過日,仙原塚古墳(茨城県桜川市真壁町椎尾)を見学した。
仙原塚古墳は,中村公民館の裏(東側)にあり,現況は直径南北10m前後×東西5m前後の円墳のようになっており,南向きに石室が開口しているように見える。ただし,全体にかなり崩れている。天井石と思われる石材が露頭している。この天井石と思われる石材部分は,復元物のようなものかもしれないと…
コメント:0
過日,臨済宗建長寺派・大雄山法雲寺(茨城県土浦市高岡)を参拝した。本尊は,釈迦如来。
法雲寺は,足利尊氏の命により,復庵宗巳によって創建された寺院とのこと。復庵宗巳は,中国(元)に渡って中峰明本から教えを受けた名僧として知られている。小田氏の菩提寺であり,また,臨済宗中峰派の大本山となっていたという歴史ある寺院。戦乱により一次衰退した…
コメント:0
過日,鹿島神社(茨城県土浦市藤沢)を参拝し,その境内にある古墳を拝見した。
鹿島神社は,土浦市藤沢(旧藤沢村)地内の中心部付近にある長楕円形の台地上にあり,その南東には藤沢城跡がある。鹿島神社の境内地も藤沢城の一部または出城のような場所だったのではないかと思われる。この台地の北側半分くらいが鹿島神社の境内地であり,南側半分くらいは「新…
コメント:0
2019年7月のことだが,天満宮(茨城県鉾田市箕輪)を参拝した。
天満宮は,小さな神社で,拝殿の後ろ(北東側)に石祠がある。拝殿と石祠との関係は不詳。おそらく氏神だろうと思ったのだが,敬意を表する趣旨でその石祠の前で一礼した。
茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅰ』(昭和57年3月)の111頁によると,天満宮所在地の東側にある岬…
コメント:0
2019年7月のことだが,芳賀神社(茨城県水戸市栗崎町)を参拝した。祭神は不詳なのだが,ホトカミのサイトには「大山津見命」と記されている。
社殿は立派なものだった。また,多数の境内社があり,いずれも立派に管理されている。
境内にはケヤキの巨樹がある。樹齢約200年とのことで,保存樹木に指定されている。
鳥居
…
コメント:0
2019年5月のことだが,女化神社(茨城県龍ケ崎市馴馬町)を参拝した。祭神は,保食命。
牛久市と龍ケ崎市との間には小規模な飛び地が多く,女化神社の境内地もその1つ。牛久市の範囲内に龍ヶ崎市の飛地として女化神社の境内地がある。
女化神社は,元は女化稲荷大明神または保食社とも呼ばれていたようで,女化稲荷神社と呼ばれることもある。
参道…
コメント:0
過日,金原古墳(山形県東置賜郡高畠町金原)を見学した。
金原古墳は,清水前古墳群の南西約1kmのところにあり,その所在地周辺は主として果樹園になっている。舗装道路脇に案内表示があり,そこから果樹園の脇を通る小路を少し歩くとすぐに古墳所在地に到達できた。
説明板によると,金原古墳は,直径約24mの円墳とされており,墳丘及び横穴式石室の…
コメント:0
過日,下小松古墳群(山形県東置賜郡川西町下小松)の小森山支群と鷹待場支群の古墳を見学した後,川西町立埋蔵文化財資料展示館(山形県東置賜郡川西町吉田)を訪問し,同館の担当者の方から極めて懇切丁寧な解説を受け,展示されている貴重な出土物の見学をした。その後,山形県東置賜郡高畠町の方に移動し,前回米沢方面を訪問した際には見学しなかった清水前古…
コメント:0
過日,下小松古墳群(山形県東置賜郡川西町下小松)を見学した。とても広範囲に分布する古墳群であり,夏場で蛇や熊等の危険もあるので,古墳群中の小森谷支群と鷹待場支群にある主要な古墳に絞って見学することにした。
T41号墳を見学した後,北西方向に向かって山道を歩いた。
しばらく歩くと,山道の脇に円墳のようなものが見えてきた。私の理解で…
コメント:0
過日,下小松古墳群(山形県東置賜郡川西町下小松)を見学した。とても広範囲に分布する古墳群であり,夏場で蛇や熊等の危険もあるので,古墳群中の小森谷支群と鷹待場支群にある主要な古墳に絞って見学することにした。
K7号墳等を見学した後,下小松古墳群の入口付近に戻った上で,別のコースから鷹待場支群の方に登ってみることにした。
鷹待場支群…
コメント:0
過日,下小松古墳群(山形県東置賜郡川西町下小松)を見学した。とても広範囲に分布する古墳群であり,夏場で蛇や熊等の危険もあるので,古墳群中の小森谷支群と鷹待場支群にある主要な古墳に絞って見学することにした。
K7号墳の所在地付近は山の頂上付近らしく,K7号墳の北側にあるK8号墳及びK9号墳の所在地との標高差はほとんどない。北から順に…
コメント:0
過日,下小松古墳群(山形県東置賜郡川西町下小松)を見学した。とても広範囲に分布する古墳群であり,夏場で蛇や熊等の危険もあるので,古墳群中の小森谷支群と鷹待場支群にある主要な古墳に絞って見学することにした。
K61号墳等を見学した後,K59号墳前の四方に分岐する交差点のような場所まで戻り,北西側の方に分岐する道を進んだ。この道は,全…
コメント:0
過日,下小松古墳群(山形県東置賜郡川西町下小松)を見学した。とても広範囲に分布する古墳群であり,夏場で蛇や熊等の危険もあるので,古墳群中の小森谷支群と鷹待場支群にある主要な古墳に絞って見学することにした。
K31号墳の前を通ってK59号墳前の四方に分岐する交差点のような場所まで戻り,次に,南西側の方に分岐する道を歩いてみた。
…
コメント:0
過日,下小松古墳群(山形県東置賜郡川西町下小松)を見学した。とても広範囲に分布する古墳群であり,夏場で蛇や熊等の危険もあるので,古墳群中の小森谷支群と鷹待場支群にある主要な古墳に絞って見学することにした。
下小松K36号墳の周囲には大小の古墳が幾つかある。遊歩道がなく,近くまでアクセスできない古墳もある。可能な範囲内で見学した。
…
コメント:0
過日,下小松古墳群(山形県東置賜郡川西町下小松)を見学した。とても広範囲に分布する古墳群であり,夏場で蛇や熊等の危険もあるので,古墳群中の小森谷支群と鷹待場支群にある主要な古墳に絞って見学することにした。
遊歩道となっている山道を登り,四阿のあるあたりでいったん右手(北東側)の方の小路を少し登ってK50号墳を見学した後,その小路を…
