上越市高士区南方:高士古墳群

過日,宮口古墳群から別の遺跡に移動中,高士古墳群(新潟県上越市高士区南方)の所在地付近を通った。路傍に高士古墳群の説明板があったので,ちょっとだけ見学した。
高士古墳群は,元は水田の中にある10基ほどの円墳で構成される古墳群だったようなのだが,残存古墳が存在するのかどうか説明板の記載だけでは判断できなかったので,ちょっと調べてみた。新潟県教育委員会・財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団「新潟県埋蔵文化財調査報告書第111集 上信越自動車道関係発掘調査報告書Ⅷ 黒田古墳群」(2002年)の13頁には,「かつては10基以上を数えたが、現在では開発などにより1基を残して壊滅している。1958年にそのうちの1基が調査されている。径8mの円墳で、内部主体は長さ約3.5mの横穴式石室であった。出土遺物としては、直刀・鉄鏃・銀環・水晶切子玉・勾玉・アスファルト塗りの土玉等がある[桜井・小松・山田 1959]」と記されているので,遅くとも2002年の時点では1基の古墳が残存していたのだろうと思う。この記載の中で引用されている「桜井・小松・山田 1959」とは,桜井清彦・小松芳男・山田賢吾「新潟県高士村塚田第一号墳調査報告」古代33号13~19号(1959年9月)のことを指す。ただし,この文献資料は,まだ読んでいない。
現況では,現地説明板所在地の西に広がる水田部分の中には墳丘のようなものが全く見当たらない。
現地説明板の右脇(南側)には塚のようなものがあり,石が露頭しているけれども,それが残存する1基に該当するのかどうかはわからない。
上越市のホームページ中にも高士古墳群に関する詳細情報を公表(情報公開)するためのコンテンツは存在しないようだ。

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説明板所在地


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説明板


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説明板の南側にある塚のようなもの


高士古墳群の説明板の裏には庚申塔と馬頭観世音があり,その説明文もあった。元は道路脇にあったものを移築したものとのこと。


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庚申塔


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馬頭観世音


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説明文



宮口古墳群の古墳からもアスファルトを塗った土玉が出土しており,現在の上越市が古墳時代当時から油田地帯として認識され,利用されていたことを知ることができる。
朝廷としては,貴重な資源としての石油(アスファルト)を国家独占的に確保する目的で,かなり古い時代から現在の新潟県や秋田県に侵攻し,屯田・支配の下に置いたものと推測される。
石油(アスファルト)に限らず,他の特殊物品についても同じであり,例えば,茨城県の製塩地帯に関しても同様のことがあったのに違いない。
朝廷による国家統一前には比較的対等な関係にある地域間の交易により流通していた特殊な物品が全て朝廷の管理下に置かれるようになり,抵抗する地域に対しては武力侵攻が断行されたと考えるのが妥当だろう。

一般に,統一国家の形成過程や動因を理解するためには,国庫の増大化(税収の増大化),それを実現するための流通の一元管理が必須のものとなるので,およそ歴史学を専攻する者は,経済史と財政学にも精通すべきだと思う。ただし,政治イデオロギー的な偏向性の強い見解を含め,経済現象に関する既存の理論に安易に迎合することは避けなければならない。それは,主観の表現物としての意見の一種なのであって,客観としての事実そのものではないからだ。しかも,当該主観の表現物を読解する側の人間の能力にはもっと大きな限界が存在することがしばしばあるので,仮にその理論が正しいとしてもその意味内容が正確に情報伝達されているという保証はない。
そのことは,過去30年間における現代経済理論の動向を見れば即座に理解できることで,考察対象とすべき事象が余りにも多すぎ,(現代のビッグデータを駆使するアナリストの脳を含め)人間の脳による多変量解析的な思考能力(キャパシティ)の限界をはるかに超えているからだ。それゆえ,どのような学説も(真理ではなく)あまたある「仮説」の中の一つに過ぎないものとして認識・理解しておくことが重要と思われるし,また,今後の新たな理論(仮説)の出現を想定すると,安全なことでもある。

歴史学における通説を前提にして考える限り,唐と新羅が日本国に侵攻してくる可能性が合理的に肯定できた時期には,強力な統一国家と権力集中の必要性が高まったと理解するのが合理的なので,そのような希少物品の国家管理・流通統制も極度に強化されたと推測し得る。
そして,古代の越後國との関係が深い阿倍比羅夫は,そのような文脈における国家的事業の遂行において非常に有能な人物として評価されていたと考えることもできる。

無論,歴史学における通説に従わない場合には,別の推論も可能だ。
一般に,歴史学における通説と言っても,推論の一種の集合体に過ぎず,事実そのものではないし,現代人が理解できる範囲内でのみ理解されるものなので,思考上においてかなり大きな制約条件の下にあると自覚しなければならない。
過去において,新たな考古学上の発見により,歴史学上の権威が完全に瓦解し,現在では全く放棄されてしまった歴史学上の(過去の)「通説」が山ほどある。

だから,分野・領域の別を問わず,職業人としての研究者は,自己の見解もまた単なる主観の一種に過ぎないという非常に大きな限界があることを明確に自覚・自認した上で,常に謙虚であるべきだと考えている。

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