高崎市吉井町:多胡村113号墳(一本杉古墳)と神保古墳群

神保古墳群(高崎市吉井町神保)を見学してきた。かつて,この地域には非常に多数の古墳があったのだそうだが,現在,JA多野藤岡 あぐりセンター西部の南方に隣接して神保古墳群を構成する比較的大型の円墳群が保存されているほか,JA多野藤岡 あぐりセンター西部の北方に隣接して多胡村113号墳(一本杉古墳)が残されている。

多胡村113号墳(一本杉古墳)は,二段築造で上段が円形、下段が八角形の八角形墳とのことだ。墳丘には川原石のようなものが残されている。この古墳が築造された頃には,全面が葺石で覆われていたのだろう。

一般に,八角形墳は,非常に珍しいものだとされている。しかし,八角形の建造物は,実は,比較的身近に見ることができるものだ。それは,墳墓から建物に姿を変えた仏寺の八角堂にほかならない。私の想像では,八角形の墳墓においては,彼岸や盆や法要すべき日などに縁者により仏式の祭礼が行われたのではないかと思う。

多胡村113号墳(一本杉古墳)
多胡村113号墳(一本杉古墳)


多胡村113号墳(一本杉古墳)
多胡村113号墳(一本杉古墳)


多胡村113号墳(一本杉古墳)
墳丘に残る河原石のようなもの


神保古墳群の一部は,墓地のような感じになっており,この地域がかなり長い間にわたり墓地として使用されてきたのではないかということを想像させるものだった。

神保古墳群
多胡村123号墳?


神保古墳群
多胡村122号墳?


神保古墳群
多胡村133号墳?


建物の屋根を覆う「瓦」は、サンスクリット語の「迦波羅(kapara)」に語源があるのだとされている。古墳を覆う河原石は,河川の河原にある石なのだが,「迦波羅(kapara)」という意味をこめて河原石を用いたのだと仮定すると,宗教上の機能としては,葺石も仏寺の屋根瓦も同じということになりそうな気がする。単なる語呂合わせに過ぎないのかもしれないが,丁寧に検討してみる余地がありそうに思う。

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