栃木県河内郡上三川町上蒲生:蒲生神社

2020年3月下旬のことだが,蒲生神社(栃木県河内郡上三川町上蒲生)を参拝した。祭神は,大国主命。天津彦根命を配祀している。
とても長い参道の入口に大きな鳥居があり,その参道をずっと歩くと境内前にも鳥居がある。
社殿等は立派なものだった。多数の境内社がある。
なお,上三川町史編さん委員会編『上三川町史 資料編 原始・古代・中世』(昭和54年)の417頁によれば,かつて,参道入口の西側付近に大きな円墳(上蒲生D3号墳)があったらしい。その場所は,現在では,土地改良によって水田になっている。ただし,それらしい場所に円形のようにも方形のようにも見える墓地区画があり,現代の墓地となっている。もしかするとその場所が円墳(D3号墳)の所在地だったのではないかと思った。参道の東側の水田の中にも小規模な円形の墓地区画があり,その場所には少なくとも塚があったのではないかと思われる。

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一の鳥居


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参道


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二の鳥居


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境内


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拝殿


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本殿


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境内社(八坂神社)


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境内社


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神楽殿


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手水


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境内にある塚のようなもの


上蒲生の蒲生神社は,黒坂命の東征の際小祠を建て戦勝祈願をしたことに始まるとのことで,黒坂命の墓所とされている大塚1号墳がある茨城県の美浦村と不思議な縁がある。
神社の社伝が正しいとすれば,黒坂命は,霞ケ浦付近~笠間付近~益子・芳賀付近を通って上三川に至り,ここで戦勝祈願をした上で,ここから北上して東国の諸勢力と戦闘したことになる。いわば軍司令官または征夷大将軍のような地位にあったと推定される。
一般に,朝廷の命により,皇族などの高い地位にある者に率いられて東征した軍は,全て「やまと(大和)」の「たけ(武)」(=大和軍)だったと考えられる。「たけ」は「勇ましい」という意味ももつので,統率された猛者の集団である軍隊を示す場合にも使われたのだろうと推定できる。ただし,成敗された側の軍は,朝敵とされてしまうので,本当は立派な指揮官に率いられた勇敢な軍隊だったとしても,「土蜘蛛」等としてひどい表現を与えられてしまうことになる。「歴史」とは常にそういうものなので,事実の記述である部分と評価の記述である部分とをわけて考えなければならない。
神話にある個人としてのヤマトタケルの事績は,景行天皇の命によりその皇子が司令官となって東征した事績を美化したものを含むと推定できるが,それだけではなく,景行天皇の時代とは別の時代の東征軍またはその司令官の事績を1人の人物とその事績であるかのようにまとめて人格化し,表現したものだろう。


 kyonsight:蒲生神社
 https://kyonsight.com/jt/kaminokawa/west01.html

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