高萩市石滝:上台古墳群8号墳

過日,上台古墳群(茨城県高萩市石滝)の8号墳(後述のとおり,高萩市教育委員会の見解では7号墳)を見学した。
上台古墳群は,明秀学園日立高等学校 の敷地(元は高萩工業高校の敷地)の北側部分といぶき台団地の北端の2か所に分かれて所在している。
地形から見て,この台地の東側~北側の縁に連続していたものが後代の開発等によって分断されたような状態になったものだろう。また,同じ台地の南西側の段丘崖付近には多数の横穴墓がある。まだ未発見なだけで,同じ台地の他の段丘崖にも横穴墓群が存在した可能性が高い。現在では戦時中の防空壕として知られている人工洞窟のようなものの中にも古代の横穴墓を二次利用したものがあるのではないかと考えられる。
上台古墳の東側部分の南端は日立市との境界になっており,その境界の南側は藻島台古墳群として別に扱われているけれども,これは現代の行政区画に基づく異なる教育委員会の所管によって生じた現象であり,実際には同一の古墳群が連続している。十王町教育委員会編『十王町の遺跡』(1991年)では上台古墳群の東側部分と藻島台古墳群とを同一の古墳群として扱い,連続番号で各古墳の付番を行っているので,高萩市石滝に所在している古墳の付番との関係において齟齬が生じている。また,7号墳と8号墳に関しては,後述のとおり,茨城県教育委員会の見解と高萩市教育委員会の見解とが齟齬している。

それはさておき,上台古墳群の7号墳は,高校建物の西側にある墓地内に所在しており,8号墳は,高校建物の北東端崖上に存在していることになっている。7号墳の所在地となっている墓地付近には行かなかったので7号墳が現存するかどうかは分からない。これに対し,8号墳に関しては,秋葉神社から移動中に高校北東側の坂道を徒歩で登り,8号墳所在地とされる部分付近を通ったので,道路から崖上を見上げ,それらしいものを視認した。

たしかに,高校建物敷地の北東端のすぐ外側に円墳様の塚のようなものがある。一般には,これが8号墳に該当するとされている。しかし,その塚のようなものは,あまりにも綺麗過ぎるかたちをしているので,高校敷地内に存在した別の古墳の移築的な複製品のようなもの,または,単なる建設残土のようなもの,または,高校敷地部分を大きく削って平坦地とした残地である地山部分が相対的に塚のように見える状態となっているものである可能性は否定できないと考えた。

むしろ,その塚のようなもののすぐ北東側に薄い皿を伏せたようないびつな円形の地形部分があり,石室材のような石が露頭している場所があるので,その場所こそ8号墳所在かもしれないと考えた。ただし,その部分には古い山道があり擁壁を乗り越えるためのものかもしれないコンクリート板が置かれていたので,その山道に分断されて墳丘残骸のように見えるだけで,地山の一部が残されているだけとも考えられ得る。このように考える場合,8号墳の墳丘の主要部分は,既に失われてしまったと推論することになるだろう。

ただし,高萩市教育委員会が上台8号墳について詳細な調査を実施したことがあるのかかどうかは不明だ。茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅲ』(昭和61年3月)の84頁にある配置図も台地の北東端にある1号墳~6号墳のものだけであり,高校周辺の古墳の配置図はない。
高萩市教育委員会編『高萩市の史跡・文化財』(平成15年)の35頁には7号墳と8号墳の所在地を示す配置図があるが,この配置図によれば,高校敷地北東側にあるものが7号墳,高校敷地西側の墓地にあるものが8号墳として記載されており,『重要遺跡調査報告書Ⅲ』の中にある記述と付番が逆になっており,一致していない。
また,『高萩市の史跡・文化財』における7号墳(『重要遺跡調査報告書Ⅲ』における8号墳)の所在地は,高校敷地のすぐ北東側ではなく,坂をちょっと下った場所(石材所在地付近)を示しているように見える。
少なくとも,上台8号墳(高萩市教育委員会の見解では7号墳)に関する精密な調査報告書等の公式刊行物が刊行されたことはない。
結論として,現時点において,上台古墳群の8号墳(高萩市教育委員会の見解では7号墳)の存否及び正確な所在地が明らかであるとは言えないと判断した。

