高崎市:お春名古墳

過日,お春名古墳(群馬県高崎市足門町)を見学した。お春名古墳は,直径約15mの円墳とされており,横穴式石室が発掘されている。
この古墳は,榛名山の噴火による被災後に造られた古墳として知られている。すなわち,薄葬令の後に造営された大型墳丘墓の1つということになる。説明板によると,噴火により壊滅した被災地の復興にあたった集団の長の墓所と考えられているようだ。高崎市周辺の扇状地は,基本的には,先史時代から続く榛名山,浅間山,白根山等の活火山の噴出物の堆積によって形成されたものであり,そこから長年月の間に更に下流に流れた火山礫や土砂などが古代の東京湾を次第に埋め,現在の関東平野を徐々に形成したものと考えられている。これらの火山(+富士山と赤城山)は,現在でもなお活発に活動中なので,将来,いつの日にか,関東地方全体が壊滅的な被害を受け,あっという間に非常に多数の人々が亡くなる日が来ることを避けることは不可能だと思われる。関東地方は,そのような冷酷な自然史の繰り返しの上に構築されている。西日本においても,九州にある多数の大規模活火山による被災を避けることができない。西日本の縄文文化が大規模な火山噴火によって非常に広域的に消滅してしまったことは,よく知られている。
私が理解しているところでは,現在の高崎市周辺は,古代の扶桑国に該当する地であり,扶桑国と倭国との間にあったという大きな山は,榛名山の大噴火によって大規模に吹き飛び,なくなってしまったのだろうと思う。『魏書』の「倭人伝」の中に記録されている数多くの國が榛名山大噴火とその後の土石流の発生等の大規模災害によって物理的に消滅し,または,新たな長者の支配の下で再編成されることとなってしまったものと推定される。ちなみに,「扶桑」と「扶余」とは,字形が似ているように思う。
そのような火山噴出物の分厚い堆積の下に,これまで全く知られていなかった大規模遺跡が大量に保存されている可能性はある。
お春名古墳のある場所に到着した時には既に夕暮れ時となっていた。

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説明板


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南側から見た様子


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西側から見た様子


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