坂東市:北山稲荷大明神

過日,北山稲荷大明神(茨城県坂東市辺田)を参拝した。ファミリーマート坂東辺田店の北東側のあたりから比較的長い参道があり,森の中を進むと,社殿がある。社殿脇には「平将門公之碑」が立てられている。平忠常の乱を平定した源頼信が立てたという平将門鎮魂のための板碑が発見された場所として知られている。
一般に,現代の国民国家における国家組織の一部としての統一国防軍のようなものしか知らないと理解できないことなのかもしれないが,かつての朝廷支配の時代においては朝廷直属の統一軍が存在したわけではないし,自らの一族が強力な武人を多数擁する軍団を保持している場合を除き,都の貴族が将兵を指揮し作戦行動を遂行できる能力をもっているわけでもなく,単に命令していただけと考えられる。当時における軍というものは,要するに,朝廷の命によって行動する複数の軍事氏族の集合体だったと考えるのが妥当だ。例えば,「武内宿禰」とは「軍(武内)」の「大臣(宿禰)」という官職または公的地位を示す名称であり,当該時点において最も有力な軍事氏族の長者(頭領)がその職を務めたと想像できる。藤原氏もまた同じであり,当初においては自らの私兵(手勢)を多数擁する強力な軍事氏族の集合体だったと思われる。そうでなければ,長屋王の変における藤原氏の軍事行動も物理的に成立し得ない。後世のつくり話の部分が多く含まれるかもしれないが,聖徳太子(廐戸皇子)と物部守屋との間の激しい戦闘の事績を考えてみても,古代の豪族または有力氏族が基本的には全て軍事氏族だったことを示唆するのに十分だと思われる。そして,一般に,歴史書にはそのような最有力な軍事氏族の頭領の名だけ残されることが普通なのだけれども,実際には有力な軍事氏族間における合従連衡のような出来事がしばしばあったのではないかと想像される。
それだからこそ,頭領の力量やカリスマ性が試されることになるのだが,平将門や源頼信にはそれがあったということなのだろう。ただし,そのカリスマ性は,朝廷の命令に抗することのできる程度に高いものであり,正当性根拠をもつものでなければならないので,関東地方の屯田が始まった非常に古い時代から支配者たっだ一族の後裔であるという「血の正当性」のようなものが重視されたのに違いない。源氏にしろ平氏にしろ,それぞれ清和天皇及び桓武天皇の後裔ということになっているし,同様に,北畠氏も村上源氏(村上天皇の後裔)とされているので,(現行の皇室典範に定める皇族という意味ではなく)最も広い意味での皇族の一員であることには違いなく,当時としては,そのような一族の長者であることが正当性根拠として非常に重要だったのだろうと想像される。

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神社のある森(参道入口付近)


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参道と鳥居


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鳥居


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社殿


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平将門公之碑


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社殿裏にある板碑発見地の石碑


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由緒書


一般に,出自や血筋を重視するような発想傾向は,現代の社会の中でもかなり明瞭に生き続けている。それゆえ,日本国憲法は,血筋のようなもの(出自)による差別を明文で禁止しているのだが,現実はそうではない。これとは逆に,平等主義を重視し過ぎて能力主義を軽視または無視するような傾向も非常に強い。そういう矛盾した要素が複雑に混在しているものだから,社会というものの実相を理解するのにはそれなりの苦労を必然的に伴う。
しかし,そのような状態では,結局のところ,支配者以外の者は全て平等に奴婢またはこれに類する人々という社会構造と少しも変わらないではないか・・・と思う。唯物史観に洗脳されている人々は,社会内の階級構造をピラミッド型で図示することを好む。しかし,それは明らかに誤りだ。
ソクラテス~アリストテレスの古典哲学をひもとくまでもなく,一般に,「平等」の概念を精密に理解することは非常に難しいことだし,それを現実社会に適用しようとすると実際には様々な弊害を伴うことなので,そのような弊害が一切ない実装・運用は,現実には本質的に不可能なことだと心得るべきだと思っている。そもそも,自己と他者とは,自己と他者ということだけで本質的に異なる存在なのであり,同一の存在であるはずがないので,同一の環境を与えられるということも物理的にあり得ないことなのだ。

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