コメント:0
過日,下小松古墳群(山形県東置賜郡川西町下小松)を見学した。とても広範囲に分布する古墳群であり,夏場で蛇や熊等の危険もあるので,古墳群中の小森谷支群と鷹待場支群にある主要な古墳に絞って見学することにした。
現地にあるはずの標柱等が壊れている可能性があるため,事前に関連資料を全部読み,新番号と旧番号を併記した私製の地図(小森山支群のみ)…
コメント:0
2019年1月のことだが,八坂神社(茨城県龍ヶ崎市上町)を参拝した。祭神は,建速須佐之男命・奇稲田姫神。
八坂神社の公式サイトによれば,源頼朝の家臣下河辺政義が文治2年(1186年)に貝原塚の鎮守神社である八坂大神の分御霊を祀ったのが草創であり,下河辺氏が滅びた後は,信太郡信太庄の地頭職・土岐原秀成が治めるところとなったとのこと。龍ヶ…
コメント:0
2019年5月のことだが,曹洞宗・太田山金龍寺(茨城県龍ヶ崎市若柴町)を参拝した。本尊は,如意輪観世音菩薩。
下記のサイトによれば,元享元年(1321年),新田義貞の創建,天真禅師の開基の寺院であり,「新田氏歴代の菩提寺で,はじめ上州新田郡(群馬県太田市)にありましたが,天正18年(1590年),義貞の子孫由良国繁が太田金山城から牛久…
コメント:0
2019年5月のことだが,星宮神社(茨城県龍ヶ崎市若柴町)を参拝した。祭神は,天御中主大神。
社殿の覆殿部分は比較的最近に改築されたもののように見えるが,社殿それ自体は江戸時代のものだそうで,とても立派なものだった。
星宮神社は,旧街道沿いにあるとのことで,境内には平貞盛ゆかりの駒止の石というものがある。星宮神社境内地は,元は館また…
コメント:0
2019年5月のことだが,千勝神社(茨城県つくば市泊崎)を参拝した。祭神は,猿田彦大神。山根彦神・八栄根彦神を拝祀している。
千勝神社は,昭和39年,下妻市の千勝神社を勧請し,鎮座した神社とのこと。
私が訪問した時には,数台の大型バスに分乗して大勢の高校生が参拝に到着したばかりのところだった。合格祈願だろうか。
素早く参拝を済ませ…
コメント:0
過日,橋向古墳群(茨城県稲敷郡阿見町若栗)を見学した。
橋向古墳群に関しては,茨城県竜ヶ崎土木事務所・財団法人茨城県教育財団「茨城県教育財団文化財調査報告第217集 篠崎A遺跡-阿見吉原土地区画整理事業地内埋蔵文化財調査報告書I-」(平成16年3月)の2頁~5頁等で簡単に触れられている。他にもっと詳しい資料があるのかもしれないけれども…
コメント:0
過日,信太美駒古墳群(茨城県稲敷郡美浦村美駒)を再訪した。
前回訪問した際には正確な分布図を入手していなかったので,曖昧なままとしていた部分があるけれども,その後,高橋嘉朗「美浦村の古墳と古墳群」美浦村史研究6号27~46頁(平成2年)を入手した。その42頁に信太美駒古墳群を構成する古墳の分布図がある。
信太美駒10号墳(直径8.6…
コメント:0
過日,信太美駒古墳群(茨城県稲敷郡美浦村美駒)を再訪した。
信太美駒古墳群は,日本中央競馬会(JRA)トレーニングセンターの敷地内にある公園区画内に所在している。
前回訪問した際には正確な分布図を入手していなかったので,曖昧なままとしていた部分があるけれども,その後,高橋嘉朗「美浦村の古墳と古墳群」美浦村史研究6号27~46頁(平成…
コメント:0
過日,中曽根親王塚古墳(長野県東御市和丸山)を見学した。
中曽根親王塚古墳は,1辺55×52m・高さ12mの方墳とされている。発掘調査の結果,墳丘と国道141号線との間に幅約18mの溝が発見されている。かなり大きな古墳ということになるが,実際に観ると本当に大きな古墳に見える。
古墳の名称は,旧地名である中曽根村の「中曽根」に由来する…
コメント:0
過日,豊秋霧原埜神社(長野県上田市秋和)を参拝した。祭神は神功皇后・応仁天皇・仁徳天皇。
元は八幡社と呼ばれていたようだ。
豊秋霧原埜神社の所在地は,武田軍と村上軍との間の葛尾城の戦における激戦地の1つとのこと。おそらく,当時,豊秋霧原埜神社の境内地とその周辺全体が葛尾城の一部を構成する館または砦だったのだろうと想像される。村上氏の…
コメント:0
過日,半過古墳群10号墳の石室を見学した。
半過古墳群10号墳は,バイパス道路建設中に発見された古墳で,直径約7mの円墳とされている。石室が残されており,土器,鉄鏃,ガラス玉,人骨等が出土したようだ。
半過古墳群10号墳の石室は,道の駅「上田道と川の駅おとぎの里」(長野県上田市小泉)の敷地内に移築・復元されている。
半過古墳群に関…
コメント:0
過日,耳取大塚古墳(長野県小諸市耳取)を見学した。
耳取大塚古墳は,直径25m・高さ5.85mの円墳とされているが,元はもっと大きな古墳だったのではないかと思われる。現況でもかなり大きな古墳に見える。
墳丘を少し登ったところ(南側)に石室が開口している。とても大きい。
副葬品は見つかっていないとのことなのだが,それほど古い時代では…
コメント:0
過日,安原大塚古墳(長野県佐久市安原)を見学した。
安原大塚古墳は,安原公民館の北側にあり,現況は,直径約20mの円墳のように見えるが,後代の掘削により相当に掘削された結果とのことで,横穴式石室の羨道部が失われ,玄室部だけが残されたような状態になっている。元は非常に大きな古墳だったのだろうと思う。
墳丘上には2基の石祠と大きな石(伏…
コメント:0
過日,安良塚古墳群(茨城県日立市日高町)を見学した。
日立市教育委員会編『茨城県日立市埋蔵文化財分布地図』(1985年3月)の43頁によれば,安良塚古墳群は,2基の円墳で構成され,澳津説神社の南東にあるやけやま児童公園の東端付近に位置する山の北東側斜面上にある。分布地図上では2基の円墳が東西に並んでおり,西側の円墳が1号墳,東側の円墳…
コメント:0
過日,澳津説神社(茨城県日立市日高町)を参拝した。祭神は事代主命・宇賀御魂命。
下記のサイトによると,澳津説神社は,天文13年(1544年)に京都伏見稲荷神社の分霊を勧請したのがはじまりで,元禄7年(1694年)に徳川光圀の命により小木津村の総鎮守となり,万治元年(1658年)に現在の鎮座地に遷座し,その後,明治16年,それまでの稲荷…
