加須市:御室社と古墳(御室塚)

過日,御室社(埼玉県加須市上樋遣川)を参拝した。祭神は,三諸別王。ただし,鳥居には「御室大明神」とある。社殿は,とても立派だった。その境内には,別の場所から遷座したという八坂神社を含め,多数の境内社等がある。社殿北側にも鳥居があり,地元の方の説明によると,かつてはこちら側からも墳丘に登れたらしい。しかし,現状では無理そうなので,南側にある参道の方から境内に入り,参拝した上でその周辺を拝見した。
社殿南西の隣地に神官と思われる方の御宅があり,たまたま出逢ったので挨拶した。
御室社の基壇部は,直径約40mの円墳であり,御室塚(御室塚古墳)と呼ばれている。墳丘の周囲には池があり,周溝の残存物のように見える。

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参道


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由緒書


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社叢の説明板


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古墳の説明板


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一の鳥居


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二の鳥居と神門


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階段と拝殿


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本殿


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境内社(堀田宮)


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境内社(八幡・雷電社)


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左側の狛犬(八幡・雷電社)


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右側の狛犬(八幡・雷電社)


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境内社(庚申塔)


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八坂神社


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道祖神


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北西側から見た墳丘


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東側から見た墳丘


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境内の池


日本書紀巻第七(大足彥忍代別天皇・景行天皇)の五十六年秋八月には、「時,蝦夷騷動。卽舉兵而擊焉,時蝦夷首帥足振邊・大羽振邊・遠津闇男邊等,叩頭而來之,頓首受罪,盡獻其地。因以,免降者而誅不服,是以東久之無事焉」とあるから,この頃に朝廷による東国支配が確固たるものとなり,服従する者は知行を認められると同時に貢納の義務を負うこととなり,反抗する者は悉く殺されたと想像することができる。
ここでいう「蝦夷」とは,人種のことを指すのではなく,先の時代に屯田して地域支配を確立していた者らを含む趣旨と理解すべきだろう。日本武尊の東国征伐から約30年後の出来事として記録されているので,その年代の記述が正しいと仮定すれば,東国の地域支配を現実に行っていたのは日本武尊の配下にあった者(日本武尊が現地の女に産ませた庶子を含む。)の子または孫の世代の者として理解する以外にない。
つまり,一般に,「蝦夷」とは,常に蛮族のようなものを意味するものではないと考えるべきだ。強いて言えば,当該時点における朝廷に反逆する者は,結果的に「蝦夷」と呼ばれ,当該時点の朝廷または後の時点の朝廷によってそのように記録されることになったと考えるのが妥当だ。



 加須市:樋遣川古墳群御室塚
 https://www.city.kazo.lg.jp/soshiki/shougai/kankou/6528.html

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