高萩市石滝:上台古墳群(その2)

過日,上台古墳群の東側部分(茨城県高萩市石滝町)を見学した。
上台古墳群東側部分とそれに連続する藻島台古墳群所在地の行政区画は,南側半分くらいが十王町,北側半分くらいが高萩市となっており,その境界部分には東西に走る山道がある。古墳群を所管する教育委員会が異なるため,古墳群としての名称も異なっており,高萩市側に存在する古墳群は上台古墳群となっているけれども,十王町側に所在する古墳群は,藻島台古墳群という名称となっている。

上台古墳群の西側部分(明秀学園日立高等学校 の敷地付近)に含まれる7号墳と8号墳の付番に関しては問題がある。これに対し,上台古墳群の東側部分(藻島台古墳群の北側部分)に含まれる1号墳~6号墳の付番に関しては,茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅲ』(昭和61年3月)の84頁にある配置図と高萩市教育委員会編『高萩市の史跡・文化財』(平成15年)の35頁にある配置図とで齟齬がなく一致している。

1号墳~6号墳の相対的な位置関係に関しては,『重要遺跡調査報告書Ⅲ』の配置図の方が現況を反映したものであることを確認した。
しかし,『高萩市の史跡・文化財』にある配置図は,かなりアバウトなものであり,この『高萩市の史跡・文化財』にある配置図に基づいて現地を探訪しても5号墳(藻島台15号墳)及び6号墳(藻島台16号墳)を見つけることができないかもしれない。
上台5号墳(藻島台15号墳)の実際の所在地は,『高萩市の史跡・文化財』の記載よりも北であり,上台6号墳(藻島台16号墳)の実際の所在地は,『高萩市の史跡・文化財』の記載よりも北東となっていて,十王町教育委員会編『十王町の遺跡』(1991年)の43頁にある配置図のほうが現況に近い。

上台5号墳(藻島台15号墳)は,『高萩市の史跡・文化財』の34頁では直径16m×21m・高さ約7mの円墳とされており,『十王町の遺跡』の45頁では1辺15m・高さ4mの方墳とされている。ただし,同頁には「円墳かもしれない」との注記がある。実際の大きさに関しては,『十王町の遺跡』の記載のほうが現況に近い。

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南東の方から見た上台5号墳


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上台5号墳の墳頂付近


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北東の方から見た上台5号墳


上台6号墳(藻島台16号墳)は,『高萩市の史跡・文化財』の34頁では直径14m・高さ約7mの円墳とされており,『十王町の遺跡』の45頁では1辺10m・高さ3mの方墳とされている。ただし,同頁には「円墳かもしれない」との注記がある。実際の大きさに関しては,『十王町の遺跡』の記載のほうが現況に近い。
『高萩市の史跡・文化財』の35頁にある配置図によれば,上台6号墳(藻島台16号墳)の所在地は,山林部分の北西端の宅地部分との境界近くということになっている。しかし,実際の所在地は,宅地部分との境界よりも少し北東にずれた場所の段丘縁となっている。上台5号墳(藻島台15号墳)との相対的な位置関係としては,上台6号墳(藻島台16号墳)は,上台5号墳(藻島台15号墳)の北東に位置しており,上台5号墳(藻島台15号墳)の墳頂から上台6号墳(藻島台16号墳)の墳丘が見える。
上台6号墳(藻島台16号墳)の北側~北西側は急崖となっており,危険なので,墳丘には登らず,南東側から墳丘を観察するだけにとどめた。


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南東の方から見た上台6号墳


このあと,高萩市と十王町との境界にある山道の東端から北東方向に下る山道を通って段丘を降りた。その段丘崖付近の大部分は極めて濃密な笹薮となっており,こちらの方から上台3号墳及び上台4号墳(藻島台14号墳)の方へアプローチすることも不可能だということを理解した。

段丘下の大成不動産の敷地内には稲村神社があり,神社下の岩場には洞窟のようなものがある。いばらきデジタルマップ上では,時代不明の遺跡として扱われているのだが,一見したところ,古代においては磯のような場所だったと推定されることから,自然の風化洞窟を人工的に拡張して構築された信仰目的の洞窟なのではないかと思った。
ただし,同じ台地の北西側段丘崖には非常に多数の横穴墓があるので,大成不動産敷地内にある洞窟も横穴墓の二次利用物のようなものである可能性を完全に否定することはできないのではないかと思う。
門が閉まっていたので,中には入らず,公道から観察するのにとどめた。


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稲村神社と洞窟


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洞窟(ズーム)


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花貫川


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川面のオオバン

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