コメント:0
過日,長者山古墳群(茨城県日立市十王町伊師)を見学した。
長者山古墳群は,国指定史跡である長者山官衙遺跡のある愛宕神社境内地の北側に所在し,2基の円墳で構成される古墳群とされている。
茨城大学史学第六研究室・十王町教育委員会編『十王町の遺跡-十王町埋蔵文化財包蔵地分布調査報告書-』(1991年)の39頁及び41頁によれば,長者山1…
コメント:0
過日,十王台古墳群の所在地を訪問し,十王台1号墳(茨城県日立市十王町伊師本郷)を見学した。
茨城大学史学第六研究室・十王町教育委員会編『十王町の遺跡-十王町埋蔵文化財包蔵地分布調査報告書-』(1991年)の25頁及び29頁によれば,十王台1号墳は,全長40~50mで,南西の方に前方部を向けた前方後円墳とされている。くびれ部は掘削されて…
コメント:0
過日,大甕神社(茨城県日立市大みか町)を参拝した。主祭神は,武葉槌命。地主神は,甕星香々背男。
かつては,倭文神宮と呼ばれていたようだ。現在でも鳥居脇には「大甕倭文神宮」と記された石柱がある。この倭文神とは,倭文神武葉槌命(武葉槌命)のことを指す。
大甕神社は,古くから大甕山上の古宮の地で祀られていたが,江戸時代になり,徳川光圀の命…
コメント:0
過日,南高野貝塚と上の台古墳群(茨城県日立市南高野町)を見学した。
南高野貝塚は,縄文時代の貝塚で,土器や石器などが発掘されており,茨城県の史跡に指定されている。史跡指定地全体に遊歩道が整備されており,駐車場やトイレ等も設置されている。ただし,私が訪問した時には,見学者は私だけ。あとは昼寝のために駐車場を利用している人々ばかりだった。…
コメント:0
過日,赤羽緑地公園(茨城県日立市久慈町)を訪問し,同公園敷地内にある横穴墓を見学した。
赤羽緑地公園は,古代の入江のような場所にあるのだが,現況は池のようになっており,自然観察路や野鳥観察施設等が設置されている。この入江のような場所の南側段丘崖に多数の横穴墓があり,全体として赤羽横穴墓群と呼ばれている。
横穴墓中の1基から金銅製の冠…
コメント:0
過日,日立灯台(茨城県日立市大みか町)とその周辺を見学した。
日立灯台は,日立市北部にある古房地鼻という岬の上にあり,その周辺は,古房地公園として整備されている。古房地公園を含む周辺の広範な範囲が,古房地遺跡と呼ばれる縄文時代~古墳時代~奈良平安時代の遺跡包蔵地に指定されている。ただし,その大部分が宅地または工業用地になっており,遺跡…
コメント:0
2019年5月のことだが,貴船神社(茨城県つくば市下岩崎)を参拝した。祭神は,高龗神。
小さな神社ではあるが,境内社を含め,非常に丁寧にお世話されている神社だと思った。
貴船神社の境内地は,谷田川の西岸に岬状に突き出た段丘上にある。現在では谷田川の河川敷となっている部分は,古代には霞ヶ浦の一部となっていた牛久沼の一部だったと推定され…
コメント:0
過日,千葉県立房総のむら(千葉県印旛郡栄町龍角寺)を見学した。
この施設は,龍角寺古墳群の所在地と同じ場所にあり,房総のむらの敷地内にも3基の古墳と多数の供養塚がある。
施設内には,過去の街並みを再現した区画があり,豪農の屋敷等の貴重な建物が再現されているほか,遊歩道の脇などに古い民俗文化が再現されている。
辻切りや庚申塔など…
コメント:0
過日,千葉県立房総のむら(千葉県印旛郡栄町龍角寺)を見学した。
この施設は,龍角寺古墳群の所在地と同じ場所にあり,房総のむらの敷地内にも3基の古墳と多数の供養塚がある。
施設内には,過去の街並みを再現した区画があり,豪農の屋敷等の貴重な建物が再現されているほか,遊歩道の脇などに古い民俗文化が再現されている。
農村歌舞伎舞台建物…
コメント:0
過日,千葉県立房総のむら(千葉県印旛郡栄町龍角寺)を見学した。
この施設は,龍角寺古墳群の所在地と同じ場所にあり,房総のむらの敷地内にも3基の古墳と多数の供養塚がある。
施設内には,過去の街並みを再現した区画があり,豪農の屋敷等の貴重な建物が再現されているほか,遊歩道の脇などに古い民俗文化が再現されている。
上総の農家屋敷を見…
コメント:0
過日,千葉県立房総のむら(千葉県印旛郡栄町龍角寺)を見学した。
この施設は,龍角寺古墳群の所在地と同じ場所にあり,房総のむらの敷地内にも3基の古墳と多数の供養塚がある。
施設内には,過去の街並みを再現した区画があり,豪農の屋敷等の貴重な建物が再現されているほか,遊歩道の脇などに古い民俗文化が再現されている。
武家屋敷を見学した…
コメント:0
過日,千葉県立房総のむら(千葉県印旛郡栄町龍角寺)を見学した。
この施設は,龍角寺古墳群の所在地と同じ場所にあり,房総のむらの敷地内にも3基の古墳と多数の供養塚がある。
施設内には,過去の街並みを再現した区画があり,豪農の屋敷等の貴重な建物が再現されているほか,遊歩道の脇などに古い民俗文化が再現されている。
これらの展示物を見て回…
コメント:0
過日,古原下塚古墳群(千葉県香取郡神崎町古原甲)を見学した。
古原下塚古墳群は,3基の古墳で構成される古墳群とのことだが,現存しているのは2基だけのようだ。周辺の畑の中に石材が露頭しているように見える場所があり,もしかするとそこが湮滅古墳の所在地なのかもしれないと思ったけれども,はっきりしない。
古原下塚1号墳は,現況で直径約1…
コメント:0
過日,成田ゆめ牧場(千葉県成田市名木)を訪問し,その駐車場(有料)の周辺にある塚を見学した。
成田ゆめ牧場の入口付近には福禄寿の御堂がある。参拝した。
現在では広い駐車場になっている場所付近は,名木前原古墳群と呼ばれる古墳群の所在地となっている。千葉情報マップ上では,3基の円墳があり,「一部消滅」との注記があるので,現存するのは2基…
コメント:0
過日,大塚古墳(千葉県香取市岩部)を見学した。
大塚古墳は,大畑公會堂の北側にあり,墳丘を登ると神社があるようなのだが,私が訪問した時には道がよくわからず,墳丘には登らないで公道から見学するのにとどめた。
