桜川市:楽法寺(雨引観音)
過日,雨引観音として知られる真言宗豊山派・雨引山楽法寺(茨城県桜川市本木)を参拝した。本尊は,延命観世音菩薩。
楽法寺は,用明天皇2年(587年)に梁の国人の法輪独守居士によって開かれた寺院とのこと。当時,倭国においては,盛んに墳丘墓(特に群集墳)が造営されていた。
ここでいう梁とは,一般に後梁と呼ばれている中国南北朝時代の王朝であり,西魏の傀儡王朝ともされているけれども,隋代まで続いた。日本国における仏教の興隆を考える上で非常に重要な時期だと思われ,その頃に開山した寺院であるということそれ自体が歴史学上極めて大きな意味をもっていると考える。
雨引観音との呼称は,嵯峨天皇の時代の事績によるものとのこと。
楽法寺の境内は,雨引山の山腹にあり,ヘアピンカーブに近い道路をだいぶ登ると大きな駐車場のある場所に出る。かつては徒歩で参拝したのだろうから,そうそう簡単には参拝できる寺院ではなかったのではないかと想像した。
楼門,本堂,多宝塔等の建物はとても立派なもので,私が訪問した時には阿弥陀堂の再建工事中だった。
境内には放し飼いの孔雀がいる。参道の途中には鵞鳥の仲間を飼育している施設があった。サカツラガン(Anser cygnoides)を原種とする家禽・シナガチョウではないかと思われる。大規模な古墳の埴輪群像の中にしばしば見られる鳥で,古い時代に家禽の状態で中国大陸からもたらされたのだろうと推測される。
雨引観音
http://www.amabiki.or.jp/
楽法寺は,用明天皇2年(587年)に梁の国人の法輪独守居士によって開かれた寺院とのこと。当時,倭国においては,盛んに墳丘墓(特に群集墳)が造営されていた。
ここでいう梁とは,一般に後梁と呼ばれている中国南北朝時代の王朝であり,西魏の傀儡王朝ともされているけれども,隋代まで続いた。日本国における仏教の興隆を考える上で非常に重要な時期だと思われ,その頃に開山した寺院であるということそれ自体が歴史学上極めて大きな意味をもっていると考える。
雨引観音との呼称は,嵯峨天皇の時代の事績によるものとのこと。
楽法寺の境内は,雨引山の山腹にあり,ヘアピンカーブに近い道路をだいぶ登ると大きな駐車場のある場所に出る。かつては徒歩で参拝したのだろうから,そうそう簡単には参拝できる寺院ではなかったのではないかと想像した。
楼門,本堂,多宝塔等の建物はとても立派なもので,私が訪問した時には阿弥陀堂の再建工事中だった。
境内には放し飼いの孔雀がいる。参道の途中には鵞鳥の仲間を飼育している施設があった。サカツラガン(Anser cygnoides)を原種とする家禽・シナガチョウではないかと思われる。大規模な古墳の埴輪群像の中にしばしば見られる鳥で,古い時代に家禽の状態で中国大陸からもたらされたのだろうと推測される。
雨引観音
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