稲敷市:東大沼古墳群5号墳と26号墳

過日,東大沼古墳群(茨城県稲敷市東大沼)の所在地を訪問し,幾つかの古墳を見学した。
東大沼古墳群は,東大沼地区の台地上に分布する合計30基の古墳で構成される古墳群とされている。現在では湮滅した古墳もあるけれども,集落の中にある古墳群であるにも拘らず,比較的多くの古墳が残存している古墳群として知られている。佐々木憲一・田中裕編『続常陸の古墳群』(六一書房)の229頁に古墳群の分布図があり,246頁に詳細な解説がある。

東大沼26号墳は,東大沼地区の北西側にある太陽光パネル群の中にあり,直径30m・高さ1.5mの円墳とされている。太陽光パネル群に囲まれているとはいえ,墳丘の北東~東の部分は公道に接しているため,そこから墳丘が見える。

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北東の方から見た21号墳


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東の方から見た21号墳


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南西の方から見た21号墳


東大沼5号墳は,東大沼21号墳の西の方に近接して所在し,全長40m・高さ3mの前方後円墳とされている。
実際に観てみると,『続常陸の古墳群』の229頁とは少しずれた場所に存在し,形状・規模も少し異なるように見える。
『続常陸の古墳群』の229頁に記されている場所(直径10m前後の小円墳であることを示す黒丸の図示)は,現在太陽光パネル群となっていて墳丘は存在しない。その場所を撮影した過去の写真を見ても,その場所に大きな墳丘はない。他方で,私が東大沼5号墳だと判断した墳丘のようなものに関しては,『続常陸の古墳群』の229頁の中では何も図示されておらず,墳丘の存在しない土地として示されている。
結局,現存する墳丘様のものが本当に東大沼5号墳であるか否かに関し,『続常陸の古墳群』の229頁の地図は別の資料に含まれている地図を現地踏査による確認作業を経ないままにそのまま転載したものと推定されるので,その図面上の東大沼5号墳図示部分を無視すべきかどうかを判断しなければならない。そのためには,関連する第1次資料を全て入手するか,または,文化財の原簿を確認した上で精密に検討しなければならず,それまでは,確実なことは何も言えない。
ただし,これまでの経験によると,担当部署を訪問して確認しようとしても,なぜか原簿が全く存在しないことや原簿の記載が最初から間違っていることもあったので,なかなか面倒なものだと思う。


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5号墳と思われる墳丘のようなもの


一般に,学問分野の別を問わず,基礎資料に誤りが含まれていることは普通にしばしばあることだ。それゆえ,どのような学問分野であれ,論文等を書こうとするときは,全て最初から精密に調査し直し,確実な情報と不確実な情報と明らかに誤りである情報とを識別し,入手可能な資料全てを再検討するという非常に時間のかかる面堂な作業を経た上で,考察を加え,論文構成にかからなければならない。
そのような再検討の対象となる資料の中には,官庁や権威者が作成したものも含まれる。官庁や権威者といっても所詮は人間のやることなので,完全無欠のものなど存在するはずがない。

かつて,非常に優れた大学教授達は,異口同音に,「まず先人の業績を疑ってかからなければ学問にならない」とか「通説を破壊して乗り越えるのでなければ学問としての意味がない」とか言っていたものだった。そのような世代の時代は,既に去ってしまっている。

ネットが普及し,コピペに慣れ切ってしまった現代の人々には理解できないことかもしれない。その結果,いつかどえらい失敗をし,悔やむことになるまでは,理解できないことかもしれない。

それゆえ,私は,このブログの記事の内容に関し,何らの保証もないし,誤りを発見したときには後に訂正する旨をブログの冒頭に明示している。

私自身は,常に,「無知であること」を自覚している。「己惚れは禁物」ということを常に想起するようにしている。つまり,自分にとっての最大の敵は自分自身なのだ。
調査のための旅先で様々な人々から私の知らないことを御教示いただいたとき,あるいは,自分の誤解や誤謬に気づくことのできる情報を提供していただいたときには,心から「まことにありがたいことだ」と感じている。

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