栃木市城内町:圓通寺と古墳

過日,天台宗・星住山松樹院圓通寺(栃木県栃木市城内町)を参拝し,その境内にある古墳を拝見した。本尊は,千手観音。
天長2年(825年)に慈覚大師円仁が開基した古い寺院で,天正7年(1579年)に現在の場所に移されて今日に至っているとのこと。本堂等の建物はとても立派なものだった。
圓通寺の境内には,もと栃木県下都賀郡立栃木農学校(現在の栃木県立栃木農業高等学校)が設置されていたようだ。明治時代に寺院の境内と堂宇を利用して学校とした例は他にもあり,古代においては無論のこと,江戸時代~明治時代においても寺院が教育のために果たした役割を示すものと言える。

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圓通寺東側入口付近


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本堂


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薬師堂


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鐘楼


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古い石塔


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圓通寺西側入口付近


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青面金剛明王など


圓通寺の東側入口を入ったところに古墳がある。この古墳は,円通寺古墳と呼ばれている。
墳頂とみられる場所に御堂がある。合掌した。
この古墳は,範囲確定のための調査が行われており,貴重な出土物もあったようなのだが,現況としては,前方後円墳のような形状をしている。現在の墳丘は,発掘調査の結果を踏まえた復元部分を含むものと推察される。
かつての様子について,栃木市史編さん委員会編『栃木市史 史料編・古代・中世』(昭和60年)の48頁には,「天台宗円通寺境内の竹林中にも小型の円墳が存在する。海抜42メートル,径14メートル,高さ2メートルの小型のものである」と記されているので,元は竹林の中に埋もれた小円墳のような外形を示していたのだろうと思う。


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南の方から見た様子


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墳丘上の御堂


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南西の方から見た様子


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北東側の道路から見た様子


円通寺の古墳の例のように,一見小さな塚に過ぎないように見えるものでも実は非常に貴重なものであることが決して珍しくない。そのあたりが文化財保護の難しさの1つだと思う。
一般に,素人目には何の価値もない小塚または土塊としてしか(経済的な)評価ができないものであっても,そのような経済的評価を無視または抑止してでも文化財として維持・保存すべき場合があり,難しい問題を発生させることになる。
しかしながら,当局の希望を無視してブルドーザーによって掘削し,様々な建物や作業場等を建てたり,耕地としたものの,その後,住む人がいなくなり,現在では廃墟・廃屋となり,あるいは,荒廃地となっているところが決して少なくないというのも事実だ。掘削されて墓地とされながら,現在では放棄され,誰も供養していない場所もある。これまで非常に多数の実例を見て,その正確な現況写真を撮り続けてきた(基本的に非公開)。
無論,古墳といわれてきたけれども実際には単なる土塊に過ぎないものもあるので,そのようなものについては保護の必要性がないかもしれない。
しかし,古墳時代から1500年前後もの長い年月にわたり維持・保存されてきた貴重な文化財であることが科学的に実証されている古墳を単純に破壊するだけで終わらせてしまい,廃墟・廃屋や荒廃地をつくるだけとなってしまった人々は,一体どのような責任を負うべきなのだろうか?
今後,産業構造や人口動態の大規模な変動に伴い,大規模工業団地や大規模住宅街や大規模ショッピングモールが廃墟となる例が続出すると予想される。今から考えておかなければならないことは,とても多い。


 國學院大學栃木短期大学:2017年度栃木市城内1号墳(圓通寺古墳)の発掘調査
 https://www.kokugakuintochigi.ac.jp/tandai/etc/info/hakkutu/entsuji2017.html

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