市川市:法皇塚古墳

過日,法皇塚古墳(千葉県市川市国府台)を見学した。法皇塚古墳は,東京医科歯科大学の構内にある。守衛所で構内立入と古墳見学の許可をもらい,古墳のある場所に関する詳細な説明等を受けた上で,その場所に向かった。
法皇塚古墳は,全長約63mの前方後円墳とされている。一部掘削されているということだが,全体としてはかなり良好な状態で保存されている古墳だと言える。かつて,その墳頂には天満宮が建立されていたけれども,その天満宮は,現在では別の場所に移動している。
なお,東京医科歯科大学の入口のところには構内案内図があり,そこには古墳の所在地が示されれているけれども,古墳の形状の表示には誤りがあり,前方部と後円部が逆に表示されていた

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大学構内案内図


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破損したまま投げ捨てられていた説明板


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北東側から見た全景
(右が後円部・左が前方部・公式見解では右が前方部・左が後円部)


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北東側から見た後円部(公式見解では前方部)


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北東側から見た前方部(公式見解では後円部)


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北側から見た後円部(公式見解では前方部)


 市川市:法皇塚古墳
 http://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/1111000022.html


[追記:2019年10月28日]

念のため「ちば情報マップ」で確認しようとしたところ,「ちば情報マップ」上の法皇塚古墳所在地の表示にも疑問のあるものであることを理解した。早急に改善すべきである。もし「ちば情報マップ」の表示が正しいのだとすれば,市川市当局には「現在の墳丘は移築・復元した現代の構造物であり,元の墳丘は湮滅した」旨を公示・公報すべき法的義務がある。

[追記:2020年7月6日]

案内板の図示は,過去の資料等を踏まえたもので,その意味では,誤りではないということを認識した。本文中の該当部分に線を引いて消すことにした。また,前方部と後円部の記載の部分に公式見解を付記した。

問題は,過去の発掘調査報告書等の資料の方にある。石室は,後円部にあるとは限らない。

朝廷の命を受けてこの地に屯田し,支配した武人の墓所と考えるのが妥当だろう。

なお,下記のブログによれば,説明板が新しいものに交換されているようだ。

 古墳探訪記:千葉県市川市国府台 法皇塚古墳
 https://ameblo.jp/fookky/entry-12607705268.html

[追記:2020年7月17日]

小林三郎・熊野正也編『市川市博物館研究調査報告第三冊 法皇塚古墳』(昭和51年)を古書店から購入して読んだ。墳丘の部分的なトレンチによる調査等を踏まえてはいるが,周溝全体の調査は全く行われていなかったようだ。石室の所在する方が後円部と頭から決めた上での調査結果なので,復元図もそのような前提で書かれている。昭和51年当時のことなのでやむを得ない結果だろうと思う。しかし,現時点では,後円部だけに石室があるとの考える見解を支持する者は1人もいないし,後円部と前方の複数個所に石室のある古墳も多数発見されている。それゆえ,「石室があるから後円部」との推論は全く成立しない。
この文献よりも更に新しい調査報告書があるはずなので,目下探索中なのだが,金持ちでもない国民が時間と費用をかけて粘り強く探索しなければ当該文化財と関連する基本資料に辿り着けない国というのは,文化財及び関連資料(史料)のオープンデータ化及び一般公開という点では,世界中でも最低ランクに位置する国だと認識している。EUを含め,諸外国の関連法制をくまなく調査し,検討するにつれ,そのような確信を深めている。

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