酒列磯前神社

酒列磯前神社を参拝してきた。

酒列磯前神社


酒列磯前神社の主祀神は少彦名命,配祀神は大名持命で,普通の順序と逆になっている。それが「酒列」の元の地名である「逆列」の由来なのではないかと思う。少彦名命を主祀神とする神社は意外と少ない。薬草の神としても知られており,おそらく,非常に古い時代に大陸から薬方を伝えた神ということなのだろうと思う。

神社の社殿は,中世の頃には荒廃してしまっていたものを水戸光圀公が再興し,現在のような立派な社殿になったとのことだ。

この神社の周辺ごく近くには古墳のなごりらしきものが多数みられ,神社の裏手や隣接するホテル周辺に磯崎東古墳群を構成する比較的大きな円墳が複数残されている。また、この神社の近隣には,この地域最大の前方後円墳である川子塚古墳(茨城県ひたちなか市磯崎町川子塚)がある。また、木花咲耶姫神社がある場所も実は古墳で、この地域最大の円墳である大穴塚古墳(茨城県ひたちなか市磯崎町川子塚)として知られている。

更に少し離れた場所ではあるが、彩色された石室が残されていることで有名な虎塚古墳(茨城県ひたちなか市中根字指渋)がある。

少彦名命と関係ある神社の所在地は,古代において,相当優勢な人々の支配地だったものと推測される。

では、「大」の名を持つ神である者の支配地はどこであったのかというと,茨城県内では,大生神社(茨城県潮来市大生)のある地と考えるのが妥当と思われる。大生神社は,「元鹿島」という名によっても知られている。常陸風土記の丘公園にある展示室には「鹿百」と読める文字が墨書された土器が展示されている。この「鹿百」は「鹿島」のことだろうと推定されており,非常に興味深い。


この記事へのコメント

2019年01月02日 20:37
また^^;私も神社巡りしたくなってきました・・・・

「松平」に名を連ねる人たちは「薬草・漢方」が好きな気がします、そういった地域の「神社・仏閣」をなぜかしら修繕もしくは拡張している事が多々ありますね。
2019年01月02日 23:03
緑屋さん

あけましておめでとうございます。

光圀公が復活させる前は、長い参道の入口付近の鳥居のあたりに社殿があったのだそうです。位置関係から考えて,元の社殿は東を向いており,港から山道を登ると社殿にたどり着く構造になっており,そこを参拝し,手形のようなものを入手してから更に先に進むことのできる検問所(官庁)のような場所だったと推測されます。

その推定される旧社殿の北西のほうに本文に書いた大型の前方後円墳と円墳がありますので,それらがこの地域を守護し,氏族の権威を示す象徴的な構造物だったのだろうと想像します。

現在では女性名の神社になっている場所が「大穴」という名をもつ古墳であることも気になります。実は、大名持神(大穴持神)が女神で,少彦名神が男神であったというようなこともあったのかもしれません。「少彦」は,それ自体として,「男根」と理解することが不可能ではないです。つまり,もともとは伊弉諾神と伊弉冉神です。しかも,女神のほうが偉い。それが,長い時代を経るにつれ,時の権力者にとって不都合であったため,そのように逆転させられたものかもしれません。

伊弉冉神が死後に去った地,少彦名神が去った地,蛭子神が流されたという地である「常世」,そして,豊城入彦命が統治を任された地が現在の茨城県(常盤)を含む東国であったということも全く無縁のことではないでしょう。

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