このブログ記事では,7号墳と8号墳の付番に関しては,高萩市教育委員会よりも(行政権限の上で)上位の行政機関である茨城県教育委員会の見解に従うことにした。

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高校敷地の北東側の段丘崖にある坂道


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一般に8号墳とされている塚状のもの
(東の方から見た様子)


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一般に8号墳とされている塚状のもの
(北東の方から見た様子)


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石材のようなものの所在地付近


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石材のようなもの


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石材のようなものの周辺の様子


 
行政上の所管の相違によって遺跡の識別子である古墳番号等が区々になっている例は他にもあり,日本国の文化財保護行政における致命的かつ極めて有害な欠陥の1つとなっている。例えば,鹿沼市と宇都宮市にまたがる下台原古墳群の付番や鹿沼市藤江町と栃木県下都賀郡壬生町にまたがる藤江古墳群の付番の例などがある。類似の付番の混乱例は下野市の三王山古墳群の付番でも見られる。
関係各教育委員会において連絡官または調整官のような仕事を担当する者を指定し,教育委員会間で調整して名称及び識別子を統一することが望ましい。
 うまく調整できないときは,文化庁が直接に介入して名称及び識別子を公定してしまうような国家的な仕組みを構築すれば簡単に解決できる問題なのだが,地元自治体や一定の傾向性をもった学者等からの感情的な反発が避けられないと予想される。
 そこで,自治体をまたがって存在する遺跡や文化財について,異なる名称や付番が存在する場合,相互に別命(シノニム)になっていると理解し,その読み替えのための公式の表を文化庁が作成し,国の機関がオープンデータとして持続性をもって公表するという方法が妥当だと考える。
 同一の遺跡なのに(つまらない理由により)別の名前や番号が付され続けているために国民が困惑し続けている状態は,今後の農政や土地利用を考える上でも深刻なリスクの1つでもあり得るので,早急の改善が望まれる。
 ただし,多数の関連書籍等を網羅的に収集して検討してきたけれども,現代において刊行されたものでは,個別の遺跡発掘調査報告書のようなものを除き,過去の文献資料だけを頼りに机上で構築されただけであり,明らかに現地踏査していないと判断できるものが非常に多いので,そのような書籍や論文しか書けないような学者は,オープンデータ作成と関係する業務から全員排除しなければならない。そのような者は,地道に時間をかけて実地踏査を重ね,苦心の結果として研究成果を出す正しい研究者の成果の表面的な部分だけをパクって「自分のほうが賢い」と己惚れているけれども,実質的な実力は何もないような机上の空論タイプの人間に属することが圧倒的に多い。

 あくまでも一般論としては,考古学及び歴史学に関する限り,自ら現地踏査して正確に調査し考察する能力をもった学者のみが本物の学者だと考える。自分自身による可能な限り多数の現地踏査を踏まえない理論考古学または理論歴史学のようなものは,空理空論の一種に過ぎない。
 そして,空理空論に基づくデータ等を基礎とするビッグデータ分析や人工知能関連技術もまた,単に理論的に空虚であるというだけではなく,人類社会を危機に直面させ得る極めて危険なものであると言える。

 古墳の付番は,単なる番号なのではなく,識別子(identifier)なので,付番の正確性及び同一性が保証されていないのであれば,データとしてはほぼ無だと言える。このような場合,識別子以外の構成要素(elements or components)から推論するしかなくなる。このような帰納法的な推論により対象物の同一性を確認することは不可能ではないけれども,識別子が確実なものではない場合,識別子を用いた同一性識別を前提とするような会話が成立しなくなる。

 政府(国)は,全体的な政策論として「デジタルトランスフォーメーション」の推進政策を打ち出している。この政策が成功するかどうかは,そもそも「基礎データが客観的に正確なものであり,かつ,他のデータと完全に識別可能なものだ」ということが明確かつ確実に保証されているかどうかにかかっている。土台となるデータが曖昧なのであれば,砂上楼閣となることが不可避となる。

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