茨城県稲敷郡阿見町:豊川稲荷神社とびだら塚古墳

予科練平和記念館の西側には青宿(茨城県稲敷郡阿見町大字青宿)という地域がある。かつては宿場町だったのだろう。青宿の坂道を上ると,途中に豊川稲荷神社がある。強風のため神木が倒れたままの状態になっていたが,参拝した。更にその坂をやや北方に向けて登ると,細長い台地の尾根の部分に「びだら塚」と呼ばれる古墳がある。「びだら」の由来は不明だが,青面金剛明王に従う四夜叉の中の「毘陀羅(びだら)」のことではないかと思う。かつては墳丘上に毘陀羅の御堂または石碑があったのかもしれない。
びだら塚古墳のある場所は,現況では周囲に家屋があり,眺望が良いとは言えないけれども,古代においては,霞ケ浦を遠くまで見通すことのできる場所だったと思われる。

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豊川稲荷神社の鳥居


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豊川稲荷神社の社殿


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豊川稲荷裏の祠


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強風で倒れた神木


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びだら塚古墳

この記事へのコメント

やまざき
2020年04月20日 15:42
はじめまして。
びだら塚古墳は中世の手鏡「びんなで鏡」を前方後円墳に見立て
びんなでが更に訛ってびだらとなったと聞いたことがあります。

近くにダメキ古墳がありますけどこれは日立発祥といわれる姓
百目鬼「どめき、どうめき」が訛ってダメキとなったのかも
駄文失礼いたしました
電脳中年A
2020年04月26日 18:29
やまざきさん

コメントありがとうございます。

古墳の名称の中にはよくわからないものが多いですね。

「びんなで」が訛ったという説は,私もどこかで読んだ記憶があり,そんなものかと思っておりました。ただ,このブログ記事を書く際,どうもこじつけくさいと直観的に思ったので,私なりに推理してみました。なお,『阿見町史』の62頁には青宿の「びだら塚古墳」の解説があり,同書69頁には吉原の「びったら塚」の解説がありますが,そのどちらにも呼称の由来に関する記述はありません。

他方,「ダメキ古墳」か「タメキ古墳」かですが,『阿見町史』の65頁では「だめき古墳」としていますし,所在地も「だめき」となっていますので,たぶん「だめき」が正しいです。しかし,いばらきデジタルマップでは,「タメキ古墳」となっており,所在地も「タメキ」と記されています。こちらのほうが茨城県教育委員会の公式見解を反映するものだと判断しますので,いばらきデジタルマップの表示が変更されるまでは「タメキ」と表記することにしました。
なお,「だめき」の由来について「百目鬼」が訛ったものとのご見解は,たぶんそのとおりだろうと思います。