笠間市:土当古墳群(香山堂古墳群)
2020年3月下旬のことだが,土当古墳群(茨城県笠間市箱田)を見学した。
土当古墳群は,香山堂古墳群とも呼ばれ,笠間市史編さん委員会編『笠間市遺跡分布調査報告書』(1992年)の80頁によれば,4基の円墳で構成されている。
『笠間市遺跡分布調査報告書』の記述は,茨城県教育委員会『重要遺跡報告書Ⅱ』(昭和61年3月)の10頁にある記述と異なる部分があり,また,現況と食い違う部分もあるが,『重要遺跡報告書Ⅱ』よりも新しいものであり,かつ,『重要遺跡報告書Ⅱ』の記述を検証するという目的も併せもつものと実施された現地調査の結果をまとめたものなので,『笠間市遺跡分布調査報告書』の記述に従って考えることにした。
現況と食い違う点としては,土当2号墳(直径7.0m・高さ1.0mの円墳)が図11(124頁)の場所には見当たらないという点がある。土当2号墳は,1号墳の西側の斜面に存在することになっているのだが,該当するものを視認できなかったので,湮滅したのだろうと思う。
また,『重要遺跡報告書Ⅱ』では,古墳群のある山の山裾に4基の小円墳があることになっており,『笠間市遺跡分布調査報告書』の土当3号墳と4号墳がその4基中の2基に該当することは明らかだけれども,残りの2基については,『笠間市遺跡分布調査報告書』の中に記載がない。他のものは全て掘削されて消滅したと考えるのが妥当と思われる。
土当古墳群は,香山堂古墳群とも呼ばれ,高乾院の北側にある山の山腹~山頂にかけて分布している。
高乾院前を南北に走るやや狭い舗装道路は山頂の西側を通って山の北側に抜けるようになっているのだが,高乾院から約200mほど登ったあたりに舗装されていない狭い山道があり,その山道を登ると山頂に至ることができる。山道付近には赤いテープがはられていたので,それが山道所在地を示すものなのではないかと判断した。
土当古墳群は,香山堂古墳群とも呼ばれ,笠間市史編さん委員会編『笠間市遺跡分布調査報告書』(1992年)の80頁によれば,4基の円墳で構成されている。
『笠間市遺跡分布調査報告書』の記述は,茨城県教育委員会『重要遺跡報告書Ⅱ』(昭和61年3月)の10頁にある記述と異なる部分があり,また,現況と食い違う部分もあるが,『重要遺跡報告書Ⅱ』よりも新しいものであり,かつ,『重要遺跡報告書Ⅱ』の記述を検証するという目的も併せもつものと実施された現地調査の結果をまとめたものなので,『笠間市遺跡分布調査報告書』の記述に従って考えることにした。
現況と食い違う点としては,土当2号墳(直径7.0m・高さ1.0mの円墳)が図11(124頁)の場所には見当たらないという点がある。土当2号墳は,1号墳の西側の斜面に存在することになっているのだが,該当するものを視認できなかったので,湮滅したのだろうと思う。
また,『重要遺跡報告書Ⅱ』では,古墳群のある山の山裾に4基の小円墳があることになっており,『笠間市遺跡分布調査報告書』の土当3号墳と4号墳がその4基中の2基に該当することは明らかだけれども,残りの2基については,『笠間市遺跡分布調査報告書』の中に記載がない。他のものは全て掘削されて消滅したと考えるのが妥当と思われる。
土当古墳群は,香山堂古墳群とも呼ばれ,高乾院の北側にある山の山腹~山頂にかけて分布している。
高乾院前を南北に走るやや狭い舗装道路は山頂の西側を通って山の北側に抜けるようになっているのだが,高乾院から約200mほど登ったあたりに舗装されていない狭い山道があり,その山道を登ると山頂に至ることができる。山道付近には赤いテープがはられていたので,それが山道所在地を示すものなのではないかと判断した。
山道を入るとすぐに2基の小円墳が見える。それらが3号墳と4号墳に該当することは明らかなのだけれども,どちらが3号墳でどちらが4号墳なのかはわからない。大きさから推定して,2基並んでいる小円墳中の東側のものが3号墳で西側のものが4号墳なのだろうと判断した。
土当3号墳は,直径6.3m・高さ1.0mの円墳,土当4号墳直径5.3m・高さ1mの円墳とされている。
土当3号墳は,直径6.3m・高さ1.0mの円墳,土当4号墳直径5.3m・高さ1mの円墳とされている。
これらの小円墳の間を山道が通り,そのまま山頂の方へと続いている。しばらく登ると山頂に至り,そこに1号墳がある。なお,この山道は,そのまま北の方に続き,山を下りることができるようになっているように見えるのだが,実際には下りてみなかったので,よくわからない。
土当1号墳は,直径28.3・高さ2.5mの円墳とされている。大きな円墳だと思う。墳丘には登らなかった。
土当1号墳は,直径28.3・高さ2.5mの円墳とされている。大きな円墳だと思う。墳丘には登らなかった。
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