東京都大田区:亀甲山古墳

過日,浅間神社古墳を見学した後,亀甲山古墳(東京都大田区田園調布)を見学した。亀甲山古墳は,全長107.25mの前方後円墳とされており,実際に観ると,とても大きな古墳だということを実感できる。後円部は,円形というよりは江戸時代の小判のような楕円形をしており,何となく森将軍塚古墳(長野県千曲市大字森字大穴山)の後円部と似た雰囲気をもっているように思う。古墳の西側に展望場所のようなところがあるけれども,古墳が大き過ぎるため,パノラマ写真を撮影または合成するような場合を除き,その場所から古墳の全景の正面写真を撮ることができない。その展望場所の西側は崖地となっており,崖地の下は多摩川とその河川敷になっている。古代においては,そのほぼ全部が海だったと考えられる。

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後円部の方から見た全景


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前方部の方から見た全景


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古墳西側にある展望地


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説明板


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南東側から見た後円部
(手前は浄水場跡の池)


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西側から見た後円部


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西側から見た前方部


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前方部端


亀甲山古墳の前方部の北側に広場のようなところがあり,そこに古墳展示室がある。出土品等を展示しているほか,関連資料等の販売も行っている。『大昔の大田区:原始・古代の遺跡ガイドブック』と『大田区古墳ガイドブック:多摩川に流れる古代のロマン』を購入した。どちらも非常に安価な冊子であり,しかも,地図がついているのでとても便利だ。『大田区古墳ガイドブック:多摩川に流れる古代のロマン』は,2016年に刊行された第4版で,内容的にも比較的最近の研究成果を踏まえた良いものだと思う。ただし,戦前の皇国史観のようなものしか知らない人や戦後の唯物史観のようなものしか知らない人にとっては承服し難い部分が含まれているかもしれない。しかし,一般論として,皇国史観も唯物史観も,維持すべき余地が存在しないと考える。現時点における考古学の成果とその分析結果は,基本的な歴史認識の変更を更に要求しているように思う。

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古墳展示室


一般に,「武蔵國造の乱」は「武蔵國神の乱」ではないということは,もっと重視されても良いのではないかと思う。東国における國造は,朝廷の命により軍事攻略を行い,屯田により領置を経営した将官クラスの武人とその子孫と考えるのが妥当であり,弥生時代以前の有力首長の子孫は,郡司低度の官職を与えられた者として大きな支配体制の中に順次組み込まれたか,滅亡し,歴史から抹殺されたかのいずれかではないかと考えられる。そして,屯田により得られた収穫物は,屯倉に収納された。「屯倉」は,書き言葉としての熟語それ自体としては漢語そのものであり,ただ,「宮家のものだ」ということを示す一般的な読み言葉がその訓読み的な「読み」として残されたと考えるのが妥当だと思う。
ただし,そのようにして郡司クラスの公式の地位を得た者の子孫の中には,現時点においても,地方の有力者として事実上の支配力を維持し続けている人々が存在することだろう。だから,現代の日本国の政治力学において,東京や大阪のような大都市部の利益を考えているだけではダメだということになる。一般に,地方の意見を無視した政権は,支持を減少させ,または,支持を失うことになる。このような力学は,政治学または憲法学上の「民主主義」の原理によっても説明可能なものだが,しかし,私としては,民主主義とは関係のない別の説明(長い歴史をもつ政治力学上の伝統または慣習のようなものだという理解)のほうが良いと考えている。

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