大塚古墳は,かなり大きな古墳で,方墳または円墳とされているけれども,自然地形との見解もあるようだ。千葉県文化財保護協会『千葉県所…
コメント:0
過日,熊野三社(千葉県香取市富田)を参拝した。
南東側が熊野神社の正面(表参道)となり,熊野神社の社殿がある。表参道の左脇(西側)に境内社がある。
北西側が裏参道となり,こちらにも鳥居があり,2つの社殿がある。正面の社殿と併せて熊野三山を示すものではないかと考えたが,詳しく調べていないので確実ではない。これら全部の神社を参拝した上で…
コメント:0
2019年4月のことだが,高浜の台地の裾(南側)の茨城県道144号紅葉石岡線沿いにある金比羅神社と爪書き阿弥陀堂(茨城県石岡市高浜)を参拝した。
金比羅神社は小さく質素な神社。金比羅神社の脇にある道を登ると大杉神社がある。残念ながら,大杉神社の写真はうまく撮れていなかった。
金比羅神社の社殿の前にある手水鉢の上に大きな丸石が乗ってい…
コメント:0
2019年4月のことだが,天台宗・清涼山高渕寺(茨城県石岡市高浜)を参拝した。本尊は,如意輪観世音。
下記の石岡市のサイトによれば,「観音像は,平安時代に平良持が京都の正林寺からこの地に移した」ものとのこと。
高渕寺は,山の中腹のような場所にある。その背後地(西側~北側)の斜面はほぼ全部墓地となっている。しかし,地形や立地等から推測…
コメント:0
2019年4月のことだが,藤森稲荷神社(茨城県石岡市高浜)を参拝した。
藤森稲荷神社は,JR上野東京ライン高浜駅東側の踏切近くから石岡市立高浜小学校のある段丘上に登る斜面の途中にある。そのため,段丘裾からは見上げる場所にあるけれども,段丘上からは見下ろすような感じになっている。
高浜小学校の敷地造成のために地形が相当に変わってしまっ…
コメント:0
過日,菅原神社(新潟県上越市清里区菅原)を参拝した。祭神は,天穂日命。菅原道真・菅原道雄を配祀し,熊野神社(伊邪那岐尊)・十二社(天津神五代・国津神七代)・八社(高皇産霊神・生産霊神・神皇産霊神・足産霊神・玉置産霊神・御膳神・大宮之売神・事代主神)を合祀している。式内社である菅原神社(越後国・頸城郡)に比定されている。
「菅原」との社…
コメント:0
過日,高士古墳群所在地を見学した後,菅原古墳群(新潟県上越市清里区荒牧~菅原)を見学した。
かつて,菅原古墳群は,非常に多数の古墳によって構成される古墳群だった。清里区総合事務所(新潟県上越市清里区荒牧)の前にある説明板中にその分布図がある。しかし,現時点では,菅原神社境内にある前方後円墳1基,清里区総合事務所敷地内にある円墳1基と併…
コメント:0
過日,宮口古墳群から別の遺跡に移動中,高士古墳群(新潟県上越市高士区南方)の所在地付近を通った。路傍に高士古墳群の説明板があったので,ちょっとだけ見学した。
高士古墳群は,元は水田の中にある10基ほどの円墳で構成される古墳群だったようなのだが,残存古墳が存在するのかどうか説明板の記載だけでは判断できなかったので,ちょっと調べてみた。新…
コメント:0
過日,宮口古墳群(新潟県上越市牧区宮口)を見学した。
宮口古墳群は,31基の円墳で構成される古墳群(群集墳)であり,史跡公園として整備されている。
史跡公園の中心部付近にある復元古墳を見学した後,資料館前の道路の西側水田縁にある8号墳~25号墳を見学した。
これらの古墳の墳丘は,史跡公園として整備された際に復元されたもののようだ。…
コメント:0
過日,宮口古墳群(新潟県上越市牧区宮口)を見学した。
宮口古墳群は,31基の円墳で構成される古墳群(群集墳)であり,史跡公園として整備されている。
史跡公園の中心部付近にある復元古墳を見学した後,資料館前の道路の西側水田縁にある8号墳~25号墳を見学した。
これらの古墳の墳丘は,史跡公園として整備された際に復元されたもののようだ。…
コメント:0
過日,宮口古墳群(新潟県上越市牧区宮口)を見学した。
宮口古墳群は,31基の円墳で構成される古墳群(群集墳)であり,史跡公園として整備されている。
史跡公園の中心部付近にある復元古墳を見学した後,資料館前の道路の西側水田縁にある8号墳~25号墳を見学した。
これらの古墳の墳丘は,史跡公園として整備された際に復元されたもののようだ。…
コメント:0
過日,宮口古墳群(新潟県上越市牧区宮口)を見学した。
宮口古墳群は,31基の円墳で構成される古墳群(群集墳)であり,史跡公園として整備されている。
牧歴史民俗資料館の展示物を見学した後,資料館裏の山の尾根にある1号墳~7号墳及び31号墳を見学した。「順路」の表示に従って歩くと,概ね番号順に古墳を見学できる。
山の尾根上の小路を歩き…
コメント:0
過日,宮口古墳群(新潟県上越市牧区宮口)を見学した。
宮口古墳群は,31基の円墳で構成される古墳群(群集墳)であり,史跡公園として整備されている。
牧歴史民俗資料館の展示物を見学した後,資料館裏の山の尾根にある1号墳~7号墳及び31号墳を見学した。「順路」の表示に従って歩くと,概ね番号順に古墳を見学できる。
山の尾根上の小路を歩き…
コメント:0
過日,宮口古墳群(新潟県上越市牧区宮口)を見学した。
宮口古墳群は,31基の円墳で構成される古墳群(群集墳)であり,史跡公園として整備されている。その出土物等は,牧歴史民俗資料館で保存・展示されている。宮口古墳群の発掘調査結果は,牧村教育委員会「宮口古墳群-新潟県東頸城郡牧村宮口古墳群発掘調査報告書-」(1976年)及び牧村教育委員会…
コメント:0
過日,水科古墳群(新潟県上越市三和区水科)を見学した。
水科古墳群は,比較的狭い範囲内に32基の横穴式石室が残る状態で発見された古墳時代後期のものとみられる古墳群(群集墳)。その後2基の古墳が発見されたので,現時点では合計34基の古墳群とされている。
元は地上部(墳丘)の大部分が既に失われてしまった古墳群だったのだけれども,現在,国…
コメント:0
過日,水科古墳群(新潟県上越市三和区水科)を見学した。
水科古墳群は,比較的狭い範囲内に32基の横穴式石室が残る状態で発見された古墳時代後期のものとみられる古墳群(群集墳)。その後2基の古墳が発見されたので,現時点では合計34基の古墳群とされている。
