限り,円墳のような外見をもった古墳しかないように思う。…
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鹿嶋市沼尾:塚原古墳群再訪(その3)

過日,塚原古墳群(茨城県鹿嶋市沼尾)を再訪し,見学可能な古墳を丁寧に観て回った。 塚原古墳群を構成する古墳の個別の測量は行われていないようなのだが,大きな古墳は直径20前後,小さな古墳は直径10m前後の円墳状のものが多い。前方後円墳も含まれているとされている。しかし,現況を観る限り,円墳のような外見をもった古墳しかないように思う。…
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鹿嶋市沼尾:塚原古墳群再訪(その2)

過日,塚原古墳群(茨城県鹿嶋市沼尾)を再訪し,見学可能な古墳を丁寧に観て回った。 塚原古墳群を構成する古墳の個別の測量は行われていないようなのだが,大きな古墳は直径20前後,小さな古墳は直径10m前後の円墳状のものが多い。前方後円墳も含まれているとされている。しかし,現況を観る限り,円墳のような外見をもった古墳しかないように思う。…
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鹿嶋市沼尾:塚原古墳群再訪(その1)

過日,塚原古墳群(茨城県鹿嶋市沼尾)を再訪し,見学可能な古墳を丁寧に観て回った。 前回は,北側にある説明板設置場所から古墳群所在地の森の中に入り,矢形の案内表示の順番に従って概ね時計と逆周りに見学した後,常福院付近に出た。 今回は,まず常福院を参拝した後,常福院付近の入口から古墳群所在地の森の中に入り,概ね時計周りに見学し,説明板設…
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鹿嶋市沼尾:常福院

過日,真言宗豊山派・金砂山保福寺常福院(茨城県鹿嶋市沼尾)を参拝した。本尊は,大日如来。 天正19年(1591年)から慶長7年(1602年)頃に創建された寺院とのこと。佐竹氏が鹿島・行方地域に侵攻し,その領地とした時代に創建された寺院ということになる。金砂山という山号も佐竹氏の本拠地付近であった金砂郷にちなむものだろうと思う。 元の…
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水戸市元石川町:江東古墳群(その2)

過日,江東古墳群(茨城県水戸市元石川町)を見学した。 「江東」は,「えとう」と読む。 江東古墳群は,6基の円墳と墳形不明の4基の古墳(合計10基)で構成される古墳群とされている。 江東古墳群に関しては,水戸市教育委員会編『水戸市埋蔵文化財調査報告書(平成10年度版)』の16頁に説明があり,添付図面(水戸市遺跡地図2)の中に6基の古…
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水戸市元石川町:江東古墳群(その1)

過日,江東古墳群(茨城県水戸市元石川町)を見学した。 「江東」は,「えとう」と読む。 江東古墳群は,6基の円墳と墳形不明の4基の古墳(合計10基)で構成される古墳群とされている。茨城県開発公社が水戸東部工業団地を造成した先に10基ほどの古墳が破壊されたということなので,古墳群全体では,合計20基前後の古墳があったということになりそう…
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水戸市:千波公園で観た鳥

過日,千波古墳群の1号墳を見学した後,しばし千波公園(茨城県水戸市千波町)を散策した。 千波湖では餌をまく人のところに水鳥が集まっていた。 コクチョウには赤い足環がついていたので,飼育されているものだろうと思う。 千波湖の噴水 オオハクチョウとホシハジロ オナガガモ ヒドリガモ …
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水戸市:千波山古墳群再訪

以前,千波山古墳群(茨城県水戸市千波町)を見学した際,1号墳を誤認してしまったので,過日,千波公園を再訪し,1号墳を見学し直した。 すぐにわかるところにある古墳なのに,どうして間違ってしまったのか・・・老化によるものかもしれない(笑) 千波山1号墳は,千波山児童遊園地の敷地内にあり,直径15m・高さ1.8mの円墳とされている。水…
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水戸市飯島町:鹿島神社と古墳(その2)

過日,鹿島神社(茨城県水戸市飯島町)を参拝した。祭神は,武甕槌命。 鹿島神社の境内地には,3基の円墳で構成される飯島町古墳群が現存している。飯島町古墳群に関しては,水戸市教育委員会編『水戸市埋蔵文化財調査報告書(平成10年度版)』の52頁に詳細な説明がある。 ただし,個々の古墳に正式の付番はないようだ。このブログ記事では,仮に,社殿…
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水戸市飯島町:鹿島神社と古墳(その1)

過日,鹿島神社(茨城県水戸市飯島町)を参拝した。祭神は,武甕槌命。 拝殿の額には「鹿島神社」と記されている。 拝殿と本殿は比較的最近に再建されたもののようなのだが,立派なものだった。多数の境内社等がある。 また,鹿島神社の鎮座地は,古くからの街道筋だったらしく,鳥居の前には塩街道碑がある。 境内林は自然環境が適切に維持されている…
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桜川市真壁町:薬王院

過日,天台宗・椎尾山薬王院(茨城県桜川市真壁町椎尾)を参拝した。本尊は,薬師如来。 薬王院は,延暦元年(782年),最仙上人が開基の桓武天皇の勅願寺,天長2年(824年)に慈覚大師が天台宗寺院として再興したという古刹。 薬王院の堂宇は何度かの火災により焼失したけれども再建され,本堂は延宝8年(1680年)に再建されたもの,三重の塔は…
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稲敷市江戸崎:大念寺

