つくば市:大池と平沢官衙遺跡

平沢官衙遺跡には以前にも何度か観に行ったことがある。当時は子供連れで観光旅行のようなものだった。先日,ちょっと気になることがあって久しぶりに観に行った。立派な正倉(高倉)が復元され立ち並んでいる。気になっていたのはその隣にある大池のほうだった。

大池が築造された目的は不明とされている。一般には灌漑用の施設ではないかと推定されている。しかし,私は違う考えを持っている。古代においては,この大池のあたりが霞ヶ浦から上って船の船着場のような場所で,倉に蓄積された穀物等を船に搬入するために使われていたのではないかと思う。その後,寒冷化に伴う海退により水位がどんどん下がり,陸地になってしまったため,過去の記憶を残すために池を築造し,正倉ももっと低地のほうに移動したのではないかと考える。その際,船着場近くにあった大きな円墳を池の中にとりこみ,池をもって周濠としての機能をもたせたのではないだろうか。このように想像する人はほとんどいないだろうと思うけれど,古代における海水位が現在よりも10メートル~20メートルくらい高かったと仮定すると十分に成立可能な仮説だと考えている。

このような仮説にたつと,大池の中にある中島には墳墓であることを示す祠か何かがあるはずだと考えた。以前はちゃんと観察していなかった。そこで,出かけてみたというわけだ。

平沢官衙遺跡の駐車場に車をとめ,そこから徒歩ですぐに大池に至ることができる。土手を登り,中島に近づいてみると,やはり小さな祠があった。茨城県周辺では,古墳の上にこのような祠が立っていることが非常に多い。

大池


大池
大池


「大池」は,もとは「王池」だったかもしれない。

仮にこの中島が古墳だとすれば,非常に大きな周濠をもつ古墳ということになる。普通は皇族クラスでなければこのような大規模な墳墓を造営することは許されない。へたに築造すれば,謀反の疑いがあるとして朝廷からにらまれてしまうことは必定だ。奈良・平安時代において,和風庭園の中に組み込まれた池と中島の中には,そのような危惧からカモフラージュとして庭のように見せかけているだけで,本当は墳墓であるものが含まれているかもしれない。そんなことを考えながら,平沢官衙遺跡のほうに戻った。

平沢官衙遺跡の正倉(高倉)は,ゆるやかな斜面の上に並んでいる。そこに稲や麻などを収めるためにはゆるやかな坂を上らなければならない。当時,馬は軍用の需要な兵器の一つで,現在の戦車(タンク)のようなものだから,荷役のために用いることはなかっただろうと思う。牛が存在したのかどうかは知らないが,仮に存在したとして,当時の密教(ヒンヅー教)では神聖な動物として扱われていたかもしれず,もしそうであるとすれば,やはり荷役に使うことはできなかっただろう。つまり,農民が自分で税である稲や麻などをかついで坂の上まで運搬して搬入しなければならない。これに対し,正倉(高倉)の支配者としては,船着場まで下り坂なので,比較的楽に搬送を実施することができたのではないかと思う。

平沢官衙遺跡
平沢官衙遺跡


遺跡に復元された3棟の倉を見ながら,あれこれ考えた。

この記事へのコメント

2014年04月21日 19:56
内陸地域では溜池は非常に重要な水源なので稲作文化が根付いたときには神聖な場所だったのでしょうね^^

水に細工をされると稲も育たなくなるので、、、

私も各地の溜池を何度も回った事があるのですが、溜池=薬草になる植物ははずせませんね^^

古い溜池には必ず史跡もあるので面白いのです。

ちなみに小島みたいに作ってある溜池は何度も見ましたよ^^
2014年04月22日 10:07
緑屋さん

古い池も謎だらけですね。

大半が人工的に構築されたものと推定できます。

弘法大師がつくったという伝説が残っているところが多いことも色々と考えされられます。古代の工房集団の記憶が転化したものだったのではないでしょうか。

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