元は地上部(墳丘)の大部分が既に失われてしまった古墳群だったのだけれども,現在,国…
コメント:0
過日,水科古墳群(新潟県上越市三和区水科)を見学した。
水科古墳群は,比較的狭い範囲内に32基の横穴式石室が残る状態で発見された古墳時代後期のものとみられる古墳群(群集墳)。その後2基の古墳が発見されたので,現時点では合計34基の古墳群とされている。
元は地上部(墳丘)の大部分が既に失われてしまった古墳群だったのだけれども,現在,国…
コメント:0
過日,水科古墳群(新潟県上越市三和区水科)を見学した。
水科古墳群は,比較的狭い範囲内に32基の横穴式石室が残る状態で発見された古墳時代後期のものとみられる古墳群(群集墳)。その後2基の古墳が発見されたので,現時点では合計34基の古墳群とされている。
元は地上部(墳丘)の大部分が既に失われてしまった古墳群だったのだけれども,現在,国…
コメント:0
過日,水科古墳群(新潟県上越市三和区水科)を見学した。
水科古墳群は,比較的狭い範囲内に32基の横穴式石室が残る状態で発見された古墳時代後期のものとみられる古墳群(群集墳)。その後2基の古墳が発見されたので,現時点では合計34基の古墳群とされている。
元は地上部(墳丘)の大部分が既に失われてしまった古墳群だったのだけれども,現在,国…
コメント:0
2019年4月のことだが,二十三夜尊(茨城県石岡市若宮)を参拝した。本尊は,勢至菩薩。神道においては,勢至菩薩は,月読命とされる。
二十三夜尊の御堂は比較的小さなもので,住宅や商店等に囲まれるような感じになっているので,あまり目立つものではないけれども,石岡市の観光ルートの中にも組み込まれている。
石岡市の二十三夜尊は,神社という位…
コメント:0
2014年4月のことだが,月読神社(茨城県つくば市樋の沢)を参拝した。祭神は,月読命。
天慶8年(945年)に創建された古い神社で,明治時代の神仏分離令により月読神社となる前は,二十三夜尊月読大勢至菩薩を本尊としていたようだ。社殿は,極めて興味深いもので,江戸時代~明治時代における信仰を理解する上でも重要な神社なのではないかと思う。
…
コメント:0
過日,平地神社(群馬県藤岡市中大塚)を参拝した。
平地神社の社殿脇に天満宮がある。また,境内には,庚申塔等が多数並べられている。
平地神社の鳥居は,社殿から少し離れた南の方にある。そこから長い参道があり,社殿の手前(社殿の北東側)に古墳がある。
この古墳は,平地神社古墳と呼ばれ,直径33m・高さ3.5mの円墳とされている。
平地…
コメント:0
過日,冨士浅間神社を参拝した際,同社の北側にある八坂神社(群馬県藤岡市藤岡)も参拝した。祭神は,建速須佐之男命。
八坂神社の基壇部は,奥浅間古墳と呼ばれ,藤岡町2号古墳または奥浅間山古墳とも呼ばれる古墳であり,直径東西30m×南北25m・高さ5.0mの円墳とされている。典型的な古墳神社の形態をとっている。なお,墳丘の上部は,少し盛って…
コメント:0
過日,冨士浅間神社(群馬県藤岡市藤岡)を参拝した。祭神は,木花開耶姫之。
冨士浅間神社の基壇部は,浅間神社古墳と呼ばれ,藤岡町1号墳とも呼ばれる古墳であり,直径南北40m×東西44m・高さ5mの円墳とされている。基壇部の前面(南側)は,石垣で固められており,城砦のように見えるけれども,基壇部の背後(北側)には墳丘的な部分が多く残されて…
コメント:0
過日,山名古墳群(群馬県高崎市山名町)を再訪した。
前回訪問時に見落としてしまった古墳を見学するのが目的だった。現地に到着してみると,全体に除草作業が行われており,見学しやすい状況となっていたので,前回見学した古墳についても丁寧に観て回ることにした。
山名古墳群の南側部分は,全体として枯草状態となっていた。除草剤をまいた可能性がある…
コメント:0
過日,山名古墳群(群馬県高崎市山名町)を再訪した。
前回訪問時に見落としてしまった古墳を見学するのが目的だった。現地に到着してみると,全体に除草作業が行われており,見学しやすい状況となっていたので,前回見学した古墳についても丁寧に観て回ることにした。
山名10号墳は,山名9号墳の東側に隣接している。山名10号墳は,直径25mの円…
コメント:0
過日,山名古墳群(群馬県高崎市山名町)を再訪した。
前回訪問時に見落としてしまった古墳を見学するのが目的だった。現地に到着してみると,全体に除草作業が行われており,見学しやすい状況となっていたので,前回見学した古墳についても丁寧に観て回ることにした。
山名5号墳は,直径約35mの円墳とされている。山名5号墳の南側が山名6号墳(直…
コメント:0
過日,薬師塚古墳(群馬県高崎市吉井町岩井)を見学した。
薬師塚古墳は,入野村21号古墳とも呼ばれ,直径約20m・高さ約4mの円墳とされている。
薬師塚古墳は,群馬県高崎産業技術専門校(群馬県高崎市山名町)のすぐ南側にあり,同校の外周をぐるりと回る道路沿いにある。墳丘の南側にある道路からも見えるので,クルマを運転しながらちらりと目視し…
コメント:0
過日,毛野国白石丘陵公園の古墳を見学した後,七輿山古墳の前にある駐車場までクルマで移動し,そこから徒歩で曹洞宗・七輿山宗永寺(群馬県藤岡市上落合)に向かい,参拝した上で,同寺の境内にある宗永寺裏西塚古墳を見学した。
宗永寺の周辺には宗永寺裏東塚古墳と薬師塚古墳もあるが,いずれも墓地になっているので見学しなかった。ただし,宗永寺裏東塚古…
コメント:0
新型コロナと関係する移動制限等が基本的になくなり,go toキャンペーンが実施されているとはいえ,現実には,(合理性のないものを含め)いろんな問題が発生するリスクはあるので,可能な限り人と接しないように計画しながら,他の都道府県の古墳等を見学するための日帰り旅行をするようにしている。
過日,毛野国白石丘陵公園(群馬県藤岡市三ツ木)を見…
コメント:0
古墳を見学するために移動中,路傍でシオカラトンボ(Orthetrum albistylum)のメスを見た。
翅がだいぶ傷んでいる。完全に成熟したメスだろうと思う。
