埼玉県児玉郡美里町:道灌山古墳

過日,道灌山古墳(埼玉県児玉郡美里町阿那志)を見学した。道灌山古墳は,勝丸稲荷神社のすぐ近く(南)にあり,直径約40mの円墳とされている。古墳それ自体としては5世紀頃の古いものだと考えられているようだ。そのとおりだとすれば,朝廷の命により美里町周辺の屯田が本格化した時期の支配層に属する者の墓所ということになるのだろう。
下記の「古墳研究室」のサイトによれば,「道灌山」との名は,墳丘上に太田道灌の供養塔があることに由来するのだそうだが,墳丘には登らなかったので,その供養塔が現在でも存在するか否かは不明。墳丘には草木が生えていて荒れた状態にあり,現況において墳丘の形を認識することは困難なことだと思う。

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北の方から見た様子


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北東の方から見た様子


太田道灌は,上杉定正に暗殺され55歳で世を去ったとされているのだが,上杉定正の立場にしてみれば,太田道灌の勢力が更に優勢になれば自分の立場が危うくなると判断し,早目に粛清してしまったのだろう。しかし,太田道灌の死後の混乱に乗じて後北条氏が侵攻し,上杉氏(扇谷上杉氏及び山内上杉氏)は関東における力を喪失することとなった。
一般に,最も武力のある者が領土を実効支配するということが「国」の本質であり,太田道灌の時代にはその武力が主として刀剣・弓矢・槍などの武器の運用力によって左右され,かつ,支配者の血統に属する者が支配者の地位を相続により継承することが当然とされていたので,現在考えられているような意味での国民国家の統治とは異なる視点をもつべきことは当然のことだ。
しかし,一般に,国家及びその統治の本質を考える上で,古代から現代までの長い期間にわたる出来事を可能な限り先入観や固定観念にとらわれずに,かつ,可能な限り網羅的に,そして,冷静に考察することは,とても大事なことだと思う。
そのような長い期間にわたる可能な限り網羅的で詳細な帰納法的な検討を踏まえた上で,自分なりの国家観というものをもつことが大事で,他人の思想を丸暗記方式で受け売りしてリプリントしてるだけのような政治学や歴史学の類は笑止千万と言わざるを得ない。特に唯物史観は史実や考古学上の発見によっては全く裏付けられることがなく,今後も実証されることの絶対にあり得ない空疎な過剰観念の集合体のようなものに過ぎない。


 古墳研究室:志渡川流域 美里町3
 http://yoshida-kofun.in.coocan.jp/saimisat3.htm

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