過日,浄土宗・正定山智光院大念寺(茨城県稲敷市江戸崎甲)を参拝した。本尊は,阿弥陀如来。 大念寺は,天正18年(1590年)に浄土宗の高僧・源誉慶厳が開山した寺院であり,関東十八壇林の一つとのこと。 楼門はとても大きく立派なものだった。また,境内には,徳川家康お手植えとされる「逆さ銀杏」がある。 本尊の阿弥陀如来立像は,鎌倉時代前…
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稲敷市江戸崎:金毘羅神社と五百羅漢

過日,金毘羅神社(茨城県稲敷市江戸崎)を参拝した。 金毘羅神社は,臨済宗妙心寺派・江上山瑞祥院竜雲寺の隣地にあり,東日本大震災により社殿等が大きな被害を受けたが,その後,再建されたとのこと。竜雲寺も再度参拝した。 以前竜雲寺を参拝した際には道がよくわからなかったため見学できなかった五百羅漢に関し,竜雲寺の裏からも金毘羅神社社殿の裏か…
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行方市矢幡:西ノ下塚群と御岳塚

過日,西ノ下塚群と御岳塚(茨城県行方市矢幡)を見学した。 西ノ下塚群は3基の塚で構成されており,御岳塚と合わせて4基の塚が矢幡営農センター裏の山の尾根上に並んでいる。これらの塚は,かつては古墳と考えられていたようなのだけれども,現在では近世の塚として扱われている。 塚のある尾根の南側は矢幡共同墓地となっており,また,この尾根の北西側…
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行川市矢幡:前塚古墳

過日,前塚古墳(茨城県行方市矢幡)を見学した。 前塚古墳は,瓢箪塚古墳の南東約200mのところにある。現況は,1辺10m程度の方墳のような形状をしている。佐々木憲一・田中裕編『続 常陸の古墳群』(六一書房)の200頁では,8×12m・高さ2mの規模の古墳としており,「方墳か」との注記がある。実際に見学した結果の印象としては,元は円墳で…
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行方市矢幡:瓢箪塚古墳

過日,瓢箪塚古墳(茨城県行方市矢幡)を見学した。 矢幡瓢箪塚古墳は,矢幡瓢箪塚古墳と呼ばれ,稲荷森古墳の南東の方にある。 矢幡地区には瓢箪山古墳や赤坂山古墳群などの古墳が多数あり,その中には前方後円墳も含まれている。しかし,その多くは台地尾根上の山林内となっており,アクセス可能な経路がよくわからない。 矢幡瓢箪塚古墳は,台地裾にあ…
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行方市麻生:麻生城跡(羽黒山公園)

過日,常安寺を参拝した後,現在では羽黒山公園となっている麻生城跡を見学した。 麻生城は,約400年続いた麻生氏の居城だった。 麻生氏は,常陸大掾氏の一族である行方景幹の三男家幹が行方郡麻生郷に住んで麻生氏を称したのに始まるとのこと。常安寺の裏(北側)に麻生城跡があり,現在では羽黒山公園として公開されている。常安寺の北西側にある墓地区…
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行方市麻生:常安寺

過日,曹洞宗・太平山常安寺(茨城県行方市麻生)を参拝した。 説明板等によると,天文14年(1545年),麻生氏の菩提寺として麻生三郎常安により開基の寺院(那智山道知院)だったが,麻生氏の滅亡後荒廃し,慶長4年(1599年)に鷹庵大雛和尚が元の所在地から現在の地に移し,太平山常安寺として開山し,現在に至っているとのこと。 山門にあたる…
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最近観た鳥

散策中に様々な鳥と出逢う。 休耕田のような場所一面にホトケノザの花が咲き,赤紫色の絨毯のようになっていた。よく観ると,その中にムクドリがいる。ズームで写真を撮った。 田圃の中の農道を歩いていたら,少しだけ木が植えてある場所にトビのような鳥がとまっていた。しかし,ちょっと様子が違う。写真を撮っていたらこちら…
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ひたちなか市中根:虎塚古墳群再訪

過日,笠谷古墳を見学した際,虎塚古墳群(ひたちなか市中根)の3号墳及び4号墳の所在地を再訪した。やはり,草のない冬の時期の方が観察しやすい。ただし,遮蔽物のない平坦な台地上なので,強く冷たい風が吹くとちょっと厳しい。 4号墳は石室の一部しか残されておらず,墳丘はないのだけれども,その石室材を見れば見るほど元はとても大きな石室だったとい…
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ひたちなか市中根:笠谷古墳群再訪(その2)

過日,笠谷古墳群(茨城県ひたちなか市中根)を再訪した。 笠谷2号墳の周囲にあった笹が綺麗に刈り取られており,とても見学しやすい状態となっていた。 前回見学した際に5号墳だと思った古墳が4号墳の残存部分であることを認識し,その墳丘の北側の様子を見学することができた。草刈りが行われていた結果,そのように認識できた。勝田市史編さん委員会編…
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ひたちなか市中根:笠谷古墳群再訪(その1)

過日,笠谷古墳群(茨城県ひたちなか市中根)を再訪した。 笠谷2号墳の周囲にあった笹が綺麗に刈り取られており,とても見学しやすい状態となっていた。 前回見学した際に5号墳だと思った古墳が4号墳の残存部分であることを認識し,その墳丘の北側の様子を見学することができた。草刈りが行われていた結果,そのように認識できた。 まことにありがたい…
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ひたちなか市東大島:大島古墳群

過日,大島古墳群(茨城県ひたちなか市東大島)を見学した。 大島古墳群は,東坪第2公園の敷地内に所在し,2基の円墳で構成される古墳群とされている。東坪第2公園の周辺は完全に宅地化されている。かつては,他にも多数の古墳があったのだろうと推測される。 大島古墳群を構成する2基の円墳中の1基の墳丘は現存しており,その墳丘上には富士浅間神社が…
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