シオカラトンボのメスは,ムギワラトンボと呼ばれるが,成熟すると麦色の部分が少なくなる。
コメント:0
古墳見学のために移動中,田圃の脇の路傍でオオイヌタデ(Persicaria lapathifolia)の白花タイプと思われる植物を見つけた。
この個体は,全体にあまり大きくなく,花穂があまり垂れていないため,イヌタデのようにも見える。
類似の近縁種とも比較して検討してみた。
たぶん,イヌタデ(Persicaria longiset…
コメント:0
過日,鹿島神社(茨城県稲敷市江戸崎)を参拝した。祭神は,健御雷之男命・健速素佐之男命。
鹿島神社の境内地は,江戸崎城の一部だとされている。
下記のサイトに江戸崎城の古図が示されているのだが,それによると,鹿島神社の境内地は,江戸崎城の二ノ丸~本城所在地に該当するようだ。しかし,あてはめは非常に難しい。そもそも図面の方位がおかしいのだ…
コメント:0
過日,臨済宗妙心寺派・江上山瑞祥院竜雲寺(茨城県稲敷市江戸崎)を参拝した。
瑞祥院は,足利尊氏の開基により創建された寺院とのこと。
境内入口付近には堀様の池(ひょうたん池)があり,そこにかかる橋(石橋)も古いものなのだそうだが,よくわからなかった。その池には睡蓮が淡い黄色の花を咲かせていた。
瑞祥院の境内地は,江戸崎城の一部だとさ…
コメント:0
過日,若栗古墳群の所在地(茨城県稲敷郡阿見町若栗)を見学した。
阿見町の若栗地区には,かつては多数の古墳があったようなのだが,阿見町史編さん委員会編『阿見町史』(昭和58年)の63頁によれば,若栗1号墳(直径13m・高さ2mの円墳・一部削平)を除き,2号墳,3号墳及び4号墳は「現在は湮滅してその所在も明確に判明されない」と記されている…
コメント:0
過日,新義真言宗・東光山医王院常福寺(茨城県土浦市下高津)を参拝した。本尊は,薬師如来。
常福寺は,平安時代初期に天台宗の寺院として創建された古い寺院で,後に真言宗に改宗となったとのこと。
常福寺の境内地は,台地の縁にあり,墓地区画の北端付近に展望台のような休憩場所が設けられている。この墓地区画は,その東に位置する愛宕神社,国立病院…
コメント:0
過日,天台宗・東福院日照山薬王寺(茨城県結城郡八千代町仁江戸)を何度か参拝した。
住職から直接に御教示いただいたこともある。薬王寺の由緒や本堂の建替えと関連する事柄だけではなく,仁江戸地域にあった古墳のかつての様子などについても懇切に教えていただき,勉強になった。まことにありがたいことだと思う。
本堂はとても立派なものだった。
ま…
コメント:0
過日,緒立八幡宮を参拝した後,クルマで移動し,城の山古墳(新潟県胎内市城塚)を見学した。
城の山古墳は,東西41m・南北35m・高さ5mの楕円形の円墳とされている。かつては前方後円墳説もあったけれども,現在では否定されているらしい。
この古墳からは盤龍鏡が出土しているとのこと。朝廷の命によりこの地に屯田して支配した武人が,朝廷から賜…
コメント:0
過日,古津八幡山遺跡を見学した後,クルマで移動し,緒立八幡宮(新潟市西区緒立流通)を参拝した。祭神は,譽田別尊。
私が参拝した日は祭礼の日だったようで,大きな幟が立てられていた。私以外にも断続的に参拝者があったので,参拝者が途切れるタイミングをみて社殿等の写真を撮った。
緒立八幡宮の境内地を含む周辺一帯は,緒立遺跡と呼ばれる遺跡包蔵…
コメント:0
過日,曹洞宗・慈雲山廣大寺(新潟県新潟市秋葉区古津)を参拝した。本尊は,光田聖観世音菩薩とのこと。
廣大寺は,古津八幡山古墳が所在する山の北側山裾付近にある。廣大寺の境内地から南の方に登る谷合の狭い道路に沿って集落があり,その奥の山頂に古津八幡山古墳が位置していることから,古くから何らかの縁のある寺院なのではないかというような印象をも…
コメント:0
過日,古津八幡山遺跡(新潟県新潟市秋葉区古津)を見学した。
古津八幡山遺跡は,信越本線古津駅の北側にある山の上に所在する弥生時代~古墳時代の複合遺跡で,竪穴式住居,方形周溝墓,大きな円墳などが復元され屋外展示されているほか,敷地内に設置されている新潟県埋蔵文化財センター内で出土品等が屋内展示されている。
古津八幡山遺跡の山の上に…
コメント:0
過日,古津八幡山遺跡(新潟県新潟市秋葉区古津)を見学した。
古津八幡山遺跡は,信越本線古津駅の北側にある山の上に所在する弥生時代~古墳時代の複合遺跡で,竪穴式住居,方形周溝墓,大きな円墳などが復元され屋外展示されているほか,敷地内に設置されている新潟県埋蔵文化財センター内で出土品等が屋内展示されている。同センターの担当者の対応は迅速・…
コメント:0
昨日,ある古墳群を散策中,小さなトンボを見た。ハッチョウトンボ(Nannophya pygmaea)かと思ったのだが,どうもアキアカネ(Sympetrum frequens)のようだ。
ハッチョウトンボは非常に珍しいトンボなので,そうそう簡単に出逢えるとは思っていなかった。
その古墳群の所在地内を散策しながら山裾の湿…
コメント:0
今日は,朝早くでかけて遠出し,長時間ドライブで往復して古墳群等を見学した後,暗くなってから帰宅した。
見学先では様々な昆虫とも出会った。久しぶりで木の枝にとまっているオニヤンマ(Anotogaster sieboldii)をみつけ,写真を撮ることができた。
見学の結果は,後にまとめて書くことにする。とても勉強になった。
コメント:0
ある古墳群を散策していたら,ヒヨドリバナ(Eupatorium makinoi var. oppositifolium)と思われる植物が白い花を咲かせているのを見つけた。
その花を観ていたら,ジガバチがやってきた。サトジガバチ(Ammophila sabulosa)ではないかと思われる。
コメント:0
ある古墳群を散策していたら,草原にアレチヌスビトハギ(Desmodium paniculatum)がいっぱい生えており,花が満開状態となっていた。
三河の植物観察:アレチヌスビトハギ 荒れ地盗人萩
http://mikawanoyasou.org/data/aretinusubitohagi.ht…
