古河市駒込:後円山古墳群

過日,愛宕古墳を見学した後,駒込地区の方に戻り,後円山古墳(茨城県古河市駒込)の所在地を見学した。
三和町教育委員会及び吹上・血止塚・広町・宮前遺跡発掘調査会編『広町遺跡・宮前遺跡・吹上遺跡・血止塚遺跡・広町・塚ノ下古墳-茨城県猿島郡三和町所在の古代集落址・中近世館跡の調査-』(1999年)の4頁には,「駒込塚ノ下古墳」の所在地が示されている。三和町史編さん委員会編『三和町史 資料編 原始・古代・中世』(平成4年)の85頁は,「駒込塚ノ下古墳」に関し,「後円山古墳群中北墳と思われる」と記している。
そして,『三和町史 資料編 原始・古代・中世』の84頁は,後円山古墳群に関し,北墳と南墳があるとした上で,南墳に関しては,『猿島の郷土史』を引用して「東向で後円の径26メートル,東西45メートル,高5メートルの大きな前方後円墳である」としつつも,「南墳については不明」としているので,『三和町史 資料編 原始・古代・中世』の編纂時点では,その所在地が不明となってしまっていたと理解すべきことになる。

ところが,『三和町史 資料編 原始・古代・中世』の84頁は,「駒込小学校の南300メートルの民家の西側に一基所在する」とも書いている。この場所とは,こまごめ幼稚園の南約20m(デイリーヤマザキ茨城三和駒込店の北西約100m)のところにある山林のことを指すと思われる。今回は,現地に行かなかったけれども,Googleストリートビューの画像で観る限り,木々の中に円墳のような塚があるようにも見えるので,もしそのような塚が現存しているとすれば,後円山古墳群の南墳の後円部に該当すると思われる。『三和町史 資料編 原始・古代・中世』の84頁では「北墳」として書かれているけれども,執筆担当者の錯覚または誤記によるものと思われる。再訪して確認したいと思っている。
なお,下記の埼玉古墳軍のサイトにおいて「後円山古墳群北墳」として紹介されているのは,南墳であり,こまごめ幼稚園の南側にある古墳だろうと思われる。

他方,北墳に関しては,『三和町史 資料編 原始・古代・中世』の84頁は,『猿島の郷土史』を引用して,「北墳は駒込小学校校庭土盛の際前方部21.9メートルと僅かの西よりの後円部を残し,土取りされ・・・」,「南向で南北20メートル残り,東西40メートル,高5メートルである」と記している。後円山古墳群の北墳と駒込塚ノ下古墳とは同一の古墳のことを指し,『広町遺跡・宮前遺跡・吹上遺跡・血止塚遺跡・広町・塚ノ下古墳-茨城県猿島郡三和町所在の古代集落址・中近世館跡の調査-』の4頁に示された所在地を現地で照合すると,北墳の所在地は,駒込小学校の校庭南端から南西約50mのところにある山林の西端付近を指すと理解することができる。

なお,現時点において,いばらきデジタルマップ上では,かなり見当違いの場所に後円山古墳の所在地表示がなされており,その表示された場所の現況は耕地であり,何もない。

今回の見学を実際に行った日には,南墳に関する情報が十分に集まっていなかったので,確実に北墳所在地だと言える場所を目指した。
上片田地区から東の方に歩みを進め,大川にかかる橋を渡り,少し北上して北墳所在地に近づくと,大川の護岸にアオサギがいるのを見つけた。北墳所在地の方をじっと見たまま微動だにしない。きっと「ここだ」と教えてくれているのだろうと思った・・・しかし,本当は,風の強い日だったので,じっとこらえて動かないでいただけだと思う。
とはいえ,古墳や遺跡を探訪している際にアオサギやオオサギのような大型のサギと出逢うことが非常に多く,私を助けてくれているのだろうと勝手に解釈してくる。

現地で見学した結果,現況としては,たしかに,『三和町史 資料編 原始・古代・中世』の84頁が引用する『猿島の郷土史』の中に書かれているような地形が現存している。後円部はほとんど残存しておらず,残存する西側端付近もほぼ削平されていて墳丘のようには見えない。
要するに,全体としてみると明らかに前方後円墳のように見える墳丘は存在しないので,古墳を見慣れている人でなければ前方後円墳には見えないかもしれない。
しかし,そこが北墳の所在地に間違いないと判断した。
なお,『三和町史 資料編 原始・古代・中世』の85頁には「後円山古墳群」の所在地を示す航空写真がある。文脈からして,北墳の所在地を指すものと解される。そして,その場所は,今回の見学において北墳の所在地だと判断した場所と一致する。

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いばらきデジタルマップで表示された場所(手前の耕地)
北墳の所在地(中央奥の山林付近)


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北墳所在地の方を凝視しているアオサギ


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西の方から見た北墳
(左側の青い小屋付近が後円部の西側残存部分)
(中央の凹状地が土取りで消滅した後円部・くびれ部・前方部の一部)
(右側の長方形墳状の部分が前方部の残部)


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北西の方から見た北墳
(左手前が後円部残存部・右奥が前方部残存部)


この日は,これが最後の古墳見学となった。北墳の脇を通り,台地上の道を徒歩で南下し,諸川コミュニティパーク(茨城県古河市諸川)の方に戻った。


[追記:2021年2月28日]

本日,南塚所在地ではないかと思われる場所を訪問した。
残念ながら,全て削平され,幼稚園の体育館の敷地になっていた。過去に墳丘が存在していたとしても,現在では存在しない。
現地に残されていたのは,問題の山林(竹林ではない雑木等の林)と一体となっている竹林部分だけ。この部分には墳丘と思われるものがないようだ。
なお,発掘調査等が行われたのかどうかは不詳。過去において,(意図的に)精密な調査を実施しなかった疑いがある。


 埼玉古墳軍:後円山古墳群北墳
 http://www.asahi-net.or.jp/~fx3j-aid/kofun/ibaraki/80_snwa/koenyama.html#001

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