コメント:0
里山を散策していたら,ノダケ(Angelica decursiva)の花が咲いていた。
よく観ると,小さなクモもいる。野山は,常に生存競争だ。コハナグモ(Diaea subdola)またはその近縁種ではないかと思われるけれども,はっきりしない。
コメント:0
過日,大塚宿古墳(栃木県栃木市大塚町)を見学した。
大塚宿古墳は,セブンイレブン栃木大塚町店の西側隣地にある墓地区画の奥(北側)にあり,同店の敷地からも墳丘が見える。以前,大塚岩家古墳を見学した際にも目にしてはいたのだが,古墳かどうかわからないでいた。その後,栃木県教育委員会編『栃木県埋蔵文化財地図』(平成9年3月)を調べ,古墳だとい…
コメント:0
過日,天台宗・星住山松樹院圓通寺(栃木県栃木市城内町)を参拝し,その境内にある古墳を拝見した。本尊は,千手観音。
天長2年(825年)に慈覚大師円仁が開基した古い寺院で,天正7年(1579年)に現在の場所に移されて今日に至っているとのこと。本堂等の建物はとても立派なものだった。
圓通寺の境内には,もと栃木県下都賀郡立栃木農学校(現在…
コメント:0
過日,熊野神社(栃木県栃木市樋ノ口町)を訪問し,その基壇部となっている古墳を見学した。この熊野神社は,個人の氏神のようなものではないかと思ったけれども,敬意を表する趣旨で参拝した。
栃木市史編さん委員会編『栃木市史 史料編・古代・中世』(昭和60年)の47頁によれば,この古墳は,熊野神社古墳と呼ばれ,直径10m・高さ1.2mの円墳とさ…
コメント:0
過日,八蛇神社(栃木県栃木市久保田町)を参拝した。「八蛇」は「やつさび」と読む。祭神は,大物主神・天照大御神・彦火出見命。
社殿は,八蛇古墳と呼ばれる古墳の上にあり,神社創建当時におけるこの古墳の名称が「八蛇山」だったらしい。典型的な古墳神社の形態をとっている。境内地の西側部分は墓地区画となっており,その区画の前(南側)に庚申塔や供養…
コメント:0
2019年の正月に酒列磯前神社(茨城県ひたちなか市磯崎町)を参拝した。その際,神社境内地にある古墳のなごりらしきものがあるのを見つけた。その後,川子塚古墳を見学した際にも,日帰り風呂を利用するために寄ったホテルニュー白亜紀の駐車場付近に古墳のようなものがあるのを見て,その写真を撮っておいた。
後になってから,佐々木憲一・田中裕編『続常…
コメント:0
昨日のことだが,散策中,愛宕神社のある森の中でキツリフネ(Impatiens noli-tangere)が開花しているのを見つけた。黄色の花を咲かせるので,他の草の中にあっても目立つ。久しぶりに観た。
四季の山野草:きつりふね(黄釣船)
https://www.ootk.net/cgi/shikihtml/shi…
コメント:0
過日,田村山古墳(福島県会津若松市北会津町)を見学した。
田村山古墳は,全長24.85m・後円部直径17.4m・後円部高さ2.15mの帆立貝式前方後円墳とされている。八花文内行花文鏡が出土している。この鏡をどう考えるかは,非常に難しい問題の1つだと言える。
一般に,朝廷の命により各地を移動しながら屯田し続ける集団があったと仮定した場…
コメント:0
過日,稲荷森公園内(福島県河沼郡会津坂下町稲荷森)にある杵ガ森古墳と方形周溝墓を含む稲荷森遺跡を見学した。
稲荷森公園は,臼ヶ森古墳の南約400mのところにあり,公園敷地内に稲荷森遺跡が保存されている。公園敷地内の中央やや北寄りのところに杵ガ森古墳の墳丘がある。杵ガ森古墳は,全長45.6m・後円部直径25m・後円部高さ2mの前方後円墳…
コメント:0
過日,新舘愛宕神社(福島県河沼郡会津坂下町新舘)を参拝した。
鳥居と参道は社殿の南側にあるが,社殿の東側にも鳥居がある。
新舘愛宕神社の基壇部は,臼ヶ森古墳と呼ばれる古墳であり,典型的な古墳神社の形態をとっている。
臼ヶ森古墳は,全長約50m・後円部直径約30m・前方部幅約14mの前方後円墳とされている。前方部は,南西の方を向いて…
コメント:0
過日,鎮守森古墳を見学した後,浄土宗・本現山正徳寺(福島県河沼郡会津坂下町青木)を参拝した。京都知恩寺30世・岌州ゆかりの寺院とのこと。
現在では亀ヶ森古墳の墳丘上にある観音堂に安置されている聖観世音は,元は正徳寺境内にあった観音堂に安置されていたけれども,慶長16年(1611年)に発生した会津地震とその影響による洪水によって堂宇が倒…
コメント:0
過日,鎮守森古墳(福島県河沼郡会津坂下町青津)を見学した。
鎮守森古墳は,亀ヶ森古墳の南西に隣接している。
説明板によると,鎮守森古墳は,全長55mの前方後方墳であり,出土物等から4世紀に築造された古墳と推定されているようだ。
現時点の私見としては,4世紀の時点において,(継体天皇による王朝交替前の)朝廷の勢力が会津の地に及んでい…
コメント:0
過日,亀ヶ森古墳(福島県河沼郡会津坂下町青津)を見学した。
亀ヶ森古墳は,浄泉寺の北西約300mのところにある。亀ヶ森古墳は,全長127m,後円部直径72m・前方部の長さ60.2mの前方後円墳とされている。後円部は三段築造とされており,三段目は小規模な塚のような形をしているのだが疑問がある。中世に館とするために墳丘が掘削された際,何ら…
コメント:0
過日,曹洞宗・清光山浄泉寺(福島県河沼郡会津坂下町青津)を参拝し,周辺の遺跡を見学した。本尊は,阿弥陀如来。
創建の詳細は不明だが,室町時代以降に曹洞宗に改宗して今日に至っているらしい。
浄泉寺の参拝だけであれば同寺の駐車場にクルマを停めたのだが,周辺の遺跡をひととおり見学するとなると一定の時間がかかるので,会津坂下町埋蔵文化財セン…
コメント:0
過日,若宮八幡神社(福島県喜多方市豊川町沢部)を参拝した。
若宮八幡神社の境内地は,全体として,喜多方八幡塚古墳と呼ばれる前方後円墳の墳丘を平坦に掘削した台状の土地の上となっている。
喜多方八幡塚古墳は,全長65m・後円部直径33.2mの前方後円墳とされている。
若宮八幡神社の鳥居は,前方部端と思われる東端部分にあり,東の方を向い…
コメント:0
糠塚古墳群を見学した後,まだ午前11時頃だったのだけれども,昼食をとることにした。「できるだけ人と接触しないようにしなければならない」ということもあるが,せっかく喜多方市に来たのでラーメンを食べたいと思っていたし,昼頃にはどのラーメン店も混雑することが予想されたので,開店後すぐの時間帯の方が良いだろうと判断した。
喜多方市の中心部に入…
コメント:0
過日,糠塚古墳群(福島県喜多方市岩月町)を見学した。
かつて,糠塚古墳群の所在地には多数の小古墳が存在したらしいのだが,耕地整理等の中で消滅し,現在では,那麻里七世神社古墳,糠塚古墳及び粉糠塚古墳と呼ばれる合計3基の古墳だけが残されている。これら3基の古墳は,主に田となっている低地の中に島状になって存在する畑台と呼ばれる台地または自然…
コメント:0
過日,高森山古墳(福島県喜多方市塩川町)を見学した。
正確に言うと,別の古墳を目指して福島県道69号北山会津若松線を移動中,車窓から高森山古墳の墳丘が見えた。かつては樹木で覆われていたようなのだが,現在では大きな樹木が全くなく,墳丘全体が墓地化している。
写真を撮らずに通り過ぎようと思った。少し走っていたら,道路脇にちょっとだけクル…
コメント:0
過日,田中舟森山古墳(福島県喜多方市塩川町)を見学した。
田中舟森山古墳は,舟守山古墳とも呼ばれ,全長70~90mの前方後方墳または前方後方墳とされている。ただし,その前方部は既に失われていると考えられている。また,前方後円墳とする見解もある。
墳丘の墳頂付近は平坦に削平されており,舟森山稲荷神社の境内地となっている。かつて前方部が…
コメント:0
過日,舟戸山古墳(茨城県日立市久慈町)を見学した。
佐々木憲一・田中裕編『続常陸の古墳群』(六一書房)の79頁によれば,舟戸山古墳は,全長60m・後円部直径50m・後円部高さ7m・前方部長10mの帆立貝式前方後円墳とされている。同書同頁には「箱式石棺」との注記がある。前方部は,北西の方を向いているようだ。舟戸山古墳からの出土物に関する…
コメント:0
過日,天台宗・神明山千福寺(茨城県日立市久慈町)を参拝した。本尊は,阿彌陀如来。
境内には,インド流の仏を含め,多種多様な仏像などが並べてあり,非常に興味深い。
山門近くには身代わり地蔵尊があり,関東百八地蔵尊霊場第五十四番札所となっているとのこと。
千福寺の墓地の南端付近には八坂神社がある。この八坂神社の基壇部は,桜山古墳群の1…
コメント:0
過日,水木異国船遠見番所跡(茨城県日立市水木町)を見学した。
説明板によると,水木異国船遠見番所は,鎖国令が出されて間もなくの正保2年(1645年)頃に水戸藩主・徳川頼房の命により,外国船に乗った切支丹が上陸するのを防ぐために設けられた施設とのこと。水戸藩には友部海防陣屋など合計7つの海防施設があった。
水木異国船遠見番所跡の敷地は…
コメント:0
過日,田楽鼻古墳(茨城県日立市大みか町)を見学した。
田楽鼻は,鋭角的な三角形の岬状の場所であり,それを古墳だと知っている人でも普通に前方後円墳だと思ってしまうような形状をしている。
しかし,日立市教育委員会編『茨城県日立市埋蔵文化財分布地図』(1985)の124頁には,田楽鼻古墳は,円墳であり,「海蝕により,横穴式石室が露出してい…
コメント:0
過日,甕の原古墳群(茨城県日立市大みか町)を見学した。
佐々木憲一・田中裕編『続常陸の古墳群』(六一書房)の91頁によれば,甕の原古墳群は,1基の前方後円墳と4基の円墳の合計5基の古墳によって構成される古墳群とされている。ただし,円墳3基は既に湮滅しているとの記載がある。
日立市教育委員会編『茨城県日立市埋蔵文化財分布地図』(198…
コメント:0
過日,泉神社を参拝した後,同じ地区の台地上に所在する水木古墳群(茨城県日立市水木町)を見学した。
佐々木憲一・田中裕編『続常陸の古墳群』(六一書房)の79頁によれば,水木古墳群は,1基の前方後円墳と8基の円墳の合計9基の古墳によって構成される古墳群とされている。ただし,調査の結果,水木9号墳は,古墳ではなく築山と判明しているとの注記が…
コメント:0
過日,泉神社(茨城県日立市水木町)を参拝した。式内社である天速玉姫命神社とされている。祭神は,天速玉姫命。
泉神社には多数の境内社等があり,全て参拝した。
その名のとおり,弁天社(境内社)の脇から大量の湧水があり,素晴らしいの一言に尽きる。その湧水の水源を探究した調査結果は,浅学にしてよく知らないのだが,普通は,茨城県の指定文化財と…
コメント:0
過日,塩竈神社(茨城県日立市日高町)を参拝した。とは言っても,境内地には立派な鳥居と小さな石祠があるだけで,拝殿等は撤去されてしまったようだ。この石祠が現在の塩竈神社だと判断した。
塩竈神社の周辺には公共駐車場がないため,塩竈神社の北約300mのところにある南静公園の駐車場にクルマを停め,そこから先は徒歩で往復。道路の途中で幅が狭くな…
コメント:0
過日,宮ノ前古墳(福島県石川郡玉川村川辺)を見学した。
宮ノ前古墳は,川辺八幡神社の南西約200mのところにある。以前は,川辺八幡神社鳥居脇の駐車スペースにクルマを停めてそこから徒歩でアクセスするしかなかったようなのだが,現在では,宮ノ前古墳のすぐ前(東側)に比較的広い駐車スペースが設置されている。
この駐車スペースになっている場所…
コメント:0
過日,川辺八幡神社(福島県石川郡玉川村川辺)を参拝した。鳥居の額には「正八幡宮」と記されている。
川辺八幡神社は,陸奥守に任じられた源頼義により,誉田別命を石清水八幡宮から勧請し,天喜元年(1053年)に創建された神社とのこと。
社殿や随神門等の建物は,とても立派なものだった。境内には稲荷神社など境内社が多数あるほか,「さかさ杉」と…
コメント:0
過日,大塚古墳(福島県須賀川市前田川)を見学した。
大塚古墳は,墳丘の一部が削平されているが,直径約30m・高さ5mの円墳だったと考えられているようだ。横穴式石室が開口しているけれども,石室開口部の前に鉄柵があり,石室内に入ることはできない。
大塚古墳は,阿武隈川が大きく湾曲・蛇行する場所の少し高くなった段丘縁のような場所にある。